走れメロス

太宰治の短篇小説「走れメロス」(1940)

王城に侵入したメロスは、たちまち捕縛された。
懐には短剣、王を刺殺するつもりだったという。
王の殺害を決意した根拠は、町で聞いた噂話だけ。
伝聞の真偽や事実関係を確認もしないまま激怒に駆られ、自らの正義を短絡的に確信した。
「市を暴君の手から救うのだ。」
この危険人物に王は死刑を宣告した。
客観的に見て、非は王とメロスとどちらにあっただろうか。

シラーの劇詩Die Bürgschaft(1798作、1799刊)

「走れメロス」は、末尾に「古伝説と、シルレルの詩から。」と明記されているとおり、シラーの劇詩Die Bürgschaft(「担保」「人質」)を再話したものです。

Hyginus "Qui inter se amicitia iunctissimi fuerunt" ヒュギーヌス「刎頚の交わりを結んだ者たち」 シラー "Die Bürgschaft" の冒頭 手塚富雄訳
「人質(ダーモンとピンチアース)」
太宰治「走れメロス」
Moeros tyrannum voluit interficere; quem satellites cum deprehendissent armatum, ad regem perduxerunt. Qui interrogatus respondit se regem voluisse interficere; quem rex iussit crucifigi; モエロスは暴君を殺そうとした。衛兵たちが武装している彼を捕らえ、王のもとに連行した。彼は尋問されると、王を殺そうとしたと答えた。王は彼を(はりつけ)にするよう命じた。 Zu Dionys, dem Tyrannen, schlich Möros, den Dolch im Gewande, Ihn schlugen die Häscher in Bande.
„Was wolltest du mit dem Dolche, sprich!“
Entgegnet ihm finster der Wüterich.
„Die Stadt vom Tyrannen befreien!“
„Das sollst du am Kreuze bereuen.“
暴君ディオニュースのもとへダーモンは忍びよった、短剣を懐にして。
彼は捕吏たちの手に落ちた。
この短剣で何を(はか)った? 語れ」
暗い目で壮士(つわもの)は答えた。――「町を暴主から解放することを!」――「その報いは十字架で受けよ」
たちまち彼は、巡邏(じゆんら)の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懷中からは短劍が出て來たので、騷ぎが大きくなつてしまつた。メロスは、王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであつたか。言へ!」暴君デイオニスは靜かに、けれども威嚴を以て問ひつめた。その王の顏は蒼白(さうはく)で、眉間(みけん)(しわ)は、刻み込まれたやうに深かつた。
「市を暴君の手から救ふのだ。」とメロスは惡びれずに答へた。
... 。
... いまに、(はりつけ)になつてから、泣いて()びたつて聞かぬぞ。」

cf. 手塚富雄訳「人質(ダーモンとピンチアース)」『シラー』筑摩書房, 1959 (世界文學大系 ; 18), p.10-13

ダーモーンとピンティアース

cf. 鈴木三重吉(1920)「デイモンとピシアス

Damon(Δαμων)とPhintias(Φιντιας)の友情は、古来広く知られた伝説です。現代の普通の英和辞典にも、「Damon and Pythias」が「無二の親友」「刎頚の友」を意味するということが載っているほどです。ただし現代では「Phintias」の名は訛って「Pythias」として伝わってしまっているようです。

シラーのDie Bürgschaftは、ヒュギーヌス(Hyginus)の『物語集』(Fabulae)の中の「互に友情によって極めて強く結ばれていた者たち」(Qui inter se amicitia iunctissimi fuerunt)に基づいています。

ヒュギーヌス(松田治, 青山照男訳)『ギリシャ神話集』講談社, 2005.2.10 (講談社学術文庫 ; 1695), p.308-312 には、257番「刎頚(ふんけい)の交わりを結んだ者たち」の標題で掲載されています:
「  シキリアでは、暴君ディオニューシオスがこの上もなく残虐であり、市民たちを責め殺したので、モエロスは暴君を殺そうとした。衛兵たちが武装している彼を捕らえ、王のもとに連行した。彼は尋問されると、王を殺そうとしたと答えた。王は彼を(はりつけ)にするよう命じた。モエロスは姉妹の結婚のために三日の猶予を王に求め、自分が三日目に戻ってくる保証人として、友人であり仲間であるセリーヌーンティオスを王に差し出した。
  王は彼に姉妹の結婚のための猶予を認め、もしモエロスが定められた日までに戻ってこなければ、その友が同じ罰を受けるのだとセリーヌーンティオスに宣告してモエロスを釈放した。彼が姉妹を結婚させて戻るときに、突然雨嵐が生じ、歩いて渡ることも泳ぎ渡ることもできないほど川が増水した。モエロスは川岸に座り込み、友が自分の身代わりに死ぬのではないかと泣きはじめた。
  さて、既に三日目の六時間が過ぎたのにモエロスが戻ってこないので、パラリスがセリーヌーンティオスを磔にするよう命じると、セリーヌーンティオスはまだ三日目は過ぎていないと答えた。既に九時間が過ぎたので、王はセリーヌーンティオスを(はりつけ)(ばしら)まで引いていくよう命じた。彼が引かれてくると、やっとのことで、ついにモエロスが川を渡り、刑吏に追いついて遠くから叫んだ。「役人よ、待て! 彼が保証してくれた者はここにいる。」
  このことが王に知らされると、王は二人を自分の前に連れてこさせ、彼らに自分を友として受け入れるよう懇願し、モエロスの一命を助けた。」(p.309-310)
「伝統的にヒュギーヌスの作品と名指されてはいるが、これはいわば便宜的な方法にすぎず、このヒュギーヌスがどんな人物だったかというと、まるで謎につつまれたままなのである。
... 。
  全体として最も可能性が高いとされるのは、スエトーニウスが示唆する、皇帝アウグストゥスの図書係 Caius Iulius Hyginus である。」(p.335)(訳者の解説より)
「 ... いつと確定できない時代に(おおむね二世紀とされる)、誰とも確認できない作家(おそらくヒュギーヌスという名前の人)によって、ギリシャ神話物語の寄せ集めがつくられた、というあたりで、現状における著者論とせざるをえないようである。」(p.338)(訳者の解説より)
シラーの Die Bürgschaft の主人公の名は、初版ではMörosでしたが、後の改訂版ではDamonに変更されました。Hyginusでは、登場人物の名前はモエロス(Moeros)またはモエルス(Moerus)とセリーヌーンティウス(Selinuntius)です。

紀元前4世紀、シチリア島のシラクサの僭主ディオニュシオスに対する謀反を企てた罪で、フィンティアスが捕らえられた(捕らえられたのはダーモーンの方とする伝承もある)際、用事を片付ける間の猶予を願い出て、その間、一方が他方の身代りになりました。
(ワレリウス・マクシムス(Valerius Maximus), Factorum et dictorum memorabilium libri, 4.7.ext.1 はじめ、諸家の伝える伝説)。

ピタゴラス派の友情

「どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」と「走れメロス」の末尾で王は言い、どっと群衆の間に、歓声が起こりました。「万歳、王様万歳。」

ところで、伝説のDamonとPhintiasの両者は、ピタゴラス派の学徒でした。

「ピュタゴラス派の人たちはお互いに顔見知りでなくても,同じ教義にあずかるものであるという証拠を見せられれば,いまだかつて見たことのない人のために親愛をしめす行為をおこなったと伝えられている.」
(Diels, Hermann. Die Fragmente der Vorsokratiker, griechisch und deutsch. 6. verb. Aufl. hrsg. von Walther Kranz. Berlin : Weidmann, 1951-1952. 『ソクラテス以前哲学者断片集』第3分冊. 内山勝利[ほか]訳. 岩波書店, 1997 『ソクラテス以前哲学者断片集』第3分冊. 内山勝利[ほか]訳. 岩波書店, 1997, p.196)

教団員でもなんでもないディオニュシオスは「3人目の友」となる願いを拒絶されてしまいました。
「友情」というよりもむしろ、結社の構成員相互間の信頼関係とでもいうべきものだったのかもしれません。

Iamblichos. Peri tou Pythagorikou biou = De vita pythagorica. (Deubner, Ludwig ; Klein, Ulrich(eds., 1975). On the Pythagorean way of life / Iamblichus ; text, translation, and notes by John Dillon, Jackson Hershbell. -- Atlanta, Ga. : Scholars Press, c1991. (Texts and translations, 29)(Graeco-Roman religion series, 11). イアンブリコス(佐藤義尚訳)『ピュタゴラス伝』国文社, 2000 (叢書アレクサンドリア図書館 ; 4), p.269-270:
「 ... ピュタゴラス派が他人との交友を避けたことはなおざりではなく、交友からはまったくもって熱心に逃げ、他方、互いの友情を何世代も不撓に維持することは守りぬいた。これの典拠は、シケリアの独裁者ディオニュシオスが、独裁制から失脚ののち、文字をコリントスで教えていたとき、アリストクセノスが、自分自身ディオニュシオスから一部始終を聞いたと『ピュタゴラス的な生き方について』で述べている話である。」(p.269)
「 ... 陽が沈もうとするとき、ピンティアスが処刑されるべく戻り、これには満場が驚き、ディオニュシオスは二人を抱き接吻したうえで、自分をこの友情に迎えてくれと懇願した。だが二人は、王がどれほど頼んでも、これにはけっして同意しなかった。」(p.270)
この結社的な「友情」の排他性は、同じくシラーのフリーメイソン讃歌「歓喜に寄せて」 An die Freude の一節を連想させます:

Ja, wer auch nur eine Seele そうだ、たった一個の魂でも
Sein nennt auf dem Erdenrund! 自分のものと呼べるものがこの世の中にある者は!
Und wer's nie gekonnt, der stehle そしてそれが得られなかった者は、そっと出ていくのだ
Weinend sich aus diesem Bund! 泣きながらこの集いから外へ!
ひとりぼっちの者がいたら、自分たちの仲間に加えてあげよう、というのではなく、「友達のできなかった奴は、泣きながら立ち去るがよい!」と冷たく突き放すのです。

「走れメロス」と熱海事件

檀一雄『太宰と安吾』虎見書房, 1968, p.77-79:
「 ... 今から語る「熱海事件」を、「走れメロス」という作品が生まれた原因であったなどと、私は強弁するような、そんな身勝手な妄想も意志も持っていない。
   ただ、私は「走れメロス」という作品を読む度に、何となく「熱海事件」が思い合わされて、その時間に耐えた太宰の切ない祈りのような苦渋の表情がさながら目のあたりに見えてくるような心地がするというだけのことである。
   昭和十一年の暮であったか。
  ... 。
   五日待ったか、十日待ったか、もう忘れた。私は宿に軟禁の態である。この時私が自分の汽車賃だけをでも持っていたならば、必ず脱出しただろう。
 が、それさえ出来ず、ノミ屋のオヤヂに連れられて、井伏さんの家へノコノコと出かけていった汚辱の一瞬の思い出だけは忘れられるものではない。太宰は井伏さんと将棋をさしていた。私は多分太宰を怒鳴ったろう。そうするよりほかに恰好がつかなかった。
   この時、太宰が泣くような顔で、
   「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
   暗くつぶやいた言葉が今でも耳の底に消えにくい。」
檀一雄『小説太宰治』新装. 審美社 , 1976, p.109:
「   私は後日、「走れメロス」という太宰の傑れた作品を読んで、おそらく私達の熱海行が、少くもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた。あれを読む度に、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うわけである。憤怒も、悔恨も、汚辱も清められ、軟らかい香気がふわりと私の醜い心の周辺を被覆するならわしだ。」

山内祥史(編)『太宰治『走れメロス』作品論集』クレス出版, 2001.4 (近代文学作品論集成 ; 8)
    内容:
荒正人「なにを・いかによむか」 -- 長谷川泉「「走れメロス」鑑賞」 -- 井上正蔵「シラーと太宰治」 -- 山下肇「太宰治「走れメロス」」 -- 佐藤善也「走れメロス」 -- 石野都子「『走れメロス』の発想」 -- 小野正文「「走れメロス」の素材について」 -- 江後寛士「「走れメロス」成立の背景」 -- 東郷克美「「走れメロス」の文体」 -- 国松昭「「走れメロス」の暗さについての一考察」 -- 住吉勇「シラーと太宰治」 -- 角田旅人「「走れメロス」材源考」 -- 坂本道子「「ひと」を信頼できる人格」 -- 九頭見和夫「太宰治のシラー受容」 -- 松本武夫「太宰治「走れメロス」に於ける“路"」 -- 鎌田広己「『走れメロス』試論」 -- 山田有策「〈主題〉なるものへの反逆」 -- 花山聡「『走れメロス』考」 -- 戸松泉「〈走る〉ことの意味」 -- 渡部芳紀「「走れメロス」の魅力」 -- 若杉俊明「疾走する激情と肉体」 -- 杉田英明「〈走れメロス〉の伝承と地中海・中東世界」 -- 相馬正一「虚構化された素材を読み解く」 -- 浜森太郎「「走れメロス」の着想について」

Diels, Hermann.  Die Fragmente der Vorsokratiker, griechisch und deutsch.  6. verb. Aufl. hrsg. von Walther Kranz.  Berlin : Weidmann, 1951-1952. 『ソクラテス以前哲学者断片集』第3分冊. 内山勝利[ほか]訳. 岩波書店, 1997
第55章
ダモンとピンティアス

(p.138):
ディオドロス
 ディオニュシオスが統治している時代に, ピュタゴラス派のピンティアスという人が僭主に謀叛を企み, まさに処刑されようとしているときに, 身辺の事柄のうちで彼が望むものを処刑に先立って整理するための猶予を, ディオニュシオスに求めた.そして,処刑の保証人として友人の一人を差し出すと彼は言った.彼の身代わりに自らを牢獄に差し出すような友人がいるのだろうかと,王が驚いていると,ピンティアスは知人の一人で,ダモンという名前のピュタゴラス派の哲学者を呼び寄せた.この人は躊躇することなくすぐさま処刑の保証人になった.友人に対するこの過剰な好意を称讃する者もあれば,無謀な狂気だと言ってその保証人を非難する者もあった.所定の時刻になると,国中の者が馳せ集まって,約束した者がその信頼を守るかどうかと待ち受けた.すでに期限が切れて,すべての者たちがあきらめかけたが,ピンティアスは予測に反して,ダモンが極刑の場に引き出されんとするあわやという瞬間に駆けつけた.友情が驚くべきものとしてすべての者の目に明らかになったので,ディオニュシオスは被告の刑を解いてやり,自分をその友情の三人目に加えてくれるようにと,二人に求めた.[アリストクセノスによる;第54章1および第58章D7参照]
(『世界史』X4, 3)

Diels, Hermann.  Die Fragmente der Vorsokratiker, griechisch und deutsch.  6. verb. Aufl. hrsg. von Walther Kranz.  Berlin : Weidmann, 1951-1952. 『ソクラテス以前哲学者断片集』第3分冊. 内山勝利[ほか]訳. 岩波書店, 1997
第58章
ピュタゴラス派 (D)
アリストクセノス『ピュタゴラス派の格言(アポパシス)』および『ピュタゴラス的生活』から

(p.194-196):
イアンブリコス
(233) (ピュタゴラス派の人たちがよその人たちとの親交をさけたのは偶然によるものではなく,むしろきわめて真剣にこれを忌避し警戒して,なん世代もの間お互いとの親交を維持してきたのだ,とひとは判断することができるであろう.これは〈ほかにも多くの話があるが,特に〉アリストクセノスが『ピュタゴラス伝』[fr.9 FHG II 273]においてシケリアの僭主ディオニュシオスから直接聞いたと述べている話にもとづいている.これはディオニュシオスが単独支配から零落して,コリントスで文字を教えていた頃のことである. (234) アリストクセノス自身の言葉を次に記しておく.)「かの人たちはできるだけ哀れみや涙やすべてこのようなものをさし控えた.同じことはおべっかや嘆願や哀願やすべてこのようなことについても言える.ところで,ディオニュシオスは僭主政治から零落して,コリントスにやってきていたが,われわれにピンティアスやダモン[第55章]といったピュタゴラス派の人たちにかかわることについてしばしば語ってくれた.これは死に担保をとった話であったが,次のような次第で担保がとられたという.ディオニュシオスの取りまき連中のうちに,ピュタゴラス派の人たちのことをしばしば口にして,彼らのことをけなし,嘲笑し,ペテン師と呼んだりして,もしこの上ない恐ろしい目にあわせてやれば,あの気高さも,見せかけだけの誠実さも,情念に動かされない心も吹きとんでしまうだろう,と言うものたちがいた. (235) 反論する人たちもいて争いがおきたあと,ピンティアスとその仲間たちには次のような行動がとられた.ディオニュシオスはピンティアスを呼びよせて,彼の告発者のひとりがいるところで,自分に対して密計をはかっているものたちとおまえが共謀していることが露見したぞと言った.そして,このことがその場にいあわせた人たちによって証言されると,彼はまことしやかに不快感をあらわにした.ピンティアスのほうはその言葉に驚愕した.しかし,ディオニュシオスがこれらのことは厳格に詮議されたことで,おまえは死刑に服さねばならないとはっきり申しわたしたとき,ピンティアスはこう答えた.これらのことがあなたによってこのように決定されたのであれば,わたしとしては,自分のことやダモンのことを片づけることができるように,今日の残りの時間を自分にくださるようにお願いしたい,と.なぜなら,これらの人たちは生活をともにし,すべてのものを共有していたのであるが,ピンティアスのほうが年長であったために,所帯のものの多くを自分のところにもってきていたからである.そこで,彼がこれらの仕事のためにダモンを担保にたてて釈放されることをもとめた. (236) ディオニュシオスが言うところによると,自分は驚いて,あまんじて死の担保になるような人間がいるのだろうかと尋ねた.ピンティアスはいますと言って,ダモンが呼びよせられた.そして,ダモンのほうは一部始終を聞いて,自分は担保になってピンティアスが戻ってくるまでここで待つと言った.ディオニュシオスの話では,自分はこの言葉に度肝をぬかれたが,最初に詮議をした人たちは,彼が見捨てられてしまうにちがいないと思ってダモンをあざけり,鹿が身代わりになったと言ってからかった.さて,日がいまや沈むという頃になって,ピンティアスが死刑に服そうと帰ってきたので,みんな驚いて,はむかう気持ちをなくしてしまった.ディオニュシオスは二人を抱いて接吻し,自分を3人目の友としてうけいれるように頼んだ.彼は執拗にもとめたけれども,この人たちはこのような関係をむすぶことを固く辞退したのであった.」 (237) 以上の話はアリストクセノスがディオニュシオス自身から聞いて語っていることである.ピュタゴラス派の人たちはお互いに顔見知りでなくても,同じ教義にあずかるものであるという証拠を見せられれば,いまだかつて見たことのない人のために親愛をしめす行為をおこなったと伝えられている.このような行為があるために,かの有名な言葉も信用しないわけにはいかない.すなわち,すぐれた人びとは,たとえ地上の最果てに住まおうとも,親密になって言葉をかわしあうより前に,お互いに友であるのだ.
(『ピュタゴラス伝』233-237)

寺山修司「歩けメロス」『啄木を読む : 思想への望郷 文学篇』角川春樹事務所, 2000.4.18 (ハルキ文庫) , p.84-92
「   笛を吹き、羊と遊んで暮してきた村の牧人のメロスが、たたった一人の老人の、
「王様は、人殺しです」
   という言葉をまに受けて、王を「生かしておけぬ」と、のそのそ王城へ入ってゆく。 ... 。それにしても見も知らぬ老人の一言で、殺人を決心してしまうような「あかるい性格」の「のんきな男」というのは、私には耐えがたい。第一、かかわりあいになる方が迷惑というものである。
   たぶん、都の大路を歩いているときに出会ったのが老人ではなく、最近、将官に出世したばかりの兵士の母親だったとしたら、事情は一変していたことだろう。
「王様は、思いやりのある人です」
   という母親の言葉をまにうけて、花でも買って王城を訪ねていったかも知れない。」(p.84)
「   メロスは、あまりにも太宰治によく似ており、その自己中心性とナルシズムは、シラーの壮大な叙事詩「担保」を、矮小化させてゆくばかりである。」(p.86)

安野光雅「「メロス」の問題」『朝日新聞』2002年12月17日(火)夕刊, p.4「時のかたち」:
「 メロスは邪知暴虐の王を除かねばならぬと、決意した。なぜか。老人から「王が無実の人を殺している」という話を聞いたからだ。メロスはたった一人の妹の結婚式の支度のためシラクサまで来て、この(うわさ)を聞いた。その真偽のほどを確かめもせず、妹の立場も忘れ、彼は直ちに王城に入って捕まる。王に向かって、お前を殺すつもりだとうそぶく。当然ながら死刑だ。このとき王は、「私が人を疑うのは、お前たちが悪いからだ」と言う。「疑い」は必ずしも悪徳ではない。原子力発電から、狂牛病、警官、裁判官から聖職者まで、裏切られたことのなんと多いことだろう。およそ科学は疑うことによって進歩してきたのだ。
 さて、メロスは親友セリヌンティウスを無断で(ここが問題)人質にし、「三日目の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺してください」と言う。本当の親友なら、命にかかわるとき親友呼ばわりするべきであるまい。セリヌンティウス生殺与奪の権は、王ではなく今やメロスの手に移ったのだ。三日で燃え尽きる導火線に火をつけて彼は走り始めたことになる。無事結婚式を終え、一眠りして、また刑場へ向かって走る。「殺される(ため)に走るのだ、身代わりの友を救う為に走るのだ」と彼は考える。何と倒錯した英雄気取りなんだろう、馬を盗んででも駆けるべきなのだ。
 中学教科書から鴎外、漱石が一斉に消え、矛盾に満ちた「走れメロス」が一斉に載った。古典を捨て、テロリストを美化したのである。
(画家)」

『キネマ旬報』No.1087(1992年8月上旬号), p.138-141「おおすみ正秋監督自作を語る」(p.141):
「 ... いくら原作を読み込んでも、起源をさかのぼってもわからない謎が三つある。メロスはなぜ走るのか。セリヌンティウスはなぜ人質になったのか、王さまはなぜあんな賭けをしたのか。さんざん調べたあげく、もともとのエピソードは、ピタゴラスの創始した秘密結社のプロパガンダだったことがわかったんです。だから、理由なんか必要なかった、と。だったら、どこにも書かれていない、その「なぜ」の部分を追求していけば映画になるんじゃないか。それが出発点です。」
cf. アニメーション映画「走れメロス」1992. 朝日新聞社,テレビ朝日,新潮社,電通提携作品(制作: ビジュアル80), 東映配給.
脚本・監督: おおすみ正秋.(107′)

ピタゴラス派の戒律

ピタゴラス派は、オルフェウス教団の流れをくむ輪廻転生の神秘主義の教団でした。
豆についての禁忌をはじめ、ユニークな戒律がたくさんありました。
教祖ピタゴラスは、敵に追われて逃げる際に豆畑に行き当たり、「豆を踏みつけるよりも、むしろここで捕まろう。無駄に話し合うよりも殺されたほうがましだ」と言ってとどまり、殺されました。

ディオゲネス・ラエルティオス(加来彰俊訳)『ギリシア哲学者列伝』(下). 岩波書店, 1994.7.18 (岩波文庫 ; 青663-3)
第8巻第1章 ピュタゴラス
「(一七)   彼が信条(戒律)としていたのは、次のようなことであった。すなわち、
刃物で火をかき立てぬこと。
秤竿(はかりざお)を跳び越えぬこと。
一コイニクス(の量の穀物)の上に坐していてはならぬ。
心臓は食べてはならぬ。
荷物は、背負うのを手伝うのではなく、降ろすのを手伝うこと。
寝具はつねにたたんでおくこと。
指輪に神の像を刻んではならぬ。
灰のなかに土鍋の痕を残さぬこと。
松の小枝でお尻を拭いてはならぬ。
太陽に向かって小便をしてはならぬ。
大通りから逸れて歩かぬこと。
気軽に握手しないこと。
軒下に燕を来させないようにすること。
(かぎ)爪をもつ鳥は飼わぬこと。
切り取った爪や刈り取った髪の毛の上に、放尿したり、その上に立ったりしないこと。
鋭利な刃物は切っ先の向きを変えること。
国外へ出かけようとしているときには、国境(くにざかい)で振り向かぬこと。」 (p.25-26)
「(一八)   ところで、これらの戒律によって彼が言わんとしていたのは、次のようなことであった。すなわち、「刃物で火をかき立てぬこと」というのは、権力者たちの怒りや、ふくれ上った激情をつつき動かすことのないように、という意味である。また、「秤竿を跳び越えぬこと」というのは、つまり、平等(公正)や正義を踏みはずすな、ということである。「一コイニクス(の量の穀物)の上に坐していてはならぬ」というのは、(現在のことばかりでなく)将来のことにもひとしく思いをいたせ、という意味である。「一コイニクス(の量の穀物)」とは、人の一日分の食糧だからである。「心臓は食べてはならぬ」ということで彼が示そうとしたのは、悲しみや苦痛によって心を溶かしてはならぬということである。「国外へ出かけようとして歩いているときには、振り向かぬこと」ということで、彼が忠告しようとしていたのは、この世を去ろうとしている人たちに対して、生に執着することも、この世の快楽にひきずられることもないようにせよ、ということである。なお、その他の言葉も、以上に述べたことにならって理解することができるが、そのことであまり手間取ってはいけないから、その点は保留しておくことにする。」 (p.26-27)
「(三四)   なお、アリストテレスが『ピュタゴラス派について』のなかで述べているところによると、ピュタゴラスは豆を控えるように戒めていたが、それは豆が、人の局部に似ているからであるとか、あるいは、ハデスの門に似ているからであるとか、そういう理由によるものであった。……(欠)……というのも、そこだけが接合されていないところだからである。あるいはまた、豆は身体をこわすものであるとか、宇宙万有の形に似たものであるとか、寡頭制に関係があるとか、そういった理由のためでもあった。寡頭制に関係があるというのは、寡頭制においては、抽籤で役人を任命するのに豆を用いたからである。
   彼はまた、(食卓の下に)落ちたものを拾い上げないように戒めたが、それは何でもいじきたなく食べない習慣をつけるためであるか、あるいは、それは誰かの死につながる行為だからという理由によるものであった。事実、アリストパネスもまた、『英霊たち』のなかで、
また、食卓の下に落ちたものは何であれ、食べてはならぬ
と語りながら、床に落ちたものは、(死んで)英霊となった人たちのものであるとしているのである。
   また、白い雄鶏に手をつけてはならぬ(と彼は戒めている)。なぜなら、雄鶏は月の神に捧げられた聖なるものであり、また嘆願者だからである。そして嘆願者であることは、善いことの一つであったし、また月の神に捧げられた聖なるものであるというのは、雄鶏は時刻を告げるからである。さらに、白は善きものの本性を表わすが、黒は悪しきものの本性を表わすのだとしている。
   また、魚に関しても、それらが(神々に供される)神聖なものであるかぎりは、手をつけてはならぬ(と彼は戒めていた)。というのも、神々と人間とに同じものが供されてはならぬからであり、それは、自由人と奴隷とに同じものが(食卓に)出されることがないのと同様だというわけである。」 (p.36-38)
「(三五)   また、パンを切れぎれに引き割いてはならなぬ(と彼は言っていた)。なぜなら、異民族の者たちが今日でもなおそうしているように、昔は、友人たちは一つの(共有の)パンの下に集ってきていたからだと。さらにまた、友人たちを結集させているパンを切り分けてもならない(と彼は言っていた)。その理由を、ある人たちは、ハデスにおける(死者の)裁判に関係づけて説明しているが、他の人たちは、それは戦争において卑怯な振舞いをさせることになるからだとしているし、また別の人たちは、宇宙万有の起源はそのこと(分離分割?)に由来するからだとしている。」 (p.38)
「(三六)  ... 。
    そしてクセノパネスは 、彼について次のように述べているのである。
そしてあるとき彼は、仔犬が杖で打たれている傍を通りかかったとき、
哀れみの心にかられて、次のように言ったということだ。
「よせ。()つな。それはまさしく私の友人の魂なんだから。
啼き声を聞いて、それと分ったのだ」」 (p.39-40)
「(三九)   ところで、ピュタゴラスの最期は次のようなものであった。彼が弟子たちと一緒にミロンの家で集会を開いていたとき、入門を断わられた人たちのなかのある者によって、嫉妬心ゆえに、その家に火がつけられるという事態が生じた。――ただし、ある人たちによれば、これはクロトンの住民自身が、(ピュタゴラスによる)僭主制の樹立を警戒して行なったことになっているが。――それで、ピュタゴラスは、逃げ出そうとしているところを捕えられたのである。つまり彼は、豆がいっぱい植わっているある場所までやって来たのだが、その豆畑のなかを通らないようにしようとして、その場所に立ちどまり、「豆を踏みつけるよりも、むしろここで捕まろう。無駄に話し合うよりも殺されたほうがましだ」と言ったのだった。こうして彼は、追手の手にかかって、喉を切られて殺されたのである。」 (p.41-42)

Last updated: 2010/02/07 [林哲也]