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エッセイ

盗人にも三分の利

吉田政幸

 あまり自慢にはならないが,わが家はこれまで4度も泥棒に狙われた.うち2回はまったく気が付かずにやられた.他は入られる前にたまたま泥棒を見つけて事なきを得た.「泥棒よ!大したものもない家に入るなんて,見極めができていない.アマだね」
 悔し紛れのこんな科白はさておき,実際に泥棒に入られた経験によると,何となく部屋の様子が普段と違っていることにまず気がつく.それから「奇怪しいぞ」と思って調べてみて,初めて金品が無くなっているのが分かり,「やられた」と言うことになる.
 盗まれたものが金品であれば,このように盗まれたのが直ぐ分かる.ところが,情報となると,そうはいかない.盗まれても減らないし,いつ盗まれたのかも分からない.盗人は安全である.そんな訳で世の中には情報専門の盗人がいる.
 人様の書いた本を著作者や出版社に無断で勝手に複製・販売するいわゆる『海賊』もこの手の部類に入るだろう.『海賊』は戦後の一時期大変活躍したが,今ではほとんどいなくなったようだ.
 昨年の春のことである.学生の頃にいささか関わりがあった『海賊』に電車の中でたまたま出会った.何十年ぶりのことである.
 相変わらずお喋りで,会うと早々,「足を洗って,今は隠居している」と言った.もっぱら聞き役にまわって,適当に相づちを打っていると,話があっちこっち飛んで,ついには図書館の話になった.「図書館は一冊の本を何人もの人に著者にだまって貸しているねえ.そうなりゃあ本は売れないし,著者には印税が入らない.著者にとっちゃあ図書館は『海賊』のようなもんだね」と,いささか気になることをのたまった.降りる駅がきて,話はここで終わってしまった.
 一人残された私は,彼の言ったことが頭の隅にずっとひっかかっていた.筑波大学図書館の大庭一郎さんに会ったついでに,このことを話したところ,「公共図書館が整備され,個人で本を買わなくなったイギリスでは,著者は印税が入らず,困っているようですよ」とイギリスの事情を教えてくれた.元『海賊』が言っていたことは半分本当だったのである.さらに親切にも,後から関係する資料を送ってくれた.
 それを読んで,わが国では図書館で購入される図書が年間発行部数の1%程度と低く,今のところ著者側からこのことは問題にされていないようだが,図書館界ではすでに議論に上っていることを知った.さらに,かの国では,公共図書館が貸し出した図書の著者に国家が補償金を支払っていることや,現在ではこの補償金を,公共図書館で図書を自由に利用できる権利の保証金と解釈していることなどを学んだ.
 大庭さんに話したせいでこんな勉強ができた.有り難いことである.これも元はと言えば,元『海賊』に出会ったせいである.
 ところでわが家に入った泥棒は,祖母が寝ている間に枕元の箪笥の引出しから祖母のへそくりを盗んだ.常々祖母は「眠れなくて困る」とぼやいていたが,実際は泥棒が入ったのも分からぬほど良く眠っていたのである.この事件があったせいでそのことが分かり,祖母もそれからは「眠れなくて困る」と言わなくなった.
 あれもこれも盗人のお陰と思えば,「盗人にも三分の利」があったように思えてくる.


本学・副学長
A little bit of benefit from thieves, by Masayuki Yoshida