教員著作紹介コメント(小川 美登里先生)

小川 美登里先生(人文社会系)よりご著書の紹介コメントをいただきました。(2017/01/10)

【本の情報】
『いにしえの光(パスカル・キニャール・コレクション:最後の王国:2)』パスカル・キニャール著/小川美登里訳. 水声社, 2016.12【分類950-Q6】

【コメント】
バロックという名で知られるフランス十七世紀に活躍し、その後忘却の彼方に忘れ去られてしまったヴィオール奏者サント・コロンブを生き生きとよみがえらせ、人生と愛と音楽をめぐる悲しくも美しい物語を書いたパスカル・キニャールという作家をみなさんはご存知でしょうか(その物語は「めぐり逢う朝」というタイトルで映画化され、のちに世界的に大ヒットしました)。今回、水声社という小さな出版社から作家の名を冠したコレクションが刊行されました。みなさんにご紹介するのはそのうちの一冊です(コレクションが完成すると、15の珠玉の書物が日本語で読めるようになります。乞うご期待ください!)。
パスカル・キニャールは1948年生まれのフランス人作家です。音楽家でもあり、絵画にも造詣が深く、大学では哲学を専攻していました。そんな多彩なキニャールが愛するのは「読書」という、われわれにとっても非常に身近な営みです。ですから作家、文筆家といった肩書き以上に、彼にぴったりの名称があります。「文人」です。まさに「文の人」、フランス語では「レトレlettrés」、英語に置き換えるとreaderになってしまいますが、ニュアンス的には「文字を扱う人」、「文字に埋もれる人」、さらには「文字でできた人」のイメージの方がより近いでしょう。
そんなキニャール渾身の作品が、みなさんにご紹介する「いにしえの光」です。この書物は、ひとことで言うと、人類が積み上げてきた文字による遺産(流行りの言い方では「レガシー」ですね)のもっとも光輝く部分をたくさん集めた玉手箱のような本です。人類の歴史や文学に通じ、古典小説や説話、寓話などを読み漁(文語では「渉猟」といいます。まさに「文字を狩る人」のイメージですね)った読書のプロが、みずからの視点(文学的、哲学的、人類学的、精神分析的)をとおして、時間とはなにかという本質的な問題について語っています。こんなふうにご紹介するとひどく難解な書物のようですが、いったん読み始めると、どんどん先に読み進めることができます。その理由はふたつあります。第一に、キニャールの文章はイメージ豊かで、読者の心をつかむ物語性に満ちていることです。もうひとつの理由は、断片という形式によるものです。断片というと、ギリシアの哲学者ヘラクレイトスやニーチェの書き物を想起する人がいるかもしれません。小説を読むことに慣れている人からすれば、少々とっつきにくいですよね。でも、断片形式は独特のリズムを生み出すという、音楽的な効果をもっています。どこから読書を始めても、どこで終えてもいいのも断片形式の強みです。
私たちと同時代を生きる作家の作りだす文学には、たしかに教科書的なとっつきやすさはないかもしれません。でも、そうした先入観をいったん取り払えば、親しみやすさすら覚える作品であることをみなさんも実感してくださることでしょう。キニャールは、読書こそが、私たち現代人がもつことのできる最高の贅沢であると述べています。誰にも邪魔されず、他者の視線を寄せ付けないあなただけの空間で、ぜひ「いにしえの光」をご堪能あれ。