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天絵学舎
[読み] てんかい がくしゃ
[始年] 1879-
[Y1] 1879年、高橋由一の画塾天絵社はその内容と設備を拡充し、東京府認可の天絵学舎となる。以後、予科、本科、別科を置き、由一と高橋源吉が指導にあたる。天絵楼以来の門人は百五十人を越え、安藤仲太郎、原田直次郎らのほか、日本画家の川端玉章、荒木寛畝、岡本春暉らも一時この塾に入って洋画を学ぶ。
[Y2] 1880年には天絵学舎内の白受社よりわが国最初の美術雑誌「臥遊席珍」を刊行した。
[Y3] 1880年代、国粋主義の風潮、洋画を圧迫する。
[Y4] 1884年、閉鎖(「近代日本美術事典」ほか参照)。
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