Readingバトン(青木三郎 人文社会系教授)

2015年4月21日
Readingバトン -教員から筑波大生へのmessage-
唐木先生に続く第17走者として、青木三郎 人文社会系教授から寄稿いただきました。

 

 

Pick Up
『対話人間の建設』岡潔、小林秀雄. 新潮社, 1965【分類370.4-O】

Book Review
 ご紹介したいのは、文芸批評家という文系の大御所と、数学者という理系の大御所のビッグ対談です。批評家小林秀雄は1902年(明治35年)生まれ。数学者岡潔は1901年(明治34年)生まれ。対談は1965年(昭和40)10月『新潮』に掲載されたものです。対談のときにはお二人ともすでに還暦を過ぎ、何気なく発せられているような発言のなかにも、長い時間の思索が折り込められています。まず学問について。

岡潔「人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。」

小林「好きになることがむずかしいというのは、それはむずかしいことが好きにならなきゃいかんということでしょう。」

この二人のやりとりは、まさに大学というところは世の中の難問を解こうということを徹底的にやるところではないか、と僕には読めます。

岡潔「世界の知力が低下しているという気がします。日本だけではなく、世界がそうじゃないかという…」

小林「物を生かすことを忘れて、自分が作り出そうというほうだけをやりだしたのですね。」

物を生かす、つまり取り組んでいる対象に知力と感性を全力で動員して知ろうとすることだと解釈できます。自分の頭のなかだけでシステムを考えているようなものには個性はうまれない。

岡潔「情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうというような間違いは起こさないのです。現在の状態では、それをやりかねないと思うのです。」

小林「あなたのおっしゃっている感情という言葉は、普通いう感情とは違いますね。僕らがもっている心はそれなんですよ。私のもっている心は、あなたのおっしゃる感情なんです。だから常識は、感情をもととして働いていくわけです。つまり心というものは私らがこうやってしゃべっている言葉のもとですな。そこから言葉というものはできたわけです。」

ここに、文と理に分化する前の、人間の根源を感じられるかどうかが、大事なところです。

岡潔「理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性のなかを泳いでいる魚は、自分が泳いでいることがわからない。」

小林「お説の通りだと思います。」

 科学技術の発展が人類の破壊につながっていった20世紀に、岡潔と小林秀雄は人類の破壊ではなく、人間の建設に向かう仕事に打ち込みました。本書を中学時代に初めて読み、高校で再読し、留学時代にも折にふれ読み、しかし一度は捨ててしまった本ですが、また読み直すと「難しい問題に立ち向かうのが学問だ」ということが実感されます。

■次は、梅村雅之先生(計算科学研究センター長)です。