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工部美術学校
[読み] こうぶ びじゅつ がっこう
[始年] 1876-
[終年] 1883年
[Y1] 1876年、明治新政府の殖産興業政策の一環として設立された工部省付属の美術学校。画学、彫刻学の二科を置き、イタリアからフォンタネージ、ラグーザ、カペレッティの三名を教師に招き、わが国初の西洋における正規のカリキュラムに沿った授業開始。画学科へは小山正太郎、松岡寿、浅井忠、山本芳翠らが入学。国粋主義の台頭により運営が手薄になる。
[Y2] 1878年、フォンタネージが帰国。後任は画家プロスペッマ・フェレッティ。彼の教授法を不服として小山、浅井ら11名は退学し十一会結成。
[Y3] 1880年、フェレッティ解任、サン・ジョバンニ来日。曾山幸彦らが指導を受ける。
[Y4] 1882年、閉校
[Y5] 1883年、廃校(「近代日本美術事典」ほか参照。 Web版では東京大学創立百二十周年記念東京大学展:学問のアルケオロジーを参照のこと)。
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