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内国勧業博覧会
[読み] ないこく かんょう はくらんかい
[始年] 1877-
[終年] 1903年
[Y1] 1876年、明治新政府の殖産興業を目的に大久保利通が博覧会開催の建議書を提出。
[Y2] 1877年、上野で最初の産業博覧会として開催。1872年の湯島聖堂での博覧会が見世物的であったので、それを廃そうとした。全体を鉱業・冶金術、製造物、美術、機械、農業、園芸の6部門。美術部門では、菊池容斎が名誉・龍門賞を受ける。伝統画法による出品以外に、高橋由一、五姓田義松、山本芳水ら洋画家も出品。
[Y3] 1890年、第3回展では、美術の部門が「書画」が「書」と「絵画」に分離され、また審査制度が導入。
[Y4] 1895年、第4回展では、さらに「美術」と「美術工芸」が区別される。また、黒田清輝の裸体画「朝妝」が問題となる。(「近代日本美術事典」ほか参照)。 詳細は東京国立博物館の館の歴史、内国勧業博覧会を参照されたい。
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