- 伊年 see 俵屋宗達
- [] いねん
- [生年(始年)] 1610頃-
- [没年(終年)] 1680頃
- [Y1] 扶桑名公画譜(1710頃)に俵屋宗雪(-1650年頃か)諱伊年、と諱(いみな)とされる。しかし、伊年、は現在では俵屋(扇絵屋)工房の印と見られている。通説では宗雪の兄または父とされる俵屋宗達は四季草花下絵光悦筆書巻(1611頃)など一連の光悦の下絵や蓮池水禽図の伊年印の作者とされる。工房印は宗達門人筆とされる扇面流図屏風、宗雪の養寿寺杉戸絵(1936-39)、宗雪の子とされる喜多川相説(1680年頃、法橋か)四季草花図屏風などに押されている。
- [Y2] 1602年、「平家納経」を修復。
- [Y3] 1605年、「光悦筆隆達節料紙」木版の下絵担当。
- [Y4] 1608年頃、光悦書宗達下絵角倉刊行の「嵯峨本」盛んとなる。
- [Y5] 1612年頃、光悦筆金銀泥絵下絵を描く。
- [Y6] 1614年、千少庵を茶席に招待。
- [Y7] 1615年、光悦は家康から鷹峯を与えられ法華宗徒の「光悦村」をつくる。
- [Y8] 1616年、「中院通村日記」に俵屋絵の記事がある。
- [Y9] 1618年、以後光悦書の下絵を見なくなる。
- [Y10] 1621年、養源院障壁画。法橋位を得るか。
- [Y11] 1622年頃、醍醐寺無量寿院障壁画制作。
- [Y12] 1630年、海田本「西行法師行状絵詞」を模写。
- [Y13] 1636年、俵屋宗雪が宗達の伊年、印を用いる(宗達没か)。
- [Y14] 1637年、光悦没。
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