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十一会
[読み] じゅういちかい
[始年] 1878-
[終年] 1889年
[Y1] 1878(明治11)年、工部美術学校でアントニオ・フォンタネージの指導を受けた小山正太郎、松岡寿、高橋源吉、浅井忠ら11人が、フォンタネージ帰国後の後任教師を不服として退学、11月11日に設立した洋画研究団体。わが国最初の西洋画団体として初期洋画時代から興隆期への母体となり、川村清雄塾から松井寿らも参加した。
[Y2] 1879-80年頃から、伝統美術護持は洋画排斥運動をおこし、1881年、第1回絵画共進会の洋風画出品拒否となる。
[Y3] 1884年、十一会は洋画排斥反対運動をおこし、1887年、東京府工芸品共進会に初めて油絵の出品が認められた。
[Y4] 1889年、洋画、洋風彫刻の含まれない東京美術学校に対抗し、小山らは十一会を発展的に解消させ、明治美術会を設立した。研究所は小山が画塾不同舎として継承した(「近代日本美術事典」ほか参照)。
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