「若者たちは、どうにかしてこの件で皇帝を納得させたいと思いました。そこで、第一王子が皇帝に言いました。
「私が気づきましたのは、陛下、いなくなったラクダは片目が見えなかったということです。なぜかと申しますと、ラクダが通った後の道を私たちが歩いておりますとき、私は、道の片側の草がすっかり荒らされ、食べつくされているのに、もう一方の側の草はそのまま無事なことに気づきました。しかしながら、食べられた側の草は、もう一方よりもはるかに味の悪いものだったのです。そこで私は、ラクダは片目が見えないのだと信ずるにいたりました。その目では、良い草があっても見えなかったのです。そうでなければ、まずい草の代わりに美味しい草が残されることは、なかったでしょう」
第二王子が続けて言いました。
「陛下、このラクダは歯が一本ないのではないかと、私は気づきました。道すがら、ラクダが一足ごとに草を噛みちぎった痕を見つけましたが、それにはそれぞれ歯一本分のすき間があったのです」
「陛下」と第三王子が言いました。「私は、いなくなったラクダは、一本の足が悪いと考えました。三本の足の跡ははっきりと見分けられるのですが、足跡から考える限り、四番目の足は後ろの方にひきずっていると気づいたからでございます」
賢明で有能な若者たちに、皇帝は大いに驚きました。そして、あとの三つの特徴もどうやって分かったのか知りたく思い、それも教えてくれと懇願しました。そこで、皇帝の望みをすっかりかなえるべく、また第一王子が言いました。
「陛下、この動物の背中の一方にバターが、他方にハチミツが積まれていたのだろうと気がついたのは、私でございます。道の片側にたっぷり一マイルもの間、絶えることのない蟻の大群を見たのですが、蟻は脂にたかっていました。そして、もう一方の側には信じられないくらいの数のハエがいたのですが、ハエはハチミツをなめるのがとても好きではありませんか」
「一人の女がラクダの背の上にいただろうと思いましたのは」と、第二王子が言いました。「こう判断したからです。ラクダがひざまづいた跡を見つけたのですが、そこに人間の足跡も一つあるのに気づきました。それは女のものか、あるいは子供のものではあるまいかと、私は思いました。そこで、このような方法で確かめました。足跡の側で小用を足した跡を見ましたので、その中に指を入れ、尿の臭いをかいでみたのです。すると直ちに肉欲がわき起こってきました。それで私は、その足跡は女のものであると信じるに至ったのです」
そこへ第三王子が言いました。
「この女が妊娠しているだろうと私が気づいたのは、地面に手の跡が見てとれたからです。彼女は用を足した後、立ち上がるのに身体の重みを手で支えていたのです」
若者たちの言葉は皇帝に限りない驚嘆を与え、皇帝は彼らの才覚を信じがたいほどのものだと思いました。そこで、できる限りのもてなしをし、彼らの並外れた力量に相応しい敬意を払おうと決めました。」(p. 27-29)
「『遍歴』のなかで、もっともよく知られているラクダの話は、ヨーロッパの国々ばかりでなく、おとなりの韓国やウクライナ、セルビアなどの民話のなかにもみられます。日本でも、大正の末から昭和のはじめにかけて、日本の小学校が尋常小学校といわれていたころの、国語の教科書にこの話がでています (小岩昌宏「続 Serendipity とは何か―日本に来ていた『逃げたらくだ』―」『BOUNDARY』第四巻十号、一九八八年、コンパス社)。」
(竹内慶夫「解説」. 竹内慶夫編訳『セレンディップの三人の王子たち : ペルシアのおとぎ話』東京 : 偕成社, 2006 (偕成社文庫 ; 3263), p. 188-201 より p. 192)
「 ホレイス・ウォルポールが読んだ物語は、シュヴァリエ・ド・メリによる『セレンディッポ』のフランス語版『セレンディップの三人の王子の旅と冒険』 Voyages et Aventures des trois Princes de Serendip (一七一九)を、チェトウォドが英語に翻訳した『サレンディップの三人の王子の旅と冒険』 The Travels and Adventures of Tree Princes of Sarendip (一七二二)だったと考えられている。ただし、それは必ずしもクリストフォロの作品を忠実に翻訳したものではなかった(このチェトウォド版を編訳した日本語版が、二〇〇六年に偕成社から出ている)。」
(徳橋曜「寓話とその背景」. クリストフォロ・アルメーノ ; 徳橋曜監訳『寓話セレンディッポの三人の王子 : 原典完訳』東京 : 角川学芸出版(発売元: 角川グループパブリッシング), 2007, p. 221-243 より p. 240)
「チェトウォド版を元にして子供向けに編集されているが、クリストフォロのオリジナルに比較的近い内容を持っている。ただし、オリジナルの月曜日から日曜日までの物語のうち、三話のみが収録されている。」
(徳橋曜「寓話とその背景」『寓話セレンディッポの三人の王子 : 原典完訳』東京 : 角川学芸出版(発売元: 角川グループパブリッシング), 2007, p. 221-243 より p. 242)
「なお、日本で二〇〇四年と二〇〇六年の二度にわたり、異なる二種類の翻訳(バベル・プレス版と藤原書店版)が出版されたエリザベス・ホッジズの『セレンディップの三人の王子』The Three Princes of Serendip は、一九六四年にアメリカで出版された子供向けの作品で、右に触れたチェトウォド版を主に利用しながら、作者のホッジズが書き直したものである。」
(徳橋曜「寓話とその背景」. クリストフォロ・アルメーノ ; 徳橋曜監訳『寓話セレンディッポの三人の王子 : 原典完訳』東京 : 角川学芸出版(発売元: 角川グループパブリッシング), 2007, p. 221-243 より p. 240)
「これらはホッジズによる再話の翻訳であり、クリストフォロのオリジナルとは異なる内容である」
(徳橋曜「寓話とその背景」『寓話セレンディッポの三人の王子 : 原典完訳』p. 242)
「児童を対象として寓話を再構築しており、児童にふさわしくないところは削除するとともに、児童に分かりにくい複雑な部分は簡単なお話として作り変えている。」
(澤泉重一「「セレンディピティ」誕生とその後の展開」『寓話セレンディッポの三人の王子 : 原典完訳』東京 : 角川学芸出版(発売元: 角川グループパブリッシング), 2007, p. 245-259 より p. 258)
「セレンディップの王が三人の王子を旅に出す理由である。ホッジス版では、ドラゴン退治のために仙人の巻物を入手するための旅立ちとなっているが、これは児童に分かるように作り直したものであり、原典では余り釈然としないままに王子たちは王宮から追い出されるという感じである。」
(澤泉重一「「セレンディピティ」誕生とその後の展開」『寓話セレンディッポの三人の王子 : 原典完訳』p. 259)
「『セレンディッポ』の直接の原型と言われるのが、アミル・ホスローの『八つの天国』 Hasht Behesht (一三〇一)とニザーミーの『七人の肖像』 Haft Peikar (一一九七)である」(p. 222)
「「セレンディピティで有名なラクダの物語は、『セレンディッポ』では物語の外枠、すなわちプロローグに置かれているが、『八つの天国』では、これは枠の内側である第二の天国の話、第一の黒の宮殿でインド人の妃が語る、セレンディッポの三人の王子の物語であった。」(p. 225)
「西アジアから南アジアに点在するいろいろな寓話、相互に関連するそれらのいくつものヴァージョンをまとめ直し、独自の工夫を加えたものが『セレンディッポ』なのである。」(p. 227)
「『セレンディッポ』の中に含まれるものと同系統の寓話は、個別には十五世紀以前からヨーロッパに伝わっていた。たとえば、十四世紀イタリアの有名な寓話・小話の集成の一つ、ジョヴァンニ・セルカンビの『小話集』Novelle の第二章は、『セレンディッポ』のプロローグとほぼ同じエピソードを語る物語である。 」(p. 227)
「しかし、ウォルポールがセレンディピティという言葉を生み出してから、第二次世界大戦後にロバート・キング・マートンがこれを再発見するまで、セレンディピティという用語も概念も、人口に膾炙 することはほとんどなかった。他方、『セレンディッポ』の物語、あるいはその中のエピソードは、さまざまな形で流布していった。十八世紀フランスの文人ヴォルテール(一六九四〜一七七八)の哲学小説『ザディッグ』Zadig や、同じく十八世紀のヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィ(一七二〇〜一八〇六)が書いた寓話劇『鹿の王』Il re cervo (一七六二年初演)は、『セレンディッポ』の内容を利用した作品としてよく知られている。」(p. 241)
「バートンがウォートリー・モンタギュー写本から訳した「ヤマンのスルタンと三人の息子の話」(バートン版補遺所収)の前半に登場する迷いラクダのエピソードは、アンソロジー『クイーンの定員 (一)』(光文社) に収録されているヴォルテール作「王妃の犬と馬 (『ザディグ』所収)」や、エーコの『薔薇の名前』の冒頭部で使われているものと同じです。
バートン版の「ヤマンのスルタンと三人の息子の話」は、次のような筋立てになっています。ヤマン(イエメン)のスルタンには三人の息子と一人の娘がいた。スルタンの死後、息子たちは遺産の分配に納得できなかったので、別のスルタンに意見を求めることにした。道中で見つけたラクダの足跡から、そのラクダの特徴を言い当てたのだが、そのラクダが迷いラクダだったため、持ち主からラクダ泥棒とまちがわれてしまう。スルタンのもとに話がとどき、兄弟たちはラクダの特徴を推理した理由を述べる。感心したスルタンは三人に食事を出してもてなす。兄弟たちは食事をしながら、... 。... 。迷いラクダの特徴を言い当てる話はユダヤ教の口伝律法であるタルムードにも登場していますし、「アルフ・ライラ」に関する記事を残したアッバース朝期の文人マスウーディーや、アッバース朝の歴史家タバリーの著作にも出てきます。それだけではなく、セレンディピティ(偶然に何かを見つけだす能力)の語源となった「セレンディブ(セイロン)の三人の王子」という物語中の挿話として、英語圏ではかなり広まっていたようです。」(p. 136-137)
「「ヤマンのスルタンと三人の息子の話」に登場する三人兄弟も訪問先のスルタンの素性を見抜いていますし、バートンがブレスラウ版から訳した「真実の姿を見抜いた王の話」(バートン版補遺所収)では、」(p. 140)
「どちらの話も日本語訳のバートン版には収録されていません」(p. 141)
「物語中では、これらの推理はすべてあたっています。
王子たちや老王の推理の中には、現代人の常識から見れば荒唐無稽としか思えないものもあるのですが、外の様子から内に隠されたものを見ぬくという点では共通しています。」(p. 142)
「(21) ヴァン・デン・ウーヴェル [Heuvel, Jacques van den] によれば、第三章のこのくだりの挿話は、フランスの東洋学者エルブロ・ド・モランヴィル(一六二五−九五)の『東洋叢書』に含まれるコントの翻案である。」(訳注より p. 475)
「モランヴィル
Barthelemy D'Herbelot de Molainville (1625年−95年)
フランスの東洋学者。1661年に東方言語の翻訳などを担当する国王の秘書官に選ばれた。オスマン・トルコの碩学カティプ・チェレビ(1609年−57年)の『カシュフ・アッズヌーン(Kashf al-zunun、「疑問の除去」)』などに基づき、アラビア、トルコなど「東方」に関する知識の集大成『東方文庫または世界事典(Bibliotheque orientale ou dictionnaire universel)』を編纂した。ただし 『東方文庫』はモランヴィルの生前には完成されず、ガランによって完成され、1697年に出版された。この事典は18世紀にも版を重ね、増補版も出版された。
「馬はここを通って右手の小径に入りましたから、そう遠くへは行けないでしょう。どうせ堆肥 置場まで行けば立ち往生するでしょうから。利巧なあの馬のことゆえ、切り立つ崖から落ちるような真似はしないでしょう……」
「いつ、ご覧になられたのですか?」厨房係がたずねた。
「いや、見たわけではない。」(p. 38)
「ブルネッロ? どうして馬の名前までご存知なのか?」
「そんなことぐらい」ウィリアムが言った、「初めからわかっていた。僧院長お気にいりの馬ブルネッロを、あなた方が探していることぐらいならば。こちらの厩 のなかでも一等抜きんでた駿馬、毛並みは青く、丈は五ピエーデ〔一ピエーデは約三十センチ〕、立派な尾、小さくて丸い蹄、しかも疾走して足並みは乱れない。尖った鼻先、耳は細く、目は大きい。右へ行きましたぞ、たしかに。とにかく急いだほうがよい」(p. 39)
「道を歩いていたらろばの足あとがありました。その後ろの右足が小さくて歩幅が他のより短いのです。誰だって後ろの右足がびっこだとわかります。それから道の右側の方は草が食べてあるのに左側はさわった様子もないのに気がつきました。もしも左の方も見えていたなら、そっちの方も食べたでしょう。だからこのろばは左目が盲だということです、もう少しいったら木の枝に粗布製の糸がひっかかっていて、木の下にはからす麦がこぼれていたのです。きっとろばがこの木のそばで止まって体をこすったので、からす麦がこぼれたのです」(p. 300)
「「こうのとりのカリフの物語」は『千夜一夜物語』の「おうむの王様の物語」を下敷きにしていますし、「偽の王子のメルヘン」も『千夜一夜物語』に似たような原話があります。
そうかといってなんでもかでも『千夜一夜物語』ずくめというわけではありません。「幽霊船の物語」は「さまよえるオランダ人(の船)」伝説に基づいていますし、オリエントが舞台の「ファトメを救え」は、いかにも『千夜一夜物語』の一挿話のように見えて、じつはクリスティアン・ヤーコプ・コンテッサという作家の短篇小説「アルマンゾール」にヒントを得ています。「偽の王子の物語」も、大筋では『千夜一夜物語』の原語に拠っていますが、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』やヴォルテールの『ザディク、あるいは運命』、それに一部はグリム童話も借用していることが分かっています。」(p. 228-229)
「 「セレンディピティ」は「当てにしないものを偶然にうまく発見する才能」を意味している。ホレイス・ウォルポールが一七五四年一月二八日にホレイス・マンに書いた手紙の中ではじめて使用した造語である。その着想のもとになったのが寓話「遍歴セレンディップの三人の王子」であり、セレンディップの王子たちが、偶然との出会いの中でいつも好運な発見をすることにちなんで、この才能を「セレンディピティ」と名づけたのである。」(p. 245)
「 この造語から二百年ほどたって、科学の進歩を研究していた社会学者ロバート・マートンは、科学史上の重要な発見の多くが「偶然の発見」に絡んでいることに気づかされる。合理性を追求している科学が、なじみの悪いとみられる偶然に支えられている意外性から、これを説明する概念は理解され難いものとなるように思われた。そして、この概念の説明方法について思考している期間に、別の言葉を調べる機会があってマートンはオックスフォード英語辞典(OED=Oxford English Dictionary)をパラパラとめくることになる。そして「セレンディピティ」という言葉に偶然の出会いをすることになる。」(p. 245-246)
「 この言葉こそ科学の進歩に貢献した概念を説明するためにふさわしいと感じたマートンは一九四五年に「社会学理論」において「セレンディピティ」を紹介して、この言葉が広く科学分野の発見に関わる言葉として使われることになる。この時点では、米国においても「獅子の島を意味するサンスクリット語のセレンディップから造られたセレンディピティと言う語を知る人々はほとんどいなかった」とマートンは述べている。眠っていた「セレンディピティ」をマートンがよみがえらせたと言ってよい。」(p. 246)
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[note]18. ...
"Fruitful empirical research not only tests theoretically derived hypotheses; it also originates new hypotheses. This might be termed the "serendipity" component of research, i.e., the discovery, by chance or sagacity, of valid results which were not sought for.
(Merton, Robert K. "Sociological theory". American journal of sociology. 50(6), p. 462-473 (May 1945), p. 469) |
[注](18) ... 実りある経験的調査は、理論的に引き出された仮説を単にテストするだけでなく、また新しい仮説を生みだすのである。これは調査の含む「掘り出し」要素とでも呼ぶことができる。すなわち、別に意識して求めてもいなかった妥当な結果が、偶然のおかげで、或は賢明さのおかげで発見されるのである。
(「社会学理論の経験的調査に対する意義」. ロバート・K・マートン[著] ; 森東吾 [ほか] 共訳『社会理論と社会構造』東京 : みすず書房, 1961, p. 78-93 より p. 88) |
「みのりの多い経験的調査は、理論的に導き出された仮説をテストするばかりでなく、また新しい仮説を創り出すものである。これは調査の『掘出し』的要素と名づけてもよかろう。すなわち今まで求められていなかった妥当な結果が偶然の機会に、または明敏な頭の働きによって発見されるのである」
(「経験的調査の社会学理論に対する意義」. ロバート・K・マートン[著] ; 森東吾 [ほか] 共訳『社会理論と社会構造』東京 : みすず書房, 1961, p. 94-109 より p. 95) |
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The serendipity pettern refers to the fairly common experience of observing an unanticipated, anomalous and strategic datum which becomes the occasion for developing a new theory or for extending an existing theory.
(Merton, Robert K. The bearing of empirical research upon the development of social theory. American sociological review. 13(5), p. 505-515 (Oct. 1948) より p. 505-506) |
「掘出し」型とは、新しい理論を発展させたり既存の理論を拡充したりする機会となるところの予期されなかった、変則的な、戦略的なデータを観察するという、かなりありふれた経験のことである。」
(「経験的調査の社会学理論に対する意義」. ロバート・K・マートン[著] ; 森東吾 [ほか] 共訳『社会理論と社会構造』東京 : みすず書房, 1961, p. 94-109 より p. 95) |
I must tell you a critical discovery of mine àpropos: in an old book of Venetian arms, there are two coats of Capello, who from their name bear a hat; on one of them is added a fleur-de-lis on a blue ball, which I am persuaded was given to the family by the Great Duke, in consideration of this alliance; the Medicis, you know, bore such a badge at the top of their own arms. This discovery I made by a talisman, which Mr. Chute calls the Sortes Walpolianæ, by which I find every thing I want, à pointe nommée, wherever I dip for it. This discovery, indeed, is almost of that kind which I call Serendipity, a very expressive word, which, as I have nothing better to tell you, I shall endeavour to explain to you: you will understand it better by the derivation than by the definition. I once read a silly fairy tale, called "The Three Princes of Serendip:" as their Highnesses travelled, they were always making discoveries, by accidents and sagacity, of things which they were not in quest of: for instance, one of them discovered that a mule blind of the right eye had travelled the same road lately, because the grass was eaten only on the left side, where it was worse than on the right--now do you understand Serendipity ? One of the most remarkable instances of this accidental sagacity, (for you must observe that no discovery of a thing you are looking for comes under this description,) was of my Lord Shaftsbury, who, happening to dine at Lord Chancellor Clarendon's, found out the marriage of the Duke of York and Mrs. Hyde, by the respect with which her mother treated her at table. I will send you the inscription in my next letter; you see I endeavour to grace your present as it deserves. (p. 365-366)
「ところで私は重大な発見をお伝えしなければなりません。ベネチアの紋章の古い本には,その名前から帽子を被っている Capello 家の人々の二つの紋章があります。その一つは青いボールの上にイチハツの花の紋章が加えられており,それは二家の縁組を考慮して Duke 大公によってその家族に与えられたものと私は信じています。Medici 家は御承知のようにその紋章の上にあの記章をつけています。Chute 氏が Walpole の『運』と呼んだ魔力によって,私はこの発見をしました。それは私が探し当てようとしていることなら,何でも運よく見付けさせてくれるのです。この発見は実に,非常に意味のある言葉で,それをうまくあなたに伝えられませんが,私が偶然の発見 Serendipity と呼んでいる種類のもので,何とかうまく説明しようと努力してみましょう。あなたはその言葉をその定義によるよりも,語源によってよりよく理解することが出来るでしょう。私はかつて Serendip の三人の王子という,面白いおとぎ話を読んだことがあります。王子たちが旅行している時,彼らが求めていなかった事を,偶然に,また聡明さによって,いつも発見したのです。たとえば王子の一人は,右目の見えないらばが,最近同じ道を通ったことを見付ました,なぜなら左だけの草が食べられており,そこでは右側より草が少ないことを見出したからです。さて Serendipity ということがお分かりになりましたか? この偶然的な賢明さ(というのは,あなたが探し求めている事柄のどんな発見も,この言葉では言い現し得ないことが分かるに違いないのですが)の最も顕著な例の一つは Clarendon 大臣閣下の家で偶然晩餐をとっていた,わが Shaftsburry 卿が York 大公と Hyde 夫人の結婚を,彼女の母親が食事中, Hyde 夫人を敬意をもって待遇している様子から,悟ったことです。」
(Austin, James H.(1978). Chase, chance & creativity. J.H.オースチン ; 横井晋訳『ある神経学者の歩いた道 : 追求・チャンスと創造性』東京 :金剛出版, 1989.5, p. 105-106)
「 ホレース・ウォルポールは、英国の初代首相ロバート・ウォルポールの子で政治家兼作家。イタリアへやってきて、友人の公使マンがくれたビアンカ・カペッロ大公妃殿下の肖像の額に使う家紋を探していたところ、その家紋の載っているヴェネチアの古書を偶然発見した。
「このように探しているものをすべて見つけ出す私の探索能力を "ウォルポールの幸運" という人もいます。私自身は "セレンディピティ" と私が名付けた不思議な力によるものと考えています」(一七五四年一月二十八日、マン宛)」(p. 3)
「「……それはひじょうに表現ゆたかなことばで、これにまさる話題はありませんから、うまく説明できるよう努めてみましょう。それには、ことばの定義をくだすよりも、ことの由来を述べるほうがわかりやすいと思います。私は以前、『セレンディップの三人の王子たち』という素朴なおとぎばなしを読みましたが、王子たちは旅をしているあいだに、いつも偶然と才気によって、さがしてもいないものを発見します。たとえば、ひとりの王子は右の目が見えないラバ(ラクダの記憶ちがい:訳者注)が同じ道を通った事実を発見しますが、それは道路の右側よりも左側に生えている草のほうが質がわるいのに、左側の草だけが食べられていたからでした。これで、『セレンディピティ』とはなんのことかおわかりでしょうか?……」
ウォルポールは、「偶然と才気による予期しない発見」が、さがしものをみつけることとはちがうという点を説明するために、つづいて、つぎのような例を引きあいにだしています。
「もっときわだった例のひとつにシャフツベリ卿の場合があります。彼はたまたま大法官クラレンドン卿邸で晩餐にまねかれたさいに、席上でハイド嬢の母親が娘に接する態度を見て、ヨーク公とハイド嬢が結婚したことに気づいたのです。」
大法官とは貴族院議長をかねる国家の要職で、クラレンドン卿は本名をエドワード・ハイドといいます。手紙のなかのハイド嬢は、クラレンドン卿の長女アン・ハイドです。
この例は、十七世紀中期のイギリスの政治状態が不穏な時代のできごとで、アンをみそめたヨーク公(のちのイギリス王ジェームズ二世。在位一六八五〜八八年)は、政治上の敵に反発されるのをさけるため、ひそかにアンと結婚していたのです。シャフツベリ卿が目ざとく気づいたのは、母親であるハイド夫人のアンにたいする態度が、自分の娘なのにまるで高貴な王妃にたいするかのような印象をあたえたからです(松浦高嶺「〈セレンディピティ〉」考」『歴史と地理』第五六一号、二〇〇三年、山川出版)。」(p. 197-198)
「 あなたにお伝えしたいのはこの誂えに際して、ヴェニスの家紋についての古書を私が偶然に見つけたことの重要性です。カペッロ家の紋章は二つありましたが、そのうちの一つはメディチ家との縁を考慮して大公殿下から授かったものに違いありません。百合 の花をあしらった青い玉が紋章に加えられています。
このように探しているものをすべて見つけ出してしまう私の探索能力をシュート氏は「ウォルポールの幸運」と言っていますが、私自身は「セレンディピティ」と私が名付けた不思議な力によると考えています。
「セレンディピティ」という言葉は意味深長でこれに代わるものがないほどピッタリしています。説明しようと努めましたが、「言葉の定義」より、「言葉の由来」によって一層ご理解いただけることでしょう。
以前読んだ寓話 「セレンディップの三人の王子」では、旅に出た王子がつぎつぎと起こる偶然のできごとに対し、それぞれの場に応じた察知力を発揮して思いがけぬ発見をしていきます。これらの発見は本来探していたものとは違うのですが、とても大切な発見なのです。
偶然に際しての察知力とは、道の左側の草だけが食べられていることから推測して、最近通ったロバの右目が見えないことを指摘するという具合です。
おわかりいただけますね。」(p. 27)
「ホレース・マンの返信
ウォルポール様
一七五四年三月八日
拝啓
ビアンカ・カペッロ大公妃殿下が無事到着されたことをお慶び申し上げます。
家柄の良いビアンカは、貧しいフローレンスの騎士ブォナヴェントリと最初の結婚をしますがうまくいかず、ヴェニスの貧しい銀行員と駆け落ちをして、彼女の家族からの仕返しを避けるためにフローレンスへ逃れます。
... 。
あなたの不思議な力「セレンディピティ」は今までに私が聞いたなかで一番役に立つものです。
あなたの「セレンディピティ」は完璧 に理解しました。
ある探しものをしているうちに、もっと大切なほかのものが見つかるということは、誰もが経験しているに違いありません。
探していたものではないにもかかわらず、いかに多くの有益な発見が錬金術師の "賢者の石" として発見されたことでしょう。
これが「セレンディピティ」なのですね。」(p. 29-31)
Yours is the most useful talisman I ever heard of; I perfectly understand your serendipity. It must have happened to everybody, that in searching for one thing, others of great importance have occurred. How many useful discoveries, for example, had the search for the philosopher's stone produced, that the student was certainly not in quest of ...
「 あるとき、贋ナンダ王が都城を出て、城外に出かけました。そして、ガンジス河の真中に、五本の指を堅く握りしめた手を見ました。王は直ちにわたしを召して、
「あれは何か。」
と尋ねました。わたしが自分の二本の指をその方角に示しますと、その手は消え失せました。
王は大いに驚いて、再びわたしにその訳をたずねましたので、わたしは答えました。
「あの手は五本の指を見せて『五人が心を合せれば、この世に成就しないことはない。』と、言おうとしたのです。そこで、陛下、わたしは二本の指を出して『二人でも心を一つにしさえすれば、不可能なことは何もない。』と、言うことを示したのです。
と、わたしが謎を解きますと、王は非常に喜びましたが、シャカターラはわたしの智慧が測り知れないほどに深いことを知って、落胆しました。」(p. 33)
「 その頃、かの国の都は海辺にあっったが、日が昇ると、大きな右の手が開いた状態で海上に現れ、日が沈むまで出てきた場所から動こうとしなかった。そして、夜の帳 がおりると岸辺に近づき、人を一人捕まえて海に引きずり込むのだ。そんな事がずっと続いておった。それゆえ、叔父がかの地に逃げ込んだころには、すでに多くの人が攫 われておった。大いなる悲嘆と苦しみにあえぐ人々は、件 の鏡を海辺へ持っていって、その手の奴に向き合わせようと考えた。ひょっとして鏡が何らかの解決策を与えてくれるかもしれぬ、と考えたのだな。そこで鏡を運んでゆき、その巨大な手と向かい合わせに置くと、霊験はあらたかだった。それまでは一日に一人の人間が攫われていたが、それ以後は人ではなく、馬か牛が一頭攫われるようになったのだ。」(p. 43)
「 翌朝、大臣たちが若者の宿所にやって来ました。他の廷臣たちも皆一緒でした。彼らはそろって出発し、日の出の時刻には浜辺に到着しました。そして、海上に開いた右手が出てくるのを目の当たりにしました。第一王子は直ちに化け物の正面に立ち、手を上げました。そして、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばし、他の三本の指は曲げたままにして見せました。すると、これまで数々の被害を与えてきた手の化け物はあっという間に海に沈み、二度と姿を現わすことはありませんでした。
目の前に繰り広げられた光景に、人々はただただ驚嘆し、この出来事はすぐさま女王に伝えられました。これを聞いて大いに喜んだ女王は、まだ浜辺にいた若者たちを都の入口で盛大に出迎えるようにと使いを送り、さらに若者たちに対して、宿所にあてがった館へ帰る前に女王の御前に来るように命じました。」(p. 52)
「「女王陛下、お分かりになるでしょうか。今朝、私は、手の化け物が開いた形で海上に現れたのを見て、すぐさま悟りました。あの手が意味しているのは他でもない、意思を同じくする人間が五人もいれば、世界を手中にするには十分だということだったのです。そのことを分かってほしかったのに、今にいたるまで誰もそれを言い当てられなかったので、化け物は、陛下の臣民にあれほど大きな災厄をもたらし続けたのです。ところが、私はあの浜辺で、神のお力添えがあってか、化け物が今後、二度と現れないようにする方法に気づきました。そこで、奴の正面に立って手を上げ、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばし、残りの指は曲げたままにして見せますと、化け物めは恥ずかしさで海に沈んでしまいました。奴が示したかったのは、意思を同じくする五人の人間がいれば、世界の支配者になれるということでしたが、私は奴の間違いを正してやりました。どんな大仕事でも、同じ意思を持っていれば二人で十分だ、五人もいらないと教えてやったのです」
この言葉を聞いて女王は大いに感嘆し、なるほどこの若者たちは高貴で優れた才能に恵まれている、と認めました。それから王子たちは御前を辞し、重臣たちに伴われて、宿所となっている館に戻りました。」(p. 53)
「和尚に代わって問答する者としては,コンニャク屋の他,餅屋,豆腐屋,小僧などが多い。 ... まず問答僧が天地や日月のことを問うのに相手がコンニャクや餅の大きさと解する。次に僧が三千世界や十方世界など仏の功徳の及ぶ世界のことを問い,それはコンニャクや餅の値段と,そのかけひきとして受け取られる。」(p. 368)「国際的には,AT924「手振りによる問答」Discussion by Sign Language と呼ばれる型にほぼ対応する。この物語は中近東起源と考えられ,多くの説話集の中にも記され,... 朝鮮,中国,トルコなどにも類話が分布することから,世界的話型といえる。」(p. 369)