教員著作紹介コメント(中田 英雄先生)

中田 英雄先生(教育開発国際協力研究センター)よりご著書の紹介コメントをいただきました。(2010/06/07)

【本の情報】
『アフガニスタンの特別支援教育分野への教育協力』  中田英雄, 野澤純子, 井坂行男 [編].筑波大学教育開発国際協力研究センター , 2010.3【分類372.271-N43】

【コメント】
これは2003年から2009年までJICA(国際協力機構)の短期専門家としてJICAに提出した報告書を集めたものです。

第1回の渡航の目的は、カブール教育大学で開かれたJICA主催の特別支援教育セミナーで日本の特別支援教育の現状を関係者に紹介することでした。ビデオを使って紹介したところ、日本の障害のある子どもたちがハイテクの機器を使って学んでいる様子は夢のようだと参加者から口々にいわれました。カブール教育大学は、このセミナーを契機に特別支援教育学科を設置することを計画していました。しかし、特別支援教育の専門家はバヤン准教授1名だけでした。そこで、バヤン准教授を本学に招聘し、日本の特別支援教育学校などを視察してもらうことにしました。JICAアフガニスタン事務所の協力で2004年にバヤン准教授を本学の教育開発国際協力研究センターにお迎えすることができました。翌年から、JICAのアフガニスタン特別支援教育強化ミニプロジェクトがスタートすることになりました。小さな成果が積み重なって、ミニプロジェクトは技術プロジェクトに拡大し、大阪教育大学と連携することになり、さらに現地にJICAの業務調整をする専門家が常駐するまでなりました。2005年に高等教育省はカブール教育大学特別支援教育学部の設置を認可され、バヤン准教授が学部長代理となりました。それにともなって教員が増員され、現在では7名です。このうちの6名のスタッフがすでに筑波大学と大阪教育大学で研修を受け、日本各地の特別支援学校を見学しています。このようにカブール教育大学の特別支援教育学部は急成長し、教員の能力も次第に高まってきました。2008年3月に「特殊教育強化プロジェクト」を終了するにあたって、カブール教育大学で第2回セミナーを開催し、高等教育省、教育省、カブール教育大学への提言書をまとめて発表しました。

2008年12月から新たに「アフガニスタン国教師教育における特別支援教育強化プロジェクト」がスタートし、大阪教育大学と連携することになりました。このプロジェクトでは、カブール教育大学の中心的なスタッフ4名に「特別支援教育概論」を執筆してもらいました。文章はダリ語で書かれていますので、最終校閲をアフガニスタンから日本に帰化した方にお願いしました。このテキストは、カブール教育大学でも利用されますが、本来の狙いは全国に42ある2年制の短大である教員養成校の授業で使うことにありました。2009年5月に筑波大学と大阪教育大学で開いた研修に参加した教育省教育局の副局長が日本の特別支援教育の意義を認識し、アフガニスタンの教員養成校のカリキュラムに特別支援教育科目を必修とすべきであると教育省に提案しました。その提案は受け入れられ、2010年4月から教員養成校の学生は特別支援教育科目を必修として学ぶことになりました。2009年12月に全国に42ある教員養成校の教員100名をカブール教育大学に招いて研修会を開きました。ねらいは「特別支援教育概論」の内容を参加者に説明し、2010年度からスタートする「特別支援教育概論」のテキストを使った授業を円滑に進めることでした。研修は成功裡に終わりました。参加者の評価は上々でした。2010年4月から42の教員養成校で特別支援教育の授業が始まりました。この授業を受講した学生たちはやがて障害の知識をもった教師に育つことでしょう。将来、特別支援教育を学んだ教師がアフガニスタンの特別支援教育になんらかの貢献をすることが期待されます。教師が障害に対する適切な態度や見方を学ぶことで、アフガニスタン社会の障害に対する偏見と差別が軽減される可能性があります。

カブールには盲学校が1校、聾学校が2校あります。盲学校だけが国立で、聾学校は私立です。全国に特別支援教育を支援する学校やNGOsがいくつあるのか不明です。障害のある人の実態も全く不明です。国全体が不安定なために調査を行うことは極めて困難ですが、Handicap InternationalというNGOが実態調査をしています。これらの学校には各国から援助の手が差し伸べられていますが、いまだ不十分な状態です。2010年3月に盲学校を訪れました。新しくダイニングルームと調理室ができていました。調理室といってもかまどがあって、薪で調理する台所です。教材も教室も教師もスクールバスも何もかも不足しています。

アフガニスタンの学校は一つの学校の総生徒数は数千人です。小学生から高校生までの生徒が交代制で学んでいます。生徒の学ぶ時間は限られていますし、全員が学用品を持っているわけではありません。視覚に障害のある姉妹が通う学校や車いすに乗った脳性マヒの生徒、オート三輪で通学し校舎の手前で車いすの乗り換えるポリオの生徒、5ないし6キロを通学する下肢障害のある生徒や知的障害のある生徒、悲惨な場面を目撃し情緒不安定になった少女などを学校で見かけました。屋外の青空教室もまだあります。ある学校は4,000人規模の学校で、教室が不足しているためユニセフのテントを運動場にいくつかおいて教室代わりにしていました。あるテントは、天井だけは残っているものの壁となる部分は裂け目がはいり、ボロボロでした。子どもたちは床のシートにあぐらをかいて授業を受けていました。縦横1メートル程度の黒板は壁の上に立てかけられた状態で、白墨の文字が消え残り、幾重にも重なっていました。

2010年5月にバーミアンに行きました。市内から車で30~40分の山にある学校を訪ねました。はげ山で石と岩のかけらでごつごつした狭い更地に教室が2棟ありました。生徒数は約800人です。下肢に障害のある子どもと軽い知的障害のある子どもも通学しています。はるか遠くに雪を抱いた山脈が見えます。小学生から中学生まで交代で授業を受けていました。ノートも鉛筆も持たない子どもたちが多数います。バーミアンに聴覚障害のある子どものための学校を建て、教育をしている日本人ご夫妻に会いました。10名程度の子どもたちと大人を受け入れ、聴覚障害のある現地の先生が手話で授業をしていました。バーミアンは高地にあり、自然環境の厳しさは想像を超えます。自宅にシャワーの設備がないので、2日に1回の行水をしているとのことでした。献身的な活動をしているお二人の姿が神々しく見えました。バーミアン渓谷の大仏はイスラム原理主義勢力タリバーンによって破壊され、現在修復中です。大仏の姿はありませんが、洞窟の真下で思わず合掌しました。現地の新聞報道によると、いまなお500万人の子どもが未就学です。