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生巧館画学校
[読み] せいこうかん ががっこう
[始年] 1888-
[Y1] 1888年、フランスから帰国した山本芳翠は、芝区本郷町に合田清が開設していた洋風木版彫刻工房生巧館の二階で洋画指導を始め、ここを生巧館画学校とす。モデルを用いた人体素描などわが国最初のフランス流洋画教育として評判。門下生に藤二、白瀧幾之助、北蓮蔵、湯浅一郎ら二十余人。
[Y2] 1889年、山本は明治美術会結成に参加。
[Y3] 1894年、パリ留学中に黒田清輝の才能に傾倒していた黒田が帰国すると、山本は画学校を譲り渡す。黒田は久米桂一郎とともに天真道場と改名してこの画塾を引き継ぐ。
[Y4] 1896年、黒田らは、白馬会を結成し、山本は会員として参加(「近代日本美術事典」ほか参照)。
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