活版印刷の伝来

 近世初頭、16世紀の末にヨーロッパと朝鮮から、活字を組んで書物を印刷する活版印刷の技術が伝来した。
 サビエルを始め来日したキリスト教の宣教師たちが布教活動を行うなか、天正10年(1582)にローマ法王に遣わされた日本人使節、いわゆる天正少年使節は、天正18年(1590)、ヨーロッパから活版印刷の技術を伝え、その後約20年にわたり長崎や天草などの各地では、キリシタン版と呼ばれる百種余り(現存三十数種)の書物が出版された。当館所蔵の『原マルチノの演説』は、同使節がローマからの帰路、1588年にインドのゴアで出版した日本人の手になる初めての活版印刷本である。
 また豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1582-89) で朝鮮から伝えられた活版印刷は、後陽成天皇の文禄勅版や慶長勅版、徳川家康の伏見版や駿河版、本阿弥光悦の嵯峨本などの古活字版の出版をうながし、17世紀中葉まで約半世紀にわたって続けられ、近世初頭の出版ブームのさきがけとなった。


『教皇グレゴリウス13世伝』(PDF)

チアッピ(Marc' Antonio Ciappi)著1596年刊
 グレゴリウス13世(Gregorio XIII 1502-85)は、1572年教皇に選ばれ、
イエズス会の科学・教育事業を援助し、インド及び日本布教にも強い関心を寄せた。
グレゴリウス暦を制定したこと、死の直前天正遣欧使節を接見したことで著名。
本書は日本関係の記事もあり、安土・有馬セミナリヨ図天正使節謁見図等を揚げてある。


『日本26聖人殉教記』 (PDF)

フロイス(Luis Frois)著 1628年刊
ローマ教皇庁からイエズス会独占布教を認められた日本に、スペイン系フランシスコ会が加わり、
日本の政教事情を無視した強引な伝道が豊臣秀吉の心証を著しく害した。
秀吉は慶長元(1596)年秋フランシスコ会士6名、その関係邦人17名及び日本人イエズス会士3名を捕らえ、
翌年、長崎で処刑した。日本で最初の殉教である。
フロイスはポルトガル人宣教師。永禄6(1563)年来日、各地で布教の後長崎で没した。


『東洋の大使徒ザヴィエルの上川島に1700年に建立された墓誌』 (PDF)

Gaspar Castner著 北京 1700年刊
 ザヴィエルは1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた後、1552年4月鎖国中の明に入国し布教する目的で
ゴア(インド)を出発。8月末、広東港外の上川島に着いた。
熱病のため12月3日上川島の粗末な小屋で没した。
展示個所は上川島付近古図。著者カストネル(Castner 1665-1709)はミュンヘン生まれの宣教師。
1697年以来中国で布教に従事し北京で没する。本書は木版刷の袋綴唐本。紙数の計算も丁数である。


『原マルチノの演説』 (119Kb gif)

ゴア 1588
原マルチノ
の演説の表紙 『原マルチノの演説』表紙

1587年にインドのゴアで、天正少年使節の一人、原マルチノが行っ
た演説を、使節に随行した日本人ドーラードが活版で印刷。日本人
による初めての活版印刷本。現在、世界中で4冊の所在が確認され、
わが国では当館のみが所蔵する。展示品はバチカン所蔵本の影印本。


ベッソン・コレクション

 ベッソン・コレクションは、当館が昭和54年度に文部省配分の外国図書購入 費で購入した大型コレクションである。パリ在住のマックス・ベッソン氏が蒐 集した日欧関係刊行書 約380点からなり、日本のキリシタンに関する貴重な文 献を含む。16世紀から17世紀にかけて西欧諸国で出版された刊本を中心とし、 とりわけ『原マルチノの演説』やコリャード三部作など、キリシタン海外版と 呼ばれる稀覯本は、本コレクションの白眉をなすものである。

『吾妻鏡』 (PDF)

52巻51冊 慶長10(1605)年刊 伏見版
 鎌倉幕府の歴史を編年体で著したもの。
慶長4(1599)年から同11年まで徳川家康の命により京都伏見で出版された書物を伏見版と呼び、本書もその一種で、
徳川家康が北条氏からの献上本をもって版刻を命じたものである。
本書の刊行により、これ以降の吾妻鏡はこの古活字版のものが底本となっている。


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Last updated: 2011/02/08