Readingバトン(西川 博昭 附属図書館長)

Readingバトン
西川先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(元)館長吉武先生中山(前)館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生谷口先生寺門先生和田先生徳永先生菊池先生に続く第26走者として、西川 博昭 附属図書館長から寄稿いただきました。



時間/情報の探検
Pick Up

『時間-その哲学的考察-』滝浦静雄著 ; 東京 : 岩波書店, 1976.3【081-I95-B960】

Book Review
 この本は、誰にとっても自明と考えられる時間について、哲学的な考察を加えたものである。本書の冒頭の時間のパラドックスの中で、絶対時間と常識的時間について言及した後、時間は、さまざまな事物の運動や生成・消滅など、一般に変化と呼ばれるものの原理でなければならないとしている。全般を通じて哲学的であり、ややもすれば難解のように見られるが、私にとっては、いわゆるアインシュタインの一般相対性理論との対比によって、知的好奇心を強く刺激された書の一つである。

『情報の探検-コンピュータとの発見的対話-』坂井利之著 ; 東京 : 岩波書店, 1975.10【081-I95-B944】

Book Review
 この本は、コンピュータと人間とが対等な立場で対話できれば、人間個人の求めているもの、その人自身でも未経験で、確信をもって言えないこと、つまりアルゴリズムもわかっていない問題を取り扱うことができるのでは、しかも、試行錯誤の末になんとか目標にたどりつくのではなく、かなり直線的に求める情報が探索できるのではなかろうかと着想し、それら一連のシナリオを明らかにしてみようと試みている。現在、話題を提供している、人工知能やディープラーニング、ビックデータ解析と基礎としてどのように評価できるかなどの観点から読み進むことをお勧めする。

■次回の更新は9月上旬を予定しています。


Readingバトン(菊池 彰 生命環境系准教授)

Readingバトン
菊池先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(前)館長吉武先生中山館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生谷口先生寺門先生和田先生徳永先生に続く第25走者として、菊池 彰 生命環境系准教授から寄稿いただきました。



スキマの植物図鑑
Pick Up

『スキマの植物図鑑』塚谷裕一著 ; 東京 : 中央公論新社, 2014.3【081-C64-2259】

Book Review
 ちょっとこれまでとは毛色の異なる書籍を紹介させてください。活字と言えば学術論文と報告書ばかりとなっている私にとって、「ブックレビューが出来るのか?」と思いましたが、読書習慣の無い方々に、書籍を手にする機会となればと思いこの本を紹介します。
 日本は緑に覆われた国、何処に居ても屋外なら植物が目に入るのではないでしょうか。しかし、「身のまわりの植物を気に掛けた事はありますか?」植物といえば、庭にある園芸植物や普段食べている野菜類しか思いつかないかも知れませんね。園芸品種や野菜は人の手により改変されたもの達ですが、身のまわりにあるいわゆる「雑草」と呼ばれる草花は自然体。しかし、かれらも随分と人間の影響を受けています。名もない小さな雑草にも名前があり、しかもそれらの中には海外から日本にやってきて定着したものもあります。担当講義の余談で、「身近な生き物に目を向けてください」と雑草などを紹介していますが、この本を見つけた時には「やられたぁ・・・」と思いました。
 この本は「**図鑑」となっていますが、小難しい図鑑ではなく、その植物に関する「へぇ〜っ」って言う説明が付けられていますので、小説好きな方々も気分転換にいかがでしょう。雑草に限らず、ともかく「スキマ」にある植物に目を向けたものなので、皆さんがよく知ったものも含まれているはずです。植物科学の専門家が書いたものなので、学術的な側面もちょっと入っていますので知識を深める入門書としても良いと思います。
 この本を手にとって、身近な雑草を見てください。きっと「雑草」が名前のある「植物」に変わってゆくと思います。身のまわりにある生き物、特に植物に目を向けると、季節の変化が見えてきます。それに気づくと、毎日がちょっとだけ楽しくなると思います。そして、本から知識や情報を得る楽しさがわかると新しい自分を見つけられるかも知れませんね。

■次回の更新は調整中です。


Readingバトン(徳永 幸彦 生命環境系准教授)

Readingバトン
徳永先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(前)館長吉武先生中山館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生谷口先生寺門先生和田先生に続く第24走者として、徳永 幸彦 生命環境系准教授から寄稿いただきました。



偶然の科学
Pick Up

『偶然の科学』ダンカン・ワッツ著 ; 青木創訳. 早川書房, 2012.1【301.6-W49】

Book Review
 科学的説明からは、歴史的側面は極力排除すべきことになっている。しかしながら、この歴史性の魅力に我慢できなくて、前世紀に1本だけ、この言葉をタイトルに含んだ理論論文を書いた。結果は散々で、10年余りの間、誰からも引用されなかった。しかし、2000年を越えた辺りから、ぽろぽろと引用が始まった。

 何故、目の前の現象が起こっているのか、科学者でなくても人々は何がしかの説明を試みる。しかしながら著者のワッツは、「モナ・リザが人々を魅了するのは、モナ・リザが芸術的に優れているものを持っているからではなく、人々が魅了されるようになったからである」という解釈を投げかける。我々の善悪や公平、優劣の判断は絶対的なものではなく、文脈や歴史、社会的環境が偶然に規定した制約の中で、これまた偶然に決まっていると解釈する。いや、偶然に決まっているという観方をまず受け入れてから、その上で科学的推論や解釈を試みることを推奨している。

一見非科学的にもみえるこの姿勢は、ネットワーク科学を駆使した実験に裏打ちされた主張でもある。そのネットワーク科学にはびこる常識にも、著者は懐疑的である。例えば、ネットワークの中において、スーパースプレッダーやインフルエンサーだと考えられる「特別な存在」の影響は、思ったよりも小さい。だから、ネットワークのアウトプットに対する妥当な予測を得たいならば、反常識を培い、実験をしかけ、測定不可能と思っていることを測定するべきであると主張している。

 世の中ネットワークだらけである。この本は、様々なネットワークの柵を紐解くためのヒントを、そして何よりも覚悟を与えてくれる。私も、自分の歴史性についての論文の引用が、近年突然始まったのは何故か、反常識を駆使して詮索してみようと思う。

■次回の更新は1月中旬を予定しています。


Readingバトン(寺門臨太郎 芸術系准教授)

Readingバトン
寺門先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(前)館長吉武先生中山館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生谷口先生に続く第22走者として、寺門臨太郎 芸術系准教授から寄稿いただきました。



死都ブリュージュ
Pick Up

『死都ブリュージュ』ローデンバック作 窪田般弥訳. 岩波書店, 1988【081-I95-R578-1】

Book Review
 1988年3月末のことと記憶している。15世紀のフランドル絵画を研究対象として大学院の三年目を迎えようとしていたわたしは、書店で数冊ずつ平積みされた岩波文庫の新刊のひとつに目をとめた。表紙に大書された「死都ブリュージュ」というタイトル。わたしは間、髪をいれず一冊手にとった。恥ずかしいことに当時のわたしは、かつて永井荷風も愛読したという、その19世紀末のベルギー象徴派の作家で詩人のジョルジュ・ローデンバックの名も、彼の代表作『死都ブリュージュ』(仏語初版1892年)も知らなかった。ともあれ、わずか190ページほどのその小説は、わたしが題名に惹かれ手にとったその時から、最も思い入れの強い一冊となった。
 北海から引かれた運河によって内陸港が整備され、またブルゴーニュ公の宮廷がおかれたことで商業と文化の中心として後期中世を謳歌した都市ブリュージュは、透明感のある鮮やかな色彩と静謐な緊張感、そして精緻に再現描写された細部の表現に特徴をもつ15世紀のフランドル絵画の拠点のひとつだった。だが、その都市は16世紀の幕開けを待たず、流入蓄積した土砂で港が埋まり、ほどなく主役の座をアントウェルペンに譲ったまま活力を失い、まさしく死せる都市となっていった。そのブリュージュが息を吹き返したのは19世紀の末であり、ローデンバックのその小説こそ、死した都に人びとの関心を集め、再興するきっかけとなったのである。
 最愛の妻に先立たれ、悲嘆に暮れて抜け殻のように余生をおくる男ユーグが、亡き妻にうりふたつの女と出会うも、妻の面影と内面とをその女に求めつづけるあまり、さいごにはその首を絞めて物語には幕が引かれる。世紀転換期に特有のメランコリックで神秘主義的な情調。頽廃と孤独の気分。死をめぐる葛藤といらだち。劇中ところどころで主人公の心を洗う輝かしい色彩をもった往時の絵画芸術と、冷たく灰色に染められた無彩色の死都は、それぞれがユーグの心情を具象化している。
 1988年12月、ベルギー王国フランドル語圏政府の給費で、かつてローデンバックも学んだゲントの大学に留学したわたしは、薄暗い曇天の日の午後に思いつきで列車に乗り、ブリュージュにむかった。はじめて訪れた往時のフランドル絵画の聖地は、灰色の石畳を冷たい霧が濡らし、クリスマス直前だというのに人通りの少なく細い路地にユーグの暗い背中が現れそうな、死の都そのもののように映った。しかし、ひとたび美術館に入るや、そこにはヤン・ファン・エイク、ハンス・メムリンク、ヘラルト・ダーフィトなど、色彩の光輝を発する珠玉の絵画が居並ぶ。まるで三連形式の祭壇画の、モノクロームの外翼を開くと現前する内翼のポリクロームがなす対比。ローデンバックが男やもめに語らせた死都の街路のありさまを彷彿させる、そんな霧にむせぶ冬の夕刻を自分が過ごしているということと、念願の絵画作品を眼前にしたことは、まだ25歳だったわたしにとっては至福のよろこびだった。
 繁栄を享受した昔日に等しく「北のヴェネツィア」という異名をとり、年間をとおして引きも切らない観光客を招き入れる商業都市となった現在のブリュージュには、少なくとも30年近く前までは残っていたモノクロームのくすんだ光を見いだすことはむずかしい。しかし、わたしは今も調査のためにブリュージュを訪れるさいには、すっかりくたびれた岩波文庫の『死都ブリュージュ』を持参する。15世紀のフランドル絵画とそれを生み育んだ時代。いにしえの絵画を近代的な美術史記述の俎上にのせた世紀転換期。ふたつの異なる時代にわたしを運びだすための手引き書として、ローデンバックの小説はわたしの手を離れることはない。

■次回の更新は11月上旬を予定しています。


Readingバトン(谷口陽子 人文社会系准教授)

Readingバトン
谷口先生

Readingバトン-教員から筑波大生へのmessage-
山田(前)学長波多野(前)館長吉武先生中山館長秋山先生渡辺先生五十嵐先生森先生野村先生松本先生永田学長池田先生守屋先生佐藤先生外山先生唐木先生青木先生梅村先生関根先生稲葉先生に続く第21走者として、谷口陽子 人文社会系准教授から寄稿いただきました。



日本の「境界」 : 前近代の国家・民族・文化
Pick Up

『日本の「境界」 : 前近代の国家・民族・文化』ブルース・バートン著. 青木書店, 2000.4【210.04-B27】

Book Review
 「グローバル化」?いまさら、時代遅れの言葉に感じます。
 もしかすると歴史の授業で教えてもらわなかったかもしれませんが、私たち日本人のミトコンドリアDNAや(男性だけにある)Y染色体には、バイカル湖周辺、北東アジア、東南アジア、長江流域、黄河流域、韓半島、いろいろなところの記憶が残されています。中国や韓半島その他での戦争や政変で追われた難民や、新天地を求めた移民たちが、数千年来(いまでも)、つぎつぎと日本列島にやってきては共生し、融合して、「日本人」になってきました。遺伝子レベルで考えれば、もともと潜在的に日本人は極めて多様で、グローバルな存在といえるでしょう。
 さて、お薦めしたいのは、『日本の「境界」-前近代の国家・民族・文化-』(ブルース・バートン著2001年)。考古学的な最新成果が反映されていないなど少し古い本ではありますが、アメリカ人の日本古代史の専門家が、考古学や民族、言語、文化、政治などの事例を用いて、欧米の歴史・社会理論に基づきわかりやすく、しかし大変面白く「日本」の「境界」について論じた書籍です。いま、日本の国境について周辺諸国と揉めていますが、本来、日本の国境はさまざまな要因により「その位置においてもその性質においても極めて多様」であり「ぼやけた」存在であったことを、ハヤトやエミシ、浄-穢、琉球・朝鮮・蝦夷地、エスニシティなど古代・中世・近世の事例を自在に挙げて説明しています。基本となる「境界」の概念には、「バウンダリー」:線的で内向きなものと、「フロンティア」:外向きで領域的な概念の二つがあり、日本の国境とは何か、その変化のありかたを、政治や経済、ワールドシステム論、ネットワークの視点から、「境界」がいかにその時期の政治の求心力や「対抗する勢力」の存在如何によって変化するのかダイナミックに論じていきます。ところどころに、アメリカ人である著者による「外」からの視点を感じるかもしれません。
 日本列島には残念ながら冶金や顔料づくりのための金属資源やそれを加工する技術がほとんどなく、古来、青銅器、鉄器、ガラスなど威信財や大量品獲得のために、周辺地域からさまざまな原料や製品を直接的・間接的に世界各地から入手してきました。日本列島は、たとえ鎖国下にあっても、意図的ではないにせよ、数千年にわたってグローバルなネットワークの一部に組み込まれていたと言えるでしょう。したがって、(当然ですが)したたかに、そして柔軟に、「フロンティア」を介して周辺地域と関係を結んでいたはずです。
 皆さんには、知の領域において、既存の「定説」の呪縛から解放され、私たちの来し方、歴史や社会、そしてこれからについて自由に思索をめぐらしてもらえたらと願っています。マルチスケールな視点から事象を楽しむ力、面白いと思う力を涵養できる1冊ではないかと思います。

■次回の更新は10月上旬を予定しています。