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心的辞書

王 晋民


 文章を構成する1つ1つの単語がどのように認識されるか,今,認知心理学のホット・トピックスである.
 単語認識に関して,近年,最もポピュラーな考え方として,心的辞書(mental lexicon)という概念がある.これは,脳の中に辞書のようなものが存在し,語彙項目(見出し)にアクセス(接近)し,そこから情報を引き出すことで単語が認識されるという主張である.  心的辞書は,実は,他の長期記憶と同じように大脳皮質細胞の活性化パターンであり,心的辞書とはメタファーである.形は異なるが,以下のように普通の辞書と共通する点も多い.
 @普通の辞書には,言葉の書き方(異体字も含む),言葉の定義,使用法,そして読み方などの記述がある.心的辞書に関しても同様に考えられている.単語に関する形態情報,音韻情報,統語情報,そして意味情報が貯蔵されている.
 A辞書には,例えば「新明解国語辞典」や「広辞苑」などいろいろな種類がある.異なる辞書は,見出し数も違うし,解説も微妙に違う.心的辞書には個人差がある.なぜなら,心的辞書は学習によって形成されるからである.学習された単語が脳内に登録されて心的辞書の語彙項目数が増え,内容も充実される.学習の個人差から心的辞書における個人差が生じてくる.また,学習する言語によって異なる心的辞書が出来上がる.母国語が日本語であれば,日本語の心的辞書を持つことになるが,バイリンガルの場合,それぞれの言語に対応する2つの心的辞書を持つ.
 B普通の辞書の場合,載っていない単語を調べることはできない.同様に,心的辞書も見出しがなければ,その単語の認識は不可能である.
 C普通の辞書において見出しは大体の場合読み順で印刷されるが,心的辞書では意味的な類似度で組織化されている.形態的に似た言葉や発音が似た言葉がどのように組織化されているかについても研究が行われているが,まだ定説がない.
 さて,心的辞書を利用して,我々がどのように単語を認識するのであろうか.
 普通の辞書で単語を調べる場合は,単語の形,または発音により探し,辞書にある見出しとマッチングすることで該当の項目を同定し,辞書からその単語に関する情報を得る.これと同じように,心的辞書における単語の認識は,文字という目で見る物理的刺激と辞書にある項目をマッチングする.例えば,イギリスのMortonが提唱したロゴジェンモデル (logogen model)では,ロゴジェンと呼ばれる語彙項目と単語の物理的特徴の一致度が計算され,一致度の最も高いロゴジェンが該当単語として決定される.
 様々な単語認識の実験結果により,視覚情報から直接単語を認識する説,音韻情報を介して間接的に認識する説があり,最近の傾向として,これらを統合したモデルが有力である.また,単語の熟知度が単語認識と深く関わっている.よく使用されている単語ほど認識が容易である.最近,単語の一部(例えば,漢字の旁や偏,二字熟語の各漢字等)の位置と頻度がどのように単語全体の認識に影響を与えているかも検討されている.心的辞書に関する研究は益々面白くなる.


Mental Lexicon, by Jinmin WANG
本学講師