ディジタル日記 -- アメリカ編(3月)
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3月18日(月)--出発
霧香の卒園式。予定より長引き、ちょっとあせる。なぜよりによって
この日を出発に選んだかというと、女房が卒園式の後の謝恩会に出たくない
と言ったから。
一家揃って車で成田空港へ。空港内のレストランで、これが食べ納めかもしれないと
うどんの定食を注文するが、あまり食べられない。手続きは簡単に済み、やる
ことがない。娘たちは外人の小さい子とたわむれていたが、もう、いてもらっ
ても仕方がないので帰らせた。
ノースウェストの機内食は評判通りあまりうまくない。「ふぃっしゅ・おあ・
みーと?」とか聞いてくるので、
しめたと思って
「ふぃっしゅ」にすると、
レトルトのご飯(ふちの方が白く粉を吹いている)の上に、鮭の切り身をどん
と乗せたもの。かかっているソースは甘くて口に合わない。ワインを頼んだら
凍りついている。そのうちとけてきてオンザロックになったが。
何時間か後の次の食事は、ホットケーキか「そばぬーどる」を選ぶもの。
そばにしてみたら、そば、巻寿司、サラダ、パンという珍妙な取合せ。
座席の目の前がスクリーンで近すぎて目が痛くなる。何か映画をやって
いたが、字幕が中国語。買物のコマーシャルはどういうわけか日本語で流れる。
いい加減いやになった頃にデトロイト到着。ここで降りて入国審査。黒人の係
官の列に並んだが、前の中国人らしき男性に渋い顔でしきりに何か聞いてい
て、びびってしまう。さて自分の番。パスポートとVISA の書類を出すと、黙っ
たままひとつスタンプを押してはぽいと放り投げ、次の書類に何か書き込んで
また放り投げ、最後に肩をすくめておしまい。結局一言もしゃべらなかった。
ピッツバーグ行きの飛行機に乗り換え。だいぶ小さい。乗ってしばらくして、
ソフトドリンクのサービスがあった。何があるのかわからないので、前の人の
まねをして「ぺぷし!」と言うが聞き返されてしまう。2、3回どなっ
てやっと通じた。飲みたくもないペプシコーラを口に運んでいるうち、うっか
りしてコップを落してしまう。通りかかったスチュワーデス(太ったおばさん)
に惨状を指さ
すと、「おー、ゆー、めーす、なんたら」と腰に手をあてて子供を叱るしぐさ。
なるほど、陽気なアメリカ人とはこういうものか。
ピッツバーグには午後4時半頃到着。タクシーでホテルに向かう(ここでも何
回かどならないとホテルの名前が通じなかった)。途中長いトンネルがあって
そこを抜けると大都会だった。摩天楼が目の中に飛び込んできた。
ホテルに着くと、まだ明るかったので、大学までぶらぶら歩いてみた。繁華街
の向うに、壮大な中世風の建物が夕日に映えてそびえ立っていて驚いた。
これがピッツバーグ大学のシンボル「Cathedral of Learning
(学問の大聖堂とでも訳すんでしょうか)」だった。
ホテルから女房に着いた旨の国際電話。2回ほど番号を間違えて通じなかった
のに、後で調べたらその分にも料金がかかっていた。
夕食はホテルのレストランで海老の炒めものみたいなもの。食欲がないのに
量がものすごく、かなり残してしまう。
3月19日(火)
昨日は暖かかったが、今日は少し寒い。
朝、まず国際交流部門の建物に出頭。VISA(クレジットカードではなく査証)
の書類を出してくれたレスリー・アン・スメドレー(Leslie Ann Smedley)
という黒人女性の係官に説明を受ける。
その後、
SLIS(School of Library and Information Science)の建物に行く。
Department of Library Science があるという
6階に登ってうろうろしていたら、白人のおばさんが通りかかった。
しどろもどろで名乗ると、「私がペグ・コーベット(Peg Corbett)よ」と
にっこりしてくれた。住居のことで電子メールで連絡を取り合っていた
秘書の人だ。
同じく連絡を取っていたキャロル・ホフマン (Carol Hoffmann)や
ラスムッセン(Rasumussen)、キメル(Kimmel) 両教授などと顔合せの後、
院生らしき男性の車でアパートを見に行く。
一つは前から連絡のあった
コロナード(Coronado) というアパートで、1
bedroom というのだが、入って10畳くらいの一部屋、他にベッドルームと
ダイニングキッチン、バスルームがあって一人では広過ぎる。
もう一つのアパートはもう
少し狭かったが、結局こちらは最低一年は借りてくれなきゃ駄目とのことで、
選択の余地なくコロナードに決まり。
昼は Cox さん
という Archives が専門の先生におごってもらう。魚のメニュー
があったのでそれにしたら、白身の大きな魚とブロッコリを蒸したのが出てき
た。食べきれない。レストランから戻る途中、雨が降り出した。
午後、キップ・カリア(Kip Currier)という日本語のできる院生(甲南大学に
留学していたとのこと)に SLIS の建物の案内とアパートの契約の手伝いをし
てもらう。家賃は月 500ドル、家具のレンタルが月 64ドル(プラス運び賃 50
ドル)といったところ。
夕方ホテルに帰る頃には雨になっている。
明日はワシントンに飛んで、
ACM DL'96 という
ディジタル図書館の会議に出ることになっている。
ホテルのフロントに電話して空港までのシャトルを予約するが、これがまた
一苦労。こちらの意志が伝わらない。向うが問い返してくる言葉が聞き取れ
ない。あきらめて切ろうかと思ったが、それでは空港に行けない。必死に
単語を並べ立ててようやくなんとか予約が取れた。
3月20日(水)
テレビの天気予報で言ってはいたのだが、雪。
それでも何とか予定通り飛行機でワシントンD.C., ナショナル空港へ。
この時の航空会社は US Air だが、
飲物が小さな紙パックのレモネードで、な
んとなくほっとする。
空港から地下鉄(フランス風に
メトロと言う)で、
ACM DL'96 の会場となっている、ベセスダ
(Bethesda)という郊外の町の、
ハイアット・リージェンシーというホテルに向かう。
受付にいたリンダ・ヒル (Linda Hill) さんと再会の挨拶。この人は
昨年夏に図情大で開かれたディジタル図書館国際シンポジウムで来日
されている。この ACM'96の後でメリーランド大学等を訪問する際、
お世話になることになっている。
この日のプログラムはチュートリアル(基礎知識習得のための講義の
ようなもの)のみ。事前に登録が必要でしかも別料金を取られる
ので、最初からパスと決めていた。
7時からのレセプション(こちらは参加費に含まれている)
で図情大の田畑、杉本、阪口、藤田先生と合流。ピッツバーグ大学
のラスムッセンさんなどの顔も見えるが、つい日本人ばかりで
固まってしまう。立食形式。餃子があって(皮が少し固かった)、
外人にこれは何だと聞かれて返答に窮していたら、中国系らしい
人がダンプリング(dumpling)と言うんだと教えてくれた。
3月21日(木)
ACM DL'96 に出て、発表を聞く。
7時から8時まで朝食。パンやコーヒーなどを自由に取って食べるバイキング
形式で、会議場となる部屋の前に大量に用意されている。料金は会議参加費
に含まれている。
8時からいよいよ本格的にプログラム
がスタート。
昼はホテルの隣のファーストフードの店が寄り集まったようなところで
メキシコ料理。ジュースが多過ぎて飲み切れず、捨てようと思ったが流しや
バケツの類はない。阪口さんが、そのままゴミ箱に捨てればいいんだと教えて
くれる。ぼくも最初はとまどったんですけど、とのこと。
トイレに必ずペーパータオルが備えてあったり、こんな風に使い捨て食器と
残飯をいっしょくたにゴミ箱に捨てたり、アメリカ人の環境保護なんて全然
あてにならないぞ。
夜は大ホールでディナー。
照明を落して、各テーブルにろうそくを灯もし、なかなか豪華な雰囲気。
ここでも肉と魚を選べる。魚にしたらサーモン・ステーキ。まずくはない
が、特別旨いとも思わない。
食後、エール大学図書館の副館長だかの女性のスピーチがあったのだが、
何だかよくわからなかった。
田畑先生の知合いの人が日本から参加していて、同じテーブルについていた
のだが、この人が、今ソフト・シェル・クラブというカニが旬だから食べると
いいと薦めてくれる。
3月22日(金)
ACM DL'96 に出て、発表を聞く。
夕食に図情大の先生方と一緒にタイ料理の店に入る。昨日の宴会で話に出た
Soft shell crab がメニューにのっていたのでこれにする。
子供の手のひらくらいのカニが3,4 匹、まるごと唐揚げになって出てきた。
柔らかくて美味。満足。
3月23日(土)
晴。
朝、国立医学図書館 (National Library
of Medicine) へ。
地下鉄で一駅先の
Medical Center 下車。広大な
National Institute of Health の一角に
ある。
土曜なので面会などの予約はしておらず、単なる訪問。
想像していたより小さい。普通のどこにでもありそうな図書館という印象。
ディジタルカメラで写真をとる。
出ようとしたら警備員に呼び止められ、カバンの中を調べられた。
なるほどここはアメリカなんだと感じた。
NLM は電子図書館関連でも活発な活動を行なっているが、この日の訪問では
それを感じとることはできなかった。やはりちゃんとコンタクトを取って
舞台裏を覗かせてもらわないとだめなようだ。
地下鉄の駅に戻り、そのまま都心へ向かう。
まずは
National Geographic Society。例の有名な
雑誌の発行元だが、ちょっとした博物館のようなものを作って公開している。
子供が多くてうるさかった。[写真]
再び地下鉄に乗り、国立公文書館(National Archives)の前で降りる。腹が減っ
たのでその辺の店に入ってみたら、crab cake なるものを売っている。これに
してみた。カニ肉入りハンバーグのようなものか。なかなかうまい。
昨日の soft shell crab といい、この crab cake といい、アメリカの食物
も捨てたもんじゃない。
国立公文書館は入口に行列ができていたのでパス。
National Gallery of Art に入る。
ここは凄い。数多くの名画の中でも特別扱いになっているのが、レオナルド・
ダ・ヴィンチの "Ginerva de'Benci" (ジネルヴァ・デ・ベンチ?)で、
修復してあって絵の具など輝いているが、これはもう崇高なまでの美しさで、
見ていて涙が出てきた。他にも名画が目白押しで、こんなのが無料で好きな
だけ見られるのだから唸ってしまう。
ワシントンの地下鉄はガイドブックにも書いてあるのだが、ホームが薄暗く、
車内から見ると人がシルエットにしか見えず少々恐い感じがする。
また、すいている。ラッシュアワーじゃないせいもあっただろうが、ほとんど
の場合座れた。
車内で黒人のおばさんがネグロポンテの "Being digital" を読んでいたりして
感心する。
3月24日(日)
晴。
ホテルをチェックアウト後、スーツケースを預けて、再び都心へ。
地下鉄のスミソニアン(Smithsonian) 駅で降りる。この駅はその名の通り
スミソニアンの博物館が建ち並ぶザ・モールと呼ばれる一角にある。
まずはモニュメントという先のとがった塔に登ってみようと思ったのだが、
行列ができていたのでやめて、ポトマック川が大きな池のようになっている
方に歩いてみる。
水の向うにジェファーソン記念館が見えるのだが、そこまで行くには
遠すぎるので、スミソニアン駅の方に戻り、まずは博物館群のうちの
一番端にある Freer Gallery of Art という美術館に入る。
ここは日本を含めた東洋の美術とアメリカの美術を集めて展示している。
隣のスミソニアン・キャッスルの方に歩いて行くと、アラブ系の男が
にこにこしながら近付いて来て、国連のボランティアだと言いつつ、
写真入りの身分証明書のようなものを見せる。
こちらが日本人だと知ると、
阪神大震災は大変だったなどと言う。そして、手にした
資料を見せつつ、実はイランにも大地震があって、多くの子供たちが
悲惨な状況に置かれているのだと説明し出す。
一通り説明し終ると、名前を書いてくれと言う。一瞬迷ったが、
いい美術品を見た後で気分が良かったので、署名くらい何でもない、少々
の寄付もよかろうと軽い気持ちでサインしてしまったのがまずかった。
案の定、寄付をしてくれ、と来たのだが、その金額を見て目を疑った。
一口 100 ドルなのだ。男は日本人もこんなに寄付してくれているとリスト
を見せる。みんな 100 ドル、中には 200 ドル寄付しているのもいる。
どうしてそんなに気前がいいんだ。
こんな金は持ってないと言うと、クレジットカードも扱っていると言う。
まったく何という国だ。
唇をかみながら他の国の人たちのリストも見てみると、50 ドルという数字が
見つかって少しほっとした。100 ドル出してくれと迫るボランティアさんに、
ここにも 50ドルの人がいる、私は貧乏でこれ以上は出せないと頑張って、
なんとか 50ドルにまけてもらった。
ボランティアさんが VISA カードを複写紙の下にあててボールペンでこすり、
支払の証書を作るのを無念の思いで見つめた。
これが果して本当に国連の活動の一つで、本当にイランの子供たちの医薬品
購入に当てられるのか今もって不明だが、見せられたパンフレットや身分
証明書は本物っぽかったし、VISA の引き落としも人権何とか協会(ロサンゼ
ルスにあるというのがよくわからないが)というそれっぽい名前の団体から
になっていた。
すっかり暗い気分になってスミソニアン・キャッスルの中をうわの空で見て、
外に出てみると、先ほどのボランティアさん、次の餌食を求めて芝生をうろ
ついていたが、こっちを見てにっこりして手を振る。やれやれ。良いことを
したのだから(ボランティアさんの話が本当ならだが)、落ち込むことは
ないではないか、と自分に言い聞かせつつ自然史博物館(Museum of Natural
History)に入る。
ここで面白かったのは、ガラス張りの部屋で展示品の化石だか何かの
修復作業を実演しているのだが、その作業員のお兄さんのすねに
恐竜の刺青があったこと。
売店で蛸のぬいぐるみや化石の標本などをおみやげに買う。
地下鉄でいったんベセスダに戻ってホテルでスーツケースを受け取って
から再び地下鉄に乗り、グリーンベルトという町(同じワシントン郊外
の衛星都市だがベセスダとは別方向になる)に向かう。
都心を過ぎたあたりでごつい警官が乗ってきてぎょっとするが、防犯の
ために乗り込んできたのか単なる乗客なのか、よくわからない。
白人のおばさんが "I love e-mail" とか大声でしゃべっているのに
また感心したりする。
駅を降りたら田舎町で、タクシーが2、3台いたが、みんな先に乗られて
しまった。どうしようか迷っていたら、一人乗せて出ようとしていた
タクシーが止まって乗れと手招きする。助かった。相乗りでホテルへ
向かう。先客のおばさんは途中のマーケットで降りてそこまでの金額を
支払うが、こっちもホテルまでの金額をメーター通り(プラス・チップ)
しっかり払わされた。運転手丸儲け。どうりで愛想がいいわけだ。
こういうのってアメリカでは許されるのか。
ホテルからリンダ・ヒルさんに電話(勇気が必要だった)。
夕食にしようと思ったらホテルのレストランは休み(日曜は休みなんだ
そうだ)。だいぶ歩いてデニーズを見つけて入る。日本と同じ看板だが、
メニューは少し違う。Catfish なる魚の唐揚げ 9ドル也をクレジットカードで
支払う。
3月25日(月)
晴。
リンダ・ヒルさんに車でホテルまで迎えに来てもらい、
NASA ゴダード宇宙飛行センター
(NASA Goddard Space Flight Center) へ。
さすがに警戒厳重で、入口で名前を書いてバッジをつけさせられる。
最初に図書室を見学。
おみやげにこの(センターのではなく)図書室のロゴの入った鉛筆
やらマグネットをくれた。小さな図書室なのでちょっと驚き。
昼食を所内のカフェテリアでとった後、一旦外に出て、ビジターセンター
訪問。ここはセンターとは別の敷地になっていて、誰でも自由に見学できる。
おみやげに NASA のロゴの入った櫛(プラスチックの安物)など買う。
再び警戒のきびしい所内に戻り、ヒルさんの研究室に案内される。
端末を貸してもらい筑波にアクセスしてみるがつながらない。
ヒルさん、ACM DL'96 で行なわれた Z39.50 に関するチュートリアル
のテキストをコピーしてくれる。会場でかなり高い値段で売っていたもの
なので驚く。
その後、Yelena Yesha という女性とMilton Halem という男性に紹介される。
この二人は5月に議会図書館(LC) で開かれる ADL'96 というディジタル
図書館会議の委員だそうで、出席するつもりだと言ったらパンフレットを
くれた。
夕食はヒルさんに近くの割としゃれたレストランに連れていってもらう。
3月26日(火)
晴。
午前、リンダ・ヒルさんに連れられて、
メリーランド大学。
図書館を少し
見学した後、ライブラリー・スクールへ。ヒルさんはゴダードとここの
二箇所に籍があるらしい。端末を貸してもらい筑波にアクセスしてみる。
今日はつながった。"login:" のプロンプトが出たところでヒルさんが
「イエーイ!」とうれしそうに叫んだのがおかしかった。
大学院生数人に紹介され、一緒にヒルさんの講義を聞く。内容はディジタル
図書館のメタデータに関してで、彼女が参加しているカリフォルニア大学
サンタバーバラ校のプロジェクト・アレクサンドリアでの実例をまじえて
の話だった。院生たちの積極的な発言が印象的。
近くの中華料理店で昼食。Lo-Mein というのがメニューにあったので
ひょっとしてラーメンかと思って注文したら焼きそばだった。
午後、国立農学図書館 (National Agricultural Library) に連れていっても
らう。
ここは WWW でグリーンベルトの近くにあることを知り、電子メールで
行きたいとヒルさんにねだったところ、親切にも手はずを整えてくれたもの。
Coordinator, Electronic Archiving and Publishing という肩書の
ケイン(John D.H. Kane III)さんという男性に案内してもらい、雑誌の
画像入力の現場など見る。さぞかしすごいシステムだろうと期待して
いたのだが、女性職員が一人で
旧式のスキャナー(まもなくミノルタの新しい機械に更新するそうだが)
を使ってこつこつ入力している状態で、やや拍子抜け。
図書館を出ると、ヒルさんも少し緊張していたらしく、コーヒーでも
飲もうと言う。どこへ行くのかと思ったら、ファーストフードの店の
ドライブスルー。1ドル何セントだかの発泡スチロールのカップに入った
コーヒーを車内ですすりながら、のどかな田園風景の中をドライブがてら、
ホテルまで送ってもらう。
3月27日(水)
晴。
12時過ぎの飛行機でピッツバーグに戻るべく、グリーンベルトから地下鉄で
ナショナル空港へ。
空港内の Matsudake-Sushi という変な名前の寿司屋(店員はどうも韓国人ら
しい)で昼食をとることにした。
うどんがあったのでそれにしてみたら、出てきたのを見てがっかり。日本の
スーパーでアルミ容器に入れて売っているインスタント食品と同じ。しかも
具が入っていない素うどん。これで$6以上するのだからひどい。
今から思うとこれがケチのつき始めだった。
新聞を読んでいたら、となりに座っていた黒人がスポーツのセクションを
見せてくれとせがむ。少し驚いたが、どうもこれはこちらでは普通のことらしい。
やがて出発の時間が近づいてきたが、搭乗がなかなか始まらない。
変だと思っていたら、放送が入って何やらレーダーの不調で出発が遅れると
言う。じりじりして待っていたら、次の放送で何やら「キャンスード」という
言葉が聞こえたかと思うと、皆がうめき声をあげて一斉にカウンターに走り出
した。こりゃいかん、キャンセルされちまった、一体どうなるんだろうと不安
を抱きつつ一緒にカウンターに並んで、飛行機変更の手続きを取る。
幸い3時間後の便に振り替えてくれて、何とか夕方にはピッツバーグに到着
できそうだったが、5時を過ぎるのは確実なので、入居予定のアパートの鍵を
うまく受け取れるかどうか心配になってきた。
大学に電話をかけようと思ったのだが、長距離なのに日本のような
テレフォンカードはないようだし、試しにコインでかけてみたら3ドルほど
足りないと言われた。コインはクォーターと呼ばれる25セント
貨なので、12枚も必要なわけだ。やっと見つけた両替機は1ドル替えたところ
で使用中止になってしまうし、コレクトコールを頼んだら「インバリッド・ナ
ンバー」だとはねつけられてしまった(後で大学の電話番号簿を見ていたら、
大学はコレクトコールは一切受け付けないと書いてあった)。
しばらくうろうろしているうちに、両替機がまた使えるようになっているの
を見つけ、喜び勇んで十数枚のコインを電話にぶち込んでダイヤルするが
応答なし。何度も何度もかけ直してみるが、出てくれない。ついには入れた
コインまで、受話器を降ろしても、戻ってこない。なんという国だ。
電話はあきらめて、ピッツバーグについてから、タクシーでアパートに急いだ。
日が長くなっているので、6時過ぎでも明るい。これなら大丈夫かと淡い期待
を抱いたが、やはりアパートに管理人の姿はなかった。入口は常に鍵がかかっ
ていて、鍵のない人は電話で誰かを呼び出す仕組になっている。電話の横に
掲示板があって住人の内線番号が表示してある。これを見て管理人の番号を
呼び出してみるが留守番電話。がっかりしてめちゃくちゃな英語でわけのわか
らんメッセージを残してしまう。この時親切な女性が入口を開けてくれたの
で、スーツケースだけロビーに置いて、大学に向かった。
大学に行ってみてもどうするあてもなかった。秘書のキャロルやペグも既に
帰ってしまっていない。うろうろしているうちにアパートの契約の手伝いを
してくれたキップという院生に出会った。彼に事情を話したところ、親切にも
ホテルに電話して宿泊の手続きをしてくれ、車でスーツケースを取りに連れて
いってくれた。かくして何とかねぐらは確保できた(高かったけど)。
キップには感謝の言葉もない。
3月28日(木)
雨。
朝、ホテルにスーツケースを置いたまま SLIS へ行き、キャロルとペグに
事情を話す。
二人はシーツや食器を用意してくれていて、車でこれを運ぶついでに、
ホテル経由でアパートへ連れていってもらう。
今日は管理人のおばさんもちゃんといて、「私はここに住んでいる。
昨日あなたのスーツケースがあるのを見たから、来てるなと思った。
入口の電話で呼び出してくれればよかったのに」
というようなことを言うのだが、ちゃんとかけたのに留守番電話だった
のだ。
部屋にはレンタルで手配したベッド、テーブルと椅子、テレビがすでに
置いてある。テレビは韓国製で、アンテナのせいかまともに映るチャンネル
は3つほどしかない。
大学に戻って、メインライブラリーである
ヒルマン図書館(Hillman Library)
の中の東アジア図書館(East Asian Library)を訪問。野口さんという日本人
女性の司書の方に会う。また、同じ階に日本情報センター (Japan
Information Center) という部屋があり、ここで幸田さんというやはり日本人
女性にいろいろ教えていただく。組織上は幸田さんの上司が野口さんとのこと。
その野口さんに、夜、カーネギーメロン大学のハント図書館(Hunt Library)
で開かれたパーティーに連れていってもらう。
これは貴重書室(超豪華)の隣の展示ホールで "Japonica Magnifica" という
イギリス人の画家が日本の植物を描いた画集の原画展をやっており、
その記念ということらしい。日本からピッツバーグ大学に留学中の女子学生
さん(名前を失念。失礼)も同行し、野口さん所有の琴(わざわざ日本から運ん
だそうだ)を演奏。
展覧会場に料理が用意され、飲み食いしながら絵が見られるのに驚く。
日本の短歌だか詩だかを書いた色紙がさかさまに展示されていたのがご愛敬。
琴を演奏した女子学生さんに、歩いていける距離に植物園があって、そこに
日本庭園(何か感じが違うそうだ)があると聞く。そのうち行ってみよう。
3月29日(金)
曇。
大学のブックセンターで地図と雑誌を買う。
ヒルマン図書館に自動貸出装置
が2台置いてあったので使ってみる。以前、筑
波大図書館にもデモに来た 3M の製品。なかなかうまくいかず、まごついて
いたら貸出カウンターの人がやって来て教えてくれた。なんのことはない、身
分証明書を裏返しに置いていたせいだった。
3月30日(土)
晴。
アパートの1階にあるコインランドリーで洗濯。クォーターと呼ばれる 25セン
ト貨を3枚(つまり 75 セント)、引出しのような器具のスロットに差し込ん
で、がちゃんと押し込むと動く仕組。乾燥機も同じ。両替機なし。つまり
洗濯をするためにはクォーターをためこんでおかなくてはならない。
アメリカに来てそんなに間がないが、このクォーターがないと
非常に不便だということが実感される。
一緒になったおばさんが、親切に使い方を教えてくれる。水温をボタンで選ぶ
のだが、"Hot" にすると本当に熱湯が出てくる。一方 "Warm" はあまり暖
かくない。だから、"Hot" を押しておいて、時々 "Warm" ボタンを押すといい
のだそうだ。
洗濯終了後、天気もいいので、一昨日聞いた植物園、フィップス・コンサーヴァト
リー(Phipps Conservatory)に行ってみる。これは大学のすぐ隣のシェンリー・
パーク(Shenley Park)という広大な公園の一角にある。
ついでに昼飯もそこで、と思ったら、食べ物を売っている店など全然ない。
植物園はガラス張りの温室でかなり大きい。入場料5ドル。
まあ美しい花が咲き乱れて結構なのだが、男一人で行くところじゃない。
腹を空かせて店が並んでいる通りまで戻り、中華料理のファーストフード店で
エビチャーハンをむさぼり食う(5ドルくらい)。
公園、大学に隣接してザ・カーネギー(The Carnegie)と呼ばれる、
博物館、美術館、ミュージックホール、公共図書館が合わさった巨大な建物がある。
そのうちの図書館(
Carnegie Library of Pittsburgh)に入ってみる。
建物自体は古くて伝統を感じさせるのだが、オンライン目録端末の他、
CD-ROM や Netscape が使える端末も並んでいたりして、さすが、と感心する。
帰りに若者に人気があるというウォルナット・ストリート(Walnut Street)
に寄ってみるが、別段どうということもない単なる商店街。
3月31日(日)
晴。
カーネギー博物館に入る。博物館、美術館共通で5ドル。
最初に博物館を見る。どこにでもある科学博物館という感じだが、
鉱物の展示が凄い。照明を落して薄暗い中に、数多くの宝石の
原石が光り輝いている。
美術館の方もなかなか充実。
特別展として浮世絵を始めとする日本美術の紹介をやっていた。
この美術館の収蔵品らしい。
ピッツバーグなんぞという町にこんなコレクションがあると知っている
人はそうあるまい、おみやげにカタログを買っていってやろうと
思ったら、まだ出来上がっていないとのこと。いい加減なものである。
仕方がないので常設展示のカタログなどを買う。
疲れ果ててアパートに帰る。
4月 |
5月 |
6月