2.6 大学図書館と情報処理センターとの連携

千葉大学附属図書館長

土 屋  俊

はじめに

以下においては、大学において附属図書館と情報処理センターとがどのように連携することが学術、研究、教育活動にとって望ましい結果を生むことができるかについて考察する。そのために、大学設置基準上も必須となっている附属図書館と比較していわば「新参者」である「情報処理センター」とは何かについて概観し、情報化、電子化が大学全体にとって急務となっている現在、その種の組織が現在かかえている問題を検討する。またとくにその中で今後一層の推進を図るべき附属図書館における電子図書館的機能について情報処理センターがもつ機能、資源がどのように貢献するかについて検討する。さらに、附属図書館と情報処理センターとの緊密な連携は、大学内における情報環境全体の状況、そしてその運営方法に大きな影響を与えざるを得ない。その展望を概観して結論に代える。

図書館と情報処理センター等との連携については、すでにさまざまな試みがなされつつある。そのなかでも重要な事例は、慶應義塾大学の「メディアセンター」、立命館大学の「総合情報センター」、大阪市立大学の「総合学術情報センター」、東京大学の「情報基盤センター」などである。これらの試みは、いわゆる情報処理センターと大学図書館とがたんなる「連携」を越えて、組織として融合、統合を行ったものであり、その成否についての判断はさらにしばらくかかるものと考えられるが、いずれも、1990年代になって展開した構想であるという点で共通している。1990年代は、いうまでもなくインターネットの普及とそれを契機とするいわゆる「IT革命」と呼ばれる大変革の時期であった。情報の収集と提供を職務とする図書館がその大変革と無縁でいることは当然不可能であったが、それまでの計算機のイメージからその進歩が図書館業務に対してたんなる自動化、電算化以上の意味を持つということは想像を絶したものであった。他方、「情報処理」を専門とする「情報処理センター」にとっても、この大変革はいわば「黒船」であり、みずからの発展の延長上に万全の準備をして迎えたものではない。このような事情を理解するために、ここでは主として、情報処理センターとはいかなるものかという検討を行いながら、これからの大学における情報のインフラとコンテンツとの有機的運用の姿を展望することとする。

計算機技術の発展と「情報処理センター」

「情報処理センター」と総称される種類の大学内の組織は、元来、学内で共同利用する計算機を運用することを目的として発生したものがほとんどである。この事情を理解するために非常に概括的に計算機の発達史を振り返ってみよう。

いわゆる電子計算機は、1940年代から50年代にかけてアメリカとイギリスで実験的に製作されるようになる。この背景には、1930年代における論理学の発達、1940年代における電子工学の成立、第二次世界大戦における計算への需要(弾道計算、兵站計画、暗号作成・解読、気象予測など)があるが、1950年代半ばには、すでに科学技術計算、EDP(電気的データ処理、のちのOA)などの現実的応用を考慮し、また、トランジスタの発明による高速化、大容量化によってすくなくともアメリカにおいては産業的にも成立するようになる。この時期には、計算機の導入は、もっぱら特定の計算目的のためになされることがほとんどであり、たとえば、日本では物理計算のための計算機、自動翻訳のための計算機などが国立研究所、大学などを中心に設計、製作されるようになる。

私立大学、国立研究所においては企業との協力を行いながら製作、導入されていた。この中で、IBMを中心とするアメリカ企業の優位が確立し、1960年代に至ることになる。この段階で、アメリカ以外の各国が独自の技術を開発することをほとんど断念する中で、日本は電気メーカを中心にアメリカに対抗する計算機技術の開発を目標としてさまざまな研究開発努力を開始し、一部の大学はそのような研究開発の中心のひとつとしての役割を担うようになった。

わが国の文部省による学術情報行政もその端緒は、1966年の東京大学大型計算機センターにはじまり、そのあと旧7帝大に大型計算機センターを設置するとともに、1976年に東京工業大学に総合情報処理センターを、1977年に金沢大学に情報処理センターを設置し、そののち各国立大学に情報処理センター、総合情報処理センターを相次いで設置し現在に至っている。その過程で、1986年に学術情報センターが設置されたことは周知のことである。このようにして、全国共同利用施設である大型計算機センター、(省令による)学内共同教育研究施設である総合情報処理センター、特別施設である情報処理センターが各大学に設置されるようになった。現在それぞれの施設の役割、機能は学術国際局の「学術情報システムの概要」によれば以下のようになっている。

大型計算機センター

スーパーコンピュータ、汎用大型コンピュータ等高性能のハードウェアと多機能、高精度のソフトウェアの整備・管理を行い、科学技術計算、データ処理、学術情報データベースサービス、ソフトウェアの研究開発等を行う。

 

 

総合情報処理センター

 

 

 

 

 

 

 

多様かつ高度な各種計算需要に応えるため、比較的大規模なコンピュータシステムの整備・管理を行い、研究者の利用に供するとともに、ソフトウェアの開発、データの管理等各種支援機能を実施する。

また、図形処理、データベース検索、電子メールなど多様な情報処理教育を行うとともに、プログラム作成相談に応じるなど、一般学生に対するきめ細かな情報処理教育を実施する。

学内ネットワークの管理運用を行う。

 

情報処理センター

中規模のコンピュータシステムを設置し、研究者の利用に供する。

また、一般学生に対する数値計算、グラフ作成等の基礎的な情報処理教育の利用に供する。

しかし、この記述は、残念ながらいわば「公式発言」にすぎない。以上の3種のセンターからなる体系が構想された1970年代と現在とでは、情報処理、情報工学、計算機科学などに関する風土、文化、技術が大幅に変化している。すなわち、1970年代においては、大学で計算機を使用するということは、大型汎用計算機を使用することを意味していた。たしかにIC(集積回路)は、1970年代には製作されるようになるが、大学における基本的な利用形態は大型計算機の共同利用であり、パソコンは趣味あるいは研究レベルでの試作品にとどまっていた。「大型計算機センター」という名前に象徴されるように、レンタルする大型汎用計算機のサイズが3種のセンターを特徴づけているのである。このような事情は、電子計算機借料と運営経費の配分についての基本的考え方からも容易に理解できる。実際、大型計算機センターには、教授を含む1講座分の教官定員が最低限配置されることが原則であるのに対して、総合情報処理センターの場合には、原則として助教授までの定員配置があるのみである。また情報処理センターにいたってはほとんど学内的な処置で人員を確保しているのが実状である。技官定員についても、大型計算機センターとそれ以外では、大幅な違いがあり、全国共同利用機関であることを考慮してもその差は大きい。また、大型計算機センターが設置されている大学には、名称はさまざまであるが学生教育用の計算機センターが高等教育局専門教育課の指導で設置されている。

1970年代にアメリカでマイクロコンピュータが使用されるようになり、さらに80年代に至りエンジニアリングワークステーション(WS)、パーソナルコンピュータ(PC)そして、インターネットの時代がやってくる。この時代を特徴づける大きな変化は、

  1. 計算機を利用する目的が、従来は科学技術計算に限られていたが、コミュニケーションを目的とする利用が普及したこと
  2. 大学における計算機の利用者が、従来は理工系研究者、大学院生を中心とするものであったが、文科系研究者、事務職員をも含むものとなったこと
  3. 計算機の共同利用といっても、センターの端末室に来るのではなく、ネットワークを介した遠隔利用が普及するようになったこと
  4. 「研究」ではなく、学生の「学習」のための情報処理という観点が登場したこと
  5. しかも、情報処理技術者になろうとする学生だけでなく、「一般」の学生に対しても情報処理教育を実施することの必要性が認識されるようになったことである。

このような変化は、大学における情報処理センター、計算機センターの役割に大きな変化をもたらした。これらの変化は、その変化の主要な点について節を改めて議論する。

情報処理センターが直面している問題

1990年代における情報処理センター等の役割に関する大きな変化は、後に論じる「電子図書館との連携、統合」という問題だけでなく、すでにある意味ではさらに重要な二つの問題としてまとめることができる。それは、二つの事実に由来する問題であり、その二つの事実とは、

  1. まず、学生に対する教育が、情報処理技術者あるいは、計算機言語を使用してプログラムを書くような理工系専門家を将来の職種とするような学生に対するものだけでなく、専門はなんであれ、ともかく将来なんらかの職種においてある程度指導的な立場に立つ者、つまり大学を卒業する予定のものすべてに対するものとなってしまったこと。
  2. ネットワークの形態が多様化し、単なる計算機の遠隔利用を支援するだけでなく、計算機の用途をコミュニケーション一般のためのものであるとするようになり、さらに、アメリカ合衆国の政策的判断によりインターネットが一般化することによって、コミュニケーション手段としてのネットワークを学内に対して普遍的に提供しなければならなくなったこと。

以上の二点が背景である。しかし、すでに指摘したように総合情報処理センター、情報処理センターにおける電子計算機借料、教官技官定員はすでに汎用計算機を維持するという段階においてすら、きわめて不十分なものであったにもかかわらず、このようにある意味では、20世紀の最後の10年間を特徴づけるともいえる2つの背景的事実によってさらに、運営上の困難に直面しているということができる。

情報処理教育といったとき、従来は、情報処理技術者またはさまざまな個別科学技術分野において情報技術を応用する者が対象であったのに対して、すべての学生が対象となるため、それまでは自明のこととしてきた数学的基礎知識を利用することができないことになった。たとえば、練習問題として基礎的な定積分を数値的に計算するなどということは不可能になってしまうのである。国立、公立、私立大学を問わず、この一般に「一般情報処理」と呼ばれている教育分野の実現を図ることが平成7年くらいから重要な課題となってきた。しかしその段階で情報処理センター、総合情報処理センターには十分な予算と人員の手当が存在していなかった。しかしながら、事実としては、「情報関係は情報処理センターへ」というスローガンがあっても不思議ではないほど、ほとんどのしわ寄せがセンターに来ることになってしまった。それでは人と金が足りなくなるのはある意味では当然である。とくに1990年代後半では、「IT革命」の掛け声とともに、パーソナルコンピュータを利用できることが「情報リテラシー」という観念で普及し、情報処理センターがその設置において想定していた利用者像は決定的に崩壊することになる。

ネットワークの普及はさらに情報処理センター、総合情報処理センターにとってできれば避けたいが避けるわけにいかない状況をつくりだしたといえる。アメリカ合衆国でクリントンが「国家情報基盤構想(NII)」を提案したのは、1993年のことである。ほぼこの1年後からアメリカでインターネットブームが爆発する。他の先進諸国は、さらに1年遅れて1995年から1996年にかけてインターネットブームに突入する。一方、すでに1970年代から稼動していたインターネット自体は、1980年代に一定の普及を見たものの、たとえば日本では、1992年にいたっても大学をインターネットに接続するということを遠い将来のこととして描いていた大学がほとんどである。したがって、平成5年度以降に補正予算を中心として実施された情報基盤整備政策は、各大学にとっては、一部の大学を除きいわば寝耳に水、晴天の霹靂に等しいできごとであった。そもそもそのような新技術に対応する人材の養成は、学情センターによる研修を除いてはほとんどなされていなかったのである。

このようにして、90年代の日本の情報処理センターは、ただでさえ不十分な予算と人員をもって膨大な教育需要と急速に進歩変化するインターネット状況に対処するという窮地に追い込まれたということができる。

この状況を別の形で言い換えると以下のようになるであろう。またこの言い換えは、図書館と情報処理センターとの学内での立場上の差異を理解するために重要なものであると思われる。図書館は大学の歴史を見ても、現在における大学内の位置づけを見ても、基本的に「ユニバーサル・サービス」が原則である。学生、教員、職員のいずれを問わず、大学の構成員であれば図書館を利用することが許され、推奨される。金額については不満があるにせよ、研究用図書の購入経費、学生図書の購入経費などが概念上は用意されている。図書館を利用するために利用料をとられることはまずあり得ないといってよい。これに対して、情報処理センター、計算機センターは、特定の限られた人たちが利用することという前提の上に設置された。すなわち、大型汎用計算機の利用者である。したがって、利用については受益者負担が原則となる。利用料を払わないで利用することは考えられないのである。現在進行している事態は、この特定受益者負担の原則の変更を迫っているものであると理解することができるであろう。すなわち、情報処理センター、計算機センターのサービスが「ユニバーサル・サービス」化しつつあり、その意味で図書館的サービスに近づきつつあると考えることが可能であり、この点で、従来にも増して図書館と情報処理センターの連携に現実的意味あいが生まれつつあるのである。

以下においては、以上の背景と状況を念頭において、図書館と情報処理センターとの連携の具体的諸相について検討を加えたい。

 

ネットワークの整備と図書館・センターの連携

学内組織の一つとしての図書館はネットワークを利用しなければならない。しかし、ネットワークを利用するといってもいろいろな側面がある。すなわち、

  1. 電子図書館的機能の一環として、図書館が学内、学外の文献書誌情報、全文情報、マルチメディア情報などへのアクセスの出発点となるゲートウェイ機能を実現するため
  2. OPACなどの情報発信機能を実現するために、外部からのアクセスを可能とするため
  3. 図書館のサービスが学内の多地点で提供されたり、管理機能が分散しているために図書館運営に必要な情報をネットワーク経由で相互交換しなければならないため

これらの場合、以上のような図書館によるネットワーク利用形態の複雑性から、一般の部局に対するサービスとは質が異なるサービスを情報処理センターからは期待することが当然であるし、また可能である。情報処理センターとしても、せっかくネットワークサービスを提供する以上、さまざまな形での先進的な利用が促進されることが望ましいからである。しかし、現状における問題としては、そのようなさまざま複雑な利用形態に即したネットワーク設計、機器の調達を図書館の現在の構成員の知識でまかなえるかということがある。このような事情を考えるならば、ネットワークを図書館が利用するという場合には、むしろ、情報処理センターの全学的なサービス提供の一環として構想し、実施することが望ましいと考えられる。

図書館の電算化と情報処理センター

図書館の電算化は、すでに長い伝統を持つ営みであり、現在では、相当程度に実現がはかられているといってよい。とくに、従来、閉じたパッケージとして開発され、利用されてきた経緯はありつつも、現実に予算面、省力化面から、外部インターフェイスがユーザ向きに高機能化してきたこと(たとえば、発注、受入などの段階と目録段階とが一貫して扱われるようになり、発注者が発注の処理の状況を自分でWebページから確認できるとか、貸出情報がOPACの提供する所在情報に統合して表示することが可能となっている点など)は、図書館の電算化が順調かつ望ましい方向にむかっていることを意味するであろう。しかし、現在のところ、このようなシステムは、もともと汎用機でやっていたものをダウンサイジングする際、UNIXシステムではなくWindows NTなどのシステムに実装しているのが実情であろう。これは、依然として科学技術計算を中心的ターゲットとしている情報処理センターサイドから見ると、若干平仄があわないものと思われる。すなわち、連携・統合の一つの形態としてのハードウェアの共用が、かつて汎用機では可能であったのに現状で簡単でなくなっているといえるかもしれない。とくに、データ図書館が図書館業務に特化したソフトウェアシステムを求め、さらに、そのプラットフォームをメーカー、ベンダー側がその時点でのコストの観点から決定するのに対して、科学技術計算では、ソフトウェア遺産が依然として重要であり、OS、ハードウェアアーキテクチャが必要な考慮の対象となっており、さまざまな移植も研究者自ら、あるいはセンター職員の専門知識によって行っているのが実情である。したがって、高度なインターフェイスを持つ業務用、ユーザ用ソフトを有する図書館システムとはなかなか統合しにくいことであろう。

しかし、ユーザそのものの要望に即してみるならば、たとえば科学技術計算をする研究者であっても文献検索をしないわけではなく、文献検索が主たる計算機、ネットワーク利用の目的であるようないわゆる文科系研究者においても、これからは統計パッケージ処理、電子化文書パブリッシングが必要となってくる。このとき、統合的なインターフェイスが提供されるならばそれは望ましいことであり、そのようなインターフェイスあるいは環境の作成には、今まで以上に図書館と情報処理センターが連携しなければならないこと、あるいは共同してひとつのものを作ること、さらには、ひとつの統合的なサービス組織となることが、すくなくともユーザ、利用者の側からは最適なことであろう。

電子図書館的機能と情報処理センター

電子化された資料を管理し、サービスすることが電子図書館機能のもっとも重要な部分であると考えるならば、それは今まで、主として「データベース」という形で大型計算機センター、情報処理センターが行ってきたことである。しかし、近年は、それまでの汎用計算機ベースのデータベースだけではなく、たとえば、かつては紙の冊子という形で提供されていた出版物の中でも、データベース的性質を持つものが図書館の提供物として認識されるようになってきた。そのもっとも典型的なものはCDROMによるデータ提供である。抄録、書誌目録など、資料の更新が頻繁なもの、検索性が必要とされるものはCDROM化され、図書館において最初はスタンドアロン利用形態によって、次にネットワーク利用形態としてサービスが行われるようになってきた。さらに、専門雑誌、一般雑誌がオンラインで提供されるというサービスが導入されるようになってきた。この場合、「雑誌」という以上は、従来図書館が購入してきた雑誌と同じように取り扱われるべきであり、共同の利用に供せられるべきであろうが、出版社サイドのライセンシングポリシーがはたしてそれを許すかは予断を許さない。

しかし、いずれにせよ、オンラインブック、オンラインジャーナルを一方の極として、従来型のデータベースを他方の極とする一連の電子化資料が大学における情報資源として重要な位置を占めるようになってきたことを否定することはできない。では、この一連の電子化資料の系列のどこに切れ目をいれてここまでが図書館の対象であり、ここからが情報処理センターの対象であるということができるであろうか。もちろん、そのようなことは不可能であり、当然この現状は、両者の連携、統合を必要とすることを強く示唆するものである。それだけではなく、さらに、電子化された博物資料や電子化された教材も同様の系列のどこかに位置するものであり、そのような資料を大学内で有効に活用するためにも、もはや図書館と情報処理センターを区別することに意味はないのである。

大学内の情報環境の統合的運営

大学におけるさまざまな情報は学術情報には限らない。大学運営に欠くことができない委員会の開催通知、一定の様式を利用することによって事務の効率化が促進される経費申請、依頼などが電子化、ペーパーレス化されることによって大学の運営は簡素化され、そこで節約された教員、事務部門のエネルギーは大学の本来の機能である教育と研究に振り向けられることになることが期待される。この場合、重要な武器となるのは、計算機を中心とする情報機器であり、その機器が持つべき機能は、文書管理、文書処理、文書伝達など今まで図書館と情報処理センターについて共用、統合が可能なものとして論じてきた機能にほかならない。したがって、図書館と情報処理センターとの連携、統合を考える際には、この側面についても考慮する必要がある。

大学運営のペーパーレス化を推進するためには、大学の業務内容を再点検する必要があり、その点検に基づいて全体設計を行わなければならない。すなわち、学生に着目して整理するならば、たとえば、学生は、授業料を支払い、授業を受け、試験を受けて、成績と単位を与えられ、一定の課程を修了して、卒業し、就職または進学する。これらの過程で、学生は、経理的なデータベース、教務のデータベースが捕捉する対象であり、また、学習については学術的内容のデータベースと紙媒体と電子媒体の資料の利用者である。教員は、授業を行うためにシラバスをオンラインで作成し、配布資料をワープロで編集し、成績をつけ、大学運営のための各種会合に出席し、さらに自らの研究活動をネットワークを使って連絡をとりつつネットワークを使って成果公開する。そして、給与が支払われる。ここでも、教育、研究遂行、研究成果公開のためにさまざまなデータベースを利用し、また、データベースの内容に寄与する。

これらの営為を全般的に電子化するためには、実際には、図書館と情報処理センターの連携などでは不十分である。教務関連の電算化、人事、給与などの管理業務の電算化、予算執行、調達などの経理業務の電算化、大学ホームページの広報活動のインターネット対応などさまざまな局面での電子化と連携していかなければならない。これらの業務をどのように切り分けるかという観点から問題を捉えなおし、そのなかで、図書館と情報処理センターの役割を位置付けるという作業が必要であろう。その点に関しては、たとえば、教員の研究業績をどのような形で大学の財産として統合していくかということを考えるとき、図書館だけでも、情報処理センターだけでも、研究協力課だけでも、あるいは、個々の部局だけでもまったくどうにもならないということは確実であろう。しかし、この問題整理の作業は、実際には内容的に困難であるだけでなく、「文化的」ギャップを乗り越えなければならない。すなわち、図書館の文化と情報処理センターの文化との違いである。これはかなりの部分が歴史的背景によるものであるが、相互に相当の努力を積み重ねて始めて理解し合えるものであると考えられる。しかし、この文化差を乗り越えてこそはじめて、図書館と情報処理センターとの連携は可能となるのである。