筑波大学附属図書館の歴史

 筑波大学は、昭和48(1973)年10月に新構想大学として設立された。しかし、本学には明治の初めに設置された師範学校に始まり、東京師範学校−高等師範学校−東京高等師範学校−東京文理科大学−東京教育大学と続いた長い前身校の歴史があり、本学附属図書館はこれらの前身校の旧蔵書も重要な資料として所蔵している。
 そこで、本学附属図書館の歴史をこれら前身校の歴史をも含めて4期に分けて眺めてみることにしたい。


 東京高等師範学校以前

東京高等師範学校校舎の図
 本学の前身校の歴史は、明治5(1872)年に東京・湯島の旧昌平坂学問所の跡に設置された師範学校に始まる。この師範学校は、翌明治6年に東京師範学校、19年には高等師範学校、さらに35年には東京高等師範学校と改称した。
 東京高等師範学校の開学とともに、手狭になっていた湯島から小石川区大塚窪町に移転し、この時から図書館に教授を持って充てる主幹を置いた。初代主幹は三宅米吉教授。明治44年に2代目の主幹として松井簡治教授が就任した。

 東京文理科大学期

東京文理科大学の写真
 昭和4(1929)年、東京文理科大学が設置され、東京高等師範学校は文理科大に附置されることとなり、初代の文理科大図書館長には松井簡治教授が就任した。
 昭和7年には諸橋轍次教授が2代目の図書館長に就任、図書館の新築や和洋計7冊に及ぶ冊子体目録の刊行等も行われた。やがて太平洋戦争の激化とともに、昭和20年5月には図書館も直撃弾を受けて閲覧室等が延焼したが、戦災による図書の被害は比較的少なかった。

 東京教育大学期

東京教育大学の図
 昭和24(1949)年、東京文理科大学等4校を包括して東京教育大学が設置された。初代の図書館長には文理科大の第3代図書館長であった能勢朝次教授が任命され、新しい体制のもとで復興と整備に努力していった。
 やがて教育大の筑波移転が決まり、昭和48年にまとめられた報告に沿って筑波大学附属図書館が建設されることとなった。  教育大閉学直前の蔵書数は約76万冊であり、筑波への図書の移送作業が昭和50年度から始まった。

 筑波大学期

筑波大学の写真
 昭和48(1973)年、筑波大学が開学し、初代図書館長には酒井忠夫教授が就任、49年には現在の体芸図書館が開館した。52年には医学図書館、54年には中央図書館が開館して、筑波大学附属図書館の基盤が確立した。教育大からの図書の移送も計画通り終了し、中央図書館開館時には蔵書数は約113 万冊となった。ト−タルシステムとしてのTULIPSも59年度には完成し筑波大学開学前に構想された新図書館像はここに現実のものとして実現した。

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