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研究と図書館

杉下 靖郎

 研究を推進するには,図書館の資料が不可欠であることは言うをまたない。
 人間のする事は,歴史の上の積み重ねである。特に自然科学の研究はそうである。先人の仕事を受け,それを基盤として,その上に自分の仕事を積み重ねる。そしてその総てを次の時代へ譲り渡す。また,同時代の研究者の間では互いに情報を交換し,切磋琢磨して全体としての研究が進んで行く。このように,今までに得られた業績を知るために文献が必要であり,それらが掲載されている書籍,雑誌を総て自分で所有することは不可能であるので,そのために図書館の存在が必要となる。特に自然科学の分野では,自分の研究に関係の有る論文を中心に読むので,その傾向が強い。

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 研究には,独創性がなければならない。自らの研究の成果を出して勝負をしなければならない。自らの発想に基づき,自らの独創性ある結果を出さなければならない。他人の模倣であってはならない。日本の自然科学の歴史を見ると,現在有るものは西洋で生まれた自然科学であり,それは,江戸時代の鎖国の頃のオランダを通じて入った僅かのもの以外は,殆どが明治になってから輸入されたものであり,そのため日本の自然科学の研究は,独創的というよりは,西洋の後を追うものが多かった。例えば,日本では最初の仕事であっても,外国では既に行われているというものがかなり有った。その傾向は長く続き,そして昭和の始めに至って或る程度進んでいた日本の自然科学も,終戦の打撃により,再び欧米のレベルから大きく引き離され,それに追い付くために,また多くの歳月を要した。それ故日本の自然科学の研究は体質的に独創性に乏しかった。
 また,世の中には文献をよく読み,博学で他の人の研究に対して批評をよくする人があるが,それだけでは評論家であって,研究者ではない。研究者と評論家とは異なるものである。研究者はその研究の為に文献を読まねばならない。それを基盤にして自分の研究を進めなければならない。しかしその文献の中で溺れてはならない。その中から自分の道の糸口を見つけ,新しい道を作らねばならない。ゆえに,常に少し離れて読まなければならない。
 戦前の日本の医学の研究の中で,世界に誇ることの出来る独創的なものの一つに,赤痢菌の発見がある。その発見者である志賀潔博士が語った言葉がある。「研究を始めるには文献を調べずに先ず自分の考えで実験をすること。一段落したところで文献を調べていった方が独創的な研究を展開できる」。誤解されると困るので付け加えるが,新しいアイディアを浮かべるためには,何もなくて唯考えていても何も思いつかない。基礎にその分野の正しい知識があり,最近までどのような論文があるかを知らなくては,その分野の独創的な考えを思いつくことは出来ない。そのために常に論文を読んでいなければならない。模倣するために論文をよむのではない。

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 近年,図書館のシステムが,利用者にとって非常に便利になった。コンピュータの応用のお陰であろう。或るテーマ,或る著者で索引をすると,たちどころにリストが現れるのは非常に有り難い。我々が若い頃,苦労して文献検索をしたのを思い出すと隔世の感がある。さらに,図書館に行かないでも自分の部屋でそれを知ることが出来る。抄録も出て来る。唯,漏れ聞くところによると,そのために,その抄録のみを読んでその論文全体を読んだことにしてしまう人があるという。これは危ない。抄録は方向付けに過ぎないのであるから,それで興味の有るものは全文を読むことを怠らないようにすべきである。

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 もう一つ,若い人,特に学生に注意しておきたい。図書館の閲覧室は,静かに本を読むところである。ところが,普通の大きさの声で談笑している者が,時に居る。注意をすると,にやっと笑うだけである。我々が大学に入学した時,図書館の中では静かにしなさいと言われたことはなかった。静かな部屋に入ったら,ここは静かにすべき所だと,感じ取らねばならない。その感覚がなければならない。また,今の学生は子供の時から叱られた事がないから,叱られ方を知らない。

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 とにかく,図書館は我々研究者にとっては,無くてはならないものであり,今後さらに有用なものとなり,その環境が維持されることを祈っている。

(すぎした・やすろう 医学図書館委員会委員長,臨床医学系教授)


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Last updated: 1998/04/08