「暦の基礎知識」は、筑波大学附属図書館に在職当時、趣味的な内部研修会の配布資料として作成したもので、外部への公開は想定していませんでしたが、サーチエンジンの検索でヒットするらしく、ときおり、いろいろなかたから照会をいただくことがあります。しかしながら、林は一介の図書館員で、暦については全くの素人です。つまり、暦についてご質問をいただいても、(海上保安庁海洋情報部さまや国立天文台さまとは異なり、)専門的なお答えはできません。「暦の基礎知識」の内容も、ご覧のとおり、既刊文献からの引用に終始しています。
本を語る会
(第12回)
暦の基礎知識
日時: 1995年1月12日(木) 17:30-18:30
担当者: 林 哲也
参照文献
前口上
1. 暦の換算
1.1. 記念日考
1.2. 歴史学
1.3. 図書館情報学
1.4. 情報の記述と索引の工学
1.5. 内田正男『日本暦日原典』とその派生資料
2. 世界の暦と紀元
2.1. 檀君紀元(韓国・朝鮮)
2.2. 仏滅紀元(東南アジア)
2.3. ヒンドゥー暦
2.4. イラン太陽暦
2.5. ロシア暦
2.6. 天地創造紀元(Anno Mundi)
3. キリスト紀元(Anno Domini)
3.1. 西暦が使用されるまで
3.2. イエスの生没年月日
3.3. 「1月」以外の年始
4. 西洋古典学
4.1. 古代ギリシア
4.2. ラテン語での日付の表現
4.3. 古代ローマ
5. グレゴリオ暦
5.1. ユリウス暦の誤差
5.2. グレゴリウス13世
5.3. 過渡期
6. ユリウス日(Julian day)
7. 日本の暦
7.1. 太陰太陽暦
7.2. 明治改暦
7.3. 神武紀元
8. 曜日と数のコスモロジー
8.1. 六曜
8.2. 七曜
8.3. 10進法 vs 非10進法
8.3.1. 60進法, 12進法, 20進法
8.3.2. フランス革命暦
8.4. 十干十二支
8.4.1. 中国 → 日本の陰陽五行
8.4.2. ギリシア自然哲学 → 西洋占星術の4大元素
8.4.3. 占星術の惑星記号, 錬金術の金属記号
9. 「時」をめぐる雑考
0. 前口上
ナザレのイエスの生没年月日は不詳である。それでは、西暦=キリスト紀元やΧmas とは、いったい何なのか?
天正少年使節がローマに向けて旅発った1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世は、2月24日の大勅書で、10月4日の翌日を15日とする、と宣言した。これが、現行のグレゴリオ暦である。Catholic 対 Protestant の、血で血を洗う宗教戦争の只中のヨーロッパで、キリスト教世界の「全体(‘ολος)」「に対する(κατα)」「普遍的な(καθολικος)」総本山を自任するローマ法王庁(curia Romana)が、「時」の秩序の規範を定め直した、という象徴的なできごとでもあった。
「蛸」octopus の語源は、ギリシア語の「8」 ’οκτω と「足」πους との合成語である。October も、もともとは「第8月」だった。これがなぜ、「10月」に移行したのか? それは、閏日が、年末12月ではなく、2月に置かれていることと共通の原因による。
十干十二支は、年だけではなく日にも配当されているが、これはどんな順序で循環しているのか?
1. 暦の換算
1.1. 記念日考
Newsgroups: tulips.test
Subject: event of day
>きょうは、平成 6年12月14日 (水曜日) です
>太陰暦で、平成 6年11月12日 (仏滅) [中潮] です.
>干支では、甲戌 (きのえいぬ) の年, 甲戌 (きのえいぬ) の日です.
>九曜星で、二黒 です.
>*** きょうは何の日かな? ***
>赤穂義士祭(兵庫県)です.
>東京高輪泉岳寺義士祭です.
>AD 1702/12/14 赤穂浪士討ち入り
AD 1703/1/30 の誤り。
「元禄15(1702)年」という表現は、不正確。
cf. 加唐興三郎(編)『日本陰陽暦日対照表』
野島寿三郎(編)『日本暦西暦月日対照表』
内田正男『こよみと天文・今昔』, p.56:
「 ... 暦日の変換で気を付けなければならないのは, たとえば, 普通元禄15年(1702)というように, 西暦をかっこの中に入れて示すが, 実際は, 元禄15年は1702年の1月28日に始まり, 1703年の2月15日に終わる. したがって義士討入の元禄15年12月14日は, 1703年の1月30日である. このような場合, 元禄15年(1702)と書いても, (1703)としても誤解をまねきやすい. 繁を厭わずに元禄15年12月14日(1703年1月30日)と全部書くべきであろう. 」
cf. 戸田孝「赤穂浪士の討ち入りは1702年か1703年か?」
新城新蔵「暦と年中行事」: 『民族』3(3), p.489; 『こよみと天文』, p.229-230:
「 忌辰や又は著名なる事件の記念日の如きは如何様に定むべきか、旧暦の月日を其まゝ新暦に移したるものとすべきか、新暦を其当時まで溯らしめて相当せる時日を取るべきか、又は旧暦を現在まで延長し旧暦の月日を用ふべきか、これは屡遭遇する問題であるが、これに対しては、右の三つの方法の中いづれにても可なりとも言へるし、又いづれにしても正しからずとも言はなければならぬ。或る一の事件を記念し当時の様子を髣髴せしむるためには、成るべくは其当時と季節も同じく、周囲の状況も同じ様なる時日を選むのが適当であるが、然し全然同じ様な状況を再現せしむることは到底出来ないことである。例へば元禄15年12月14日の義士の討入を記念するためには、若し事件の発端なる3月14日と因縁ある12月14日といふ月日に執着するならば、現行暦の12月14日を以て記念日とするもよいであらうし、若し当時の雪を連想せんとならば其当日に相当せる太陽暦の時日なる1月30日を取るべく、若し又当夜の月を連想するためには、現時まで延長せる旧暦の12月14日を取るべきで、何れも一得一失であるが、以上三つの条件を併せて満足さすことは到底不可能のことで如何とも致し方ない。況んや其他の一切の周囲の状況までをも再現せしめることはいふまでもなく不可能である。蓋し歴史は或る一面より見れば繰り返へすものゝ如くであるが、其全体より見れば決して繰返へさぬものであるからである。」
1.2. 歴史学
南伸坊「顔年表」. 『ひと』. 16(8)(1988年8月号), p.3:
「 日本史と世界史っていうのは, だいたい, べつべつに学ぶことが多いんで, 感覚的に同時代性をつかみにくいんですね。 ... 「おない年の有名人」っていうのをやってみようと, 考えたワケなんです。つまり生年のおなじ「世界史上の有名人」と「日本歴史上の人物」をマッチングしていくって方法です。」
ある事件が、ある場所で起こっていたころ、世界の他の地域の様子はどうだったのか? 技術史・文化史・社会史では特に、世界各地域を比較しての前後関係を考えたい。何と何が同時代で、何が何に先行していたのか?
暦に関する情報は、歴史を記述するうえで、不可欠なもののはず。そこで、歴史学(特に、その研究方法)の概説書や事典類に、暦の基礎知識の解説を求めてみると、意外なことに、暦についての言及は、ほとんど全くといって良いほど、見当たらない。
誰と誰の誕生日が同じ、などということも、どの暦の上での日付かを確認して、各地各時代の暦の換算を考慮しないと、無意味である。
1.3. 図書館情報学
図書館業務では、主として、
・図書の出版・製作年の目録記述
・著者名典拠の付記事項としての生没年
に関連して、世界の各種の暦の換算の知識(実用的には、対照表)が必要。
また、
・逐次刊行物の発行日付
の確認には、諸言語の月や曜日の名前の一覧表があれば便利。
ところが、たとえば干支と元号で年を表す慣習について、目録法の教科書類に言及がないことにも表れているよ
うに、図書館情報学では、暦の知識については、従来あまり関心が払われてこなかったようである。
図書館実務の手引書では、
丸山昭二郎(編)『洋書目録法入門. マニュアル編』p.88-91: 「3.5 アジアの暦」
丸山昭二郎, 井上哲也(共編)『洋書目録マニュアル』p.166-167
等に、多少の解説はあるものの、諸言語の曜日や月の名前の一覧表としては、むしろ、
永田久『暦と占いの科学』p.79-81, p.103-108
の方が、充実している。
アジアの暦年対照表としては、図書館業務ツールとして開発された、
間宮不二雄『簡明・対照 新掌中東西年表 ; 附 新案逆算表』
があるとはいえ、地域研究の分野の事典類にも頼る必要があるのが現状である。そして、地域研究の参考図書は、各地域毎に編集・刊行されている。換算の基礎知識や対照表を、古今東西の暦について一覧できる実用的ツールが必要と思う。
(なお、『アジア歴史事典』第9巻, p.付1-34:「アジア紀年表」; p.付35-39:「アジア年号表」には、誤記が多数あるので要注意。)
平凡社の『世界大百科事典』の別巻『百科便覧』の巻末には、「紀年対照表」があり、日本・朝鮮・中国の元号と、西暦・イスラム暦・干支が一覧対照で通覧できる。
1.4. 情報の記述と索引の工学
「図書館情報学」や「ドキュメンテーション」の扱う対象領域として、暦に注意を喚起したい。暦以外にも、人名, 文字, 言語についての基礎知識を、ひろく一般に普及することも、必要である。さらに、文書管理, ファイリング, 事典編纂法, わかりやすい文章の書き方なども含めて、情報の発生からその流通・保存・検索に至るまでの処理技術・実用工学が、もっと開発・普及されて然るべきと考えられる。
1.5. 内田正男『日本暦日原典』とその派生資料
湯浅吉美(編)『日本暦日便覧』. 増補版, 1990. 上, p.3:
「 自序
... 内田正男氏の『日本暦日原典』 ... は電算機による復元計算結果に, あらゆる史料を博捜しての知見を加味したもので, 『原典』こそは日本における暦復元の決定版と称してしかるべきであろう。それにもかかわらず本書を世に問う趣意は奈辺に存するか。その答えは, それほどの成果としての『原典』の利用度を一段と高めたい, ということに尽きる。
少なくとも私の耳目に接した限りでは, 残念なことに『原典』が十分に理解, 利用されているとはいい難い。その背景には, 共通の時間軸たる暦日に対する意識の低さがあることを指摘しなければなるまい。さらにこの点は, 暦日は難解なものという先入観が払拭しきれないために助長されているとも考えられよう。かくして本来ならば『原典』の恩恵を誰よりも蒙るべき歴史・文学の研究者が, その利用に消極的であったと思われる。」
加唐興三郎(編)『日本陰陽暦日対照表』. 1992-1993. 上巻, p.1:
「 緒言
... 本書では 日本暦日原典に示された允恭天皇34(445)年から明治5(1872)年までの旧暦年月の朔日の西暦推算月日をもととして、すべての旧暦年月日の干支と西暦年月日の対照を表にしてある。
これを用いれば土佐日記(紀貫之)の“それの年―承平4年―の十二月の二十日あまり一日の日”は、西暦(グレゴリオ暦)935年(934年ではない)の2月2日のことであるし、... 元禄15年12月14日赤穂浪士吉良邸討入りは、陽暦では1703年1月30日の大雪の降って当然という日に当たることも考証される。」
内田正男『日本暦日原典』. 第4版第2刷, p.1:
「 ... あるいは四大と言って4カ月大の月が続くのを避けるためや, 元旦の日食や閏8月を避けるなどのことがあって, 必ずしも日付が暦法による計算どおりには行なわれないことがあった。暦日というものは, あくまで実際に施行されたものが正しいので, どんなに計算が正しくても変更された事実がわかれば, その史料に従って計算結果を変更しなければならない。」
*暦を作成するには、天文計算が必要である。ただし、計算だけでは暦は復元できない。
2. 世界の暦と紀元
cf. 小島麗逸, 大岩川嫩(編)『「こよみ」と「くらし」』
2.1. 檀君紀元(韓国・朝鮮)
伊藤亜人[ほか](監修)『朝鮮を知る事典』, p.268:
「だんくん|檀君|Tan-gun
朝鮮の始祖神の号. ... 19世紀末, 民族意識の高揚につれ, 檀君はふたたび朝鮮民族の始祖として信仰され, ... また, 韓国では1961年まで檀君紀元(西暦年に2333年を加算)を使用していた. 」
cf. 高秉雲, 鄭晋和(編)(1979)『朝鮮史年表』. 東京 : 雄山閣. 第2版, 1981, p.170-171:「附録2. 生年・年齢対照表」
(*第3版: 鄭晋和(編)『朝鮮史年表 : 前60万年〜1991年12月まで』. 東京 : 雄山閣, 1992 には、記載なし)
2.2. 仏滅紀元(東南アジア)
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.121:
「 釈尊がいつ寂滅したかについては諸説があり、しかもそれらの年次には大きな開きがある。年代学者ギンツェルが記しているところでは、北インドで行われた仏滅紀元は、古いものは前2422年であり、反対に新しい年次は前546年であるという。また中国や日本で採用されているものは、前950年もしくは前949年である。一方、南インドの仏教徒のあいだで行われたものは、前544年もしくは前543年である。この南方系仏教はビルマや東南アジアに伝わった。現にタイやカンボジアでは前543年を仏滅紀元第1年とする暦法が行われている。」
永田久『暦と占いの科学』, p.125-126:
「 ビルマでは、西暦638年から正式にビルマ暦を使っている。 ... 。紀元元年は、西暦前544年 ... 釈迦の涅槃を ... 紀年したもので 「仏滅紀元」 という。 ただ、最近の研究によると、釈迦が涅槃に入ったのは紀元前383年が定説となっているようである。」
2.3. ヒンドゥー暦
矢野道雄『占星術師たちのインド』, p.48:
「 日本語で「カレンダー」というと、色とりどりの写真や絵は別として、その暦の中身はみな同じで、西暦である。いっぽう「こよみ」というと旧暦が併記してあり、さらに暦注といわれるいろいろな占い的な要素がふくまれるものである。 ... 。
インドにも西暦を基本とした「カレンダー」と、伝統的な暦とがある。後者は「パンチャーンガ」と呼ばれる。」
矢野道雄『占星術師たちのインド』, p.49:
「 ... インドの旧暦の日付の方法は独特なもので、日付の数字がとんだり、重なったりする。前者を欠日、後者を余日と呼ぶと、その欠日と余日の配置が暦によって異なるのである。」
岡田芳朗『アジアの暦』, p.182-184:
「 インドのカレンダーや日めくりを見ていると、実に不思議なことに出くわす。まず第一に、毎月、一日から数えて十五日までくると、とたんにまた一日にもどって、二日、三日、四日……と続く。十六日とか十七日という日付が出てこない。そして、今度は十三日か十四日の次は突如三十日となる。 ... さらによく見ると、ある月は三日の次は五日となり、五日の次は七日になる。かと思うと、今度は七日が二日続いたり、十三日が二日続いたりする。
これはひどい欠陥品かと思って、インド暦と併記されている太陽暦(グレゴリオ暦)の方を確かめると、こちらはちゃんと毎日一日ずつ進んでいるから書き落としや単純な誤記というわけではなさそうである。
「インド暦には十六日から二十九日までの日付が無い」といったら、では一か月は十四日か十五日しかないのか、一年は十二か月ではなく、二十四か月なのか、という疑問が出てくるだろう。
しかし、インド暦は太陰太陽暦なので、一か月の日数は二十九日か三十日なのである。ではなぜ十五日以降の日付がないのかというと、一か月を前半半月と後半半月とに分けて、それぞれ一日から数え、最大十五日までとし、両者を合わせて一か月としているのである。
一般に、新月から上弦の月を経て満月に至る半月を「明るい月」すなわち「白分」とし、満月から下弦を経て晦日に至る半月を「暗い月」すなわち「黒分(」とし、両者を合わせて一か月とする。黒分の最終はかならず三十日と称している。日本の太陰太陽暦で二十九日の小の月も三十日の大の月も月末を「みそか(三十日)」と呼んでいるのと同じである。
このように白分から始まり、それに続く黒分を合わせて一か月とするわけであるが、数多いインド暦のなかには、黒分に始まり、続く白分とを合わせて一か月とするものもある。これは満月を月始めとする方式である。」
矢野道雄『占星術師たちのインド』, p.166:
「 まずたとえば「今年の暦」といってもインドでは今年の年号自体がいろいろある。たいていのインドの暦には西暦のほかにシャカ年、ヴィクラマ年、ベンガル年、ネパール年、ヒジュラ年などさまざまな年号が併記してあるが、インドでは年の数え方に「満」と「数え」があるということにまず注意しなければならない。」
矢野道雄『占星術師たちのインド』, p.166-167:
「 西暦は「数え」だから二〇世紀は一九〇一年から二〇〇〇年までであり、二〇〇一年から二一世紀が始まる。「世紀」ももちろん「数え」である。日本の年号も「数え」だから、昭和年号は六四年まで数えても昭和の実質の長さは満六二年プラス二週間ほどだけである。世界中のほとんどの民族の年号も「数え」である。
いっぽうインドでは昔から「満」で年数を数えるほうが一般的なのである。しかしまた、「数え」の場合もかなりあるので混乱するのだ。天文学書では混乱を避けるためにわざわざ「満何年」とことわっている場合がある。
さて西暦一九九一年の場合、シャカ紀元では三月一七日に新年になり、この日から満一九一三年に入ったが、「数え」では一九一四年である。いいかえると西暦七八年に満のシャカ紀元「ゼロ年」が始まったのである。」
矢野道雄『占星術師たちのインド』, p.168-169:
「 インドで現在もっともよく用いられるのはヴィクラマ紀元とシャカ紀元である。だいたい北インドではヴィクラマ紀元が多く、シャカ紀元は南インドでよく用いられる。これらと西暦との対応は次のようになる(いずれも月名は「晦日おわり」の場合)。
ヴィクラマ紀元(V.S.)
(1) 満の場合
(a)チャイトラ始まりの場合
チャイトラ月の白分から一二月三一日まで
A.D.=V.S.−57
一月一日からパールグナ月の黒分まで
A.D.=V.S.−56
(b)カールッティカ始まりの場合
カールッティカ月の白分から一二月三一日まで
A.D.=V.S.−57
一月一日からアーシュヴィナ月の黒分まで
A.D.=V.S.−56
(2) 数えの場合
(a)チャイトラ始まりの場合
チャイトラ月の白分から一二月三一日まで
A.D.=V.S.−58
一月一日からパールグナ月の黒分まで
A.D.=V.S.−57
(b)カールッティカ始まりの場合
カールッティカ月の白分から一二月三一日まで
A.D.=V.S.−58
一月一日からアーシュヴィナ月の黒分まで
A.D.=V.S.−57
シャカ紀元(Śaka)
シャカ紀元の場合はほとんどチャイトラ始まりであるが、満と数えの違いで次のようになる。
(1) 満の場合
チャイトラ月の白分から一二月三一日まで
A.D.=Saka+78
一月一日からパールグナ月の黒分まで
A.D.=Saka+79
(2) 数えの場合
チャイトラ月の白分から一二月三一日まで
A.D.=Saka+77
一月一日からパールグナ月の黒分まで
A.D.=Saka+78 」
ヴィクラム暦で表示された年数から57または56年を引くと、対応する西暦年が得られる。
ネパールのヴィクラム暦の場合、年始は4月なので、2057年か西暦2000年4月〜2001年4月に対応する。
『JOY』(アジア教育支援の会)
42号
:
「ネパールの公式の暦はヴィクラム暦といい、太陽太陰暦である。大枠は太陽暦で、1年の初めは西暦の4月中旬に固定されており、1ヶ月の日数は29日から、なんと32日というときもある。太陽暦の1年は黄道十二宮上の太陽の運行によって決められているので、西暦と違っているといっても、約4ヵ月半ずれていて、だいたい固定している。しかし、これだけではない。ヴィクラム暦には太陰暦も組み込まれているのだ。ネパールの人たちは、伝統的行事のほとんどをこの太陰暦に従って行う。」
2.4. イラン太陽暦
永田久『暦と占いの科学』, p.125:
「 イランでは、西暦1925年に、長らく用いてきたイスラム暦を改めて「イラン暦」 を新たにつくり、現在、公用暦として使っている。 ... 。なお、1976年に紀元前559年を紀元元年とする帝国暦を採用したが、1978年から、ふたたびイラン暦に戻っている。... 。... 紀元元年を西暦622年と定め、イスラム暦と同じヘジラ紀元であるが、イスラム暦が太陰暦であるのにたいして、イラン暦は太陽暦である。
年初は春分の日、3月21日で ...。」
2.5. ロシア暦
宮島太郎『ロシア語図書目録法入門』, p.151:
「 ロシアでは18世紀初頭まで文字の上に記号“〜”( титло )を付けて数を表していました。数価を持っていたのはギリシァ文字から借用した25文字です。 ... 」
宮島太郎『ロシア語図書目録法入門』, p.152:
「 ロシアの暦には3月1日を年始日とする3月暦と9月1日を年始日にする9月暦があります。3月暦は9月暦より半年遅いのが普通ですが, 半年早い3月暦(ультрамартовский год)もあります。ロシアでは1492年までは3月暦と9月暦 ... が併用されていましたが, 1492年からは教会の伝統に従い年始日は正式に9月1日に定められました。」
東郷正延[ほか](編)『ロシア・ソビエトハンドブック』, p.279-280:
「 10世紀末, ロシアはキリスト教を採用し, これと同時に太陽年に基づくユリウス暦 ... 紀年法は西暦紀元前5508年の「天地創造の年」から起算し, 各年は3月1日を年始日とした. 」
東郷正延[ほか](編)『ロシア・ソビエトハンドブック』, p.280:
「 ... 「天地創造」紀元7208年12月19日付のピョートル1世の勅令でロシアのこよみを西暦に改正 ... 「天地創造」紀元7208年12月31日の翌日を「キリスト降誕」紀元1700年1月1日とし, 1月1日を年始日とすることを決めて ... 」
東郷正延[ほか](編)『ロシア・ソビエトハンドブック』, p.280:
「グレゴリオ暦の採用
... 1918年1月24日付 ... の布告によりロシアで初めてグレゴリオ暦 ... が採用された. ... 1918年1月31日の翌日を2月1日ではなく, 2月14日とすることとし, また, 1918年7月1日までは新暦の日付の後にカッコで旧暦の日付を示すこととした ... 」
東郷正延[ほか](編)『ロシア・ソビエトハンドブック』, p.281:
「 たとえば旧暦1870年4月10日(金曜)は新暦の1870年4月22日になり、曜日はやはり金曜日である。」
cf. Ленин(グレゴリオ暦換算1870年4月22日−1924年1月21日): ソ連の「レーニン生誕記念日」は、4月22日
2.6. 天地創造紀元(Anno Mundi)
*現行のユダヤ暦では、Oct.7, 3761 BC が紀元。
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.118:
「 ... 『旧約聖書』に結びつけて提案された創世紀元 ... 。... ダブリン生れの大司教アッシャー(1581-1656)が提案したもので、西暦前4004年に世界が創造されたという。 ... ニュートンは晩年に年代学に関する著述を行ったが、やはりこの創世紀元を信仰していた。」
cf. Boorstin『西暦はどうやって決まったか : 大発見 5』, p.103-108
Boorstin『本はいつごろから作られたか : 大発見 4』, p.79:
「 ... 1654年に、アッシャーは ... 天地創造は紀元前4004年10月26日午前9時に起こったと宣言した。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.118-119:
「 アッシャーの説以外にも幾つかの創世紀元が提案された。ギリシア正教で現在も信仰されており、またピョー
トル大帝の時代までのロシアでは、西暦元年が創世紀元の5509年にあたるとされていた。またこの創世紀元とは少しちがうが、キリスト教初期にアレキサンドリアのキリスト教徒のあいだでは、人類の始祖アダムとキリストの誕生とのあいだには、5500年が経過しているという説が行なわれていた。」
3. キリスト紀元(Anno Domini)
3.1. 西暦が使用されるまで
Boorstin『西暦はどうやって決まったか : 大発見 5』, p.96-97:
「 西暦が使われるようになったのは、イエス・キリストの誕生から何世紀もたってからだった。最初の数百年間、一部のキリスト教徒は「インディクティオ」を用いていた。これは15年周期の単位で、コンスタンティヌス帝が課税のために設けて312年から使われるようになった暦である。また、スペイン紀元(ローマ人によるスペイン征服のあった紀元前38年を起点とし、1年が復活祭からはじまる)を採用する者や、キリスト受難(降誕の33年後)から起算する者もいた。西暦(AD)を考えだしたのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長ディオニュシウス・エクシグウス(500頃-560年)である。」
永田久『暦と占いの科学』, p.129:
「 カルデア人は、バビロニアの建設者ナボナッサルが即位した西暦前747年から年を数えはじめた。これを 「ナボナッサル紀元」 といっている。... 。
2世紀の天文学者プトレマイオスは、「ナボナッサル紀元」 を用いて、 ... この紀年は後にローマでも使われるようになった。
ところが、その百年後ディオクレティアヌスがローマ皇帝となる ... 。...
自分の即位した西暦284年を 「ディオクレティアヌス紀元」 元年と定めた ... 。」
永田久『暦と占いの科学』, p.130:
「 この紀年法に疑念を抱いたのは、ローマの僧院長エクシグウス・ディオニュシウスで、彼はキリスト教を弾圧
したディオクレティアヌスの紀元を "悪魔の定めた紀元" であると断じ、キリストの生誕をもって紀元とするのを最良であると考え
た。その結果、ディオクレティアヌス紀元248年を 「キリスト紀元」532年として、復活祭の日取りをきめる暦をつくったのである
。
この 「キリスト紀元」 Era of Incarnation はローマ法王ボニファティウス2世の認可を受けて教会で用いられ
るようになり、(一般の学者はローマ紀元に固執して歴史を書いていたらしいが)、9世紀にはヨーロッパに普及し、18世紀後半には世界中で使われるようになったという。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.169:
「 西暦紀元はスキティア(西南ロシア)出身のキリスト教僧侶・ディオニシウス・エクシグス ... 。525年のこ
ろ法王の命を受けて『復活祭の書』を著わしたが、この中ではじめてこの紀元のことを述べた。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.170-171:
「 ディオニシウスがキリスト紀元を提唱したころ、ローマを中心とした西方世界では雑多な紀元が行われていて
、この新紀元は容易にはヨーロッパ世界で採用されなかった。やっと8世紀になって普及しはじめ、それがヨーロッパの一部の国で
公式に採用されるようになったのは10世紀になってからであるという。はじめディオニシウスは「主の体現より」(ab incarnatione Domini)という言葉によって年を数えたが、いまでは「神の年」を意味するラテン語 Anno Domini を略したA.D. をもって西暦年数を表わすことが一般に行われている。
この言葉がはっきり使用されたのは A.D.1219 であり、... 。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.171:
「 ... 18世紀以降にはキリスト以前を意味する ante Christum(略号 A.C.)が用いられ、イギリスではそれを英語で示した before Christ(B.C.)が使用されるようになった。日本で一般に使用される B.C. は英語に結びつくもので必ずしも国際的とはいえない。例えばフランスではイエス・キリスト以前(avant Jesus-Christ)を略して av.J.-C. と書いている。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.171:
「 ところで西暦年数のばあい、西暦1年の前年には零年はなく、直ちに西暦前1年となる。いま西暦2年から西暦4年までの年数を求めようとすれば、直接に4から2を引いて求めることができる。これが西暦前2年から西暦2年までの年数になると、単純に2に2を加える計算では求められない。そこで天文学者のあいだでは、西暦前1年を[0年]、西暦前2年を[-1年]と書くことにしている。こうしておけば、前例のばあい2からマイナス1を引くことによって直ちに両者を隔てる年数を求めることができる。」
3.2. イエスの生没年月日
ナザレのイエスの生没年月日は不詳:
’Ιησους Χριστος
4? BC [初夏?] − AD 30 or 29? 年 4月7日(金) → 「3日目に甦った」
永田久『暦と占いの科学』, p.130:
「 聖書には「キリストはヘロデ王の治世に生れた」とある(マタイ伝)。しかしヘロデは西暦前4年に死んでいる。とすると、キリストはそれ以前に生れていなければならなくなり、... 。
またキリスト降誕のとき、「東方の博士たちが星に導かれていくと、キリストの生れたところで止まった」とある(同前)。この星は "ベツレヘムの星" といわれ、天文学や歴史の面からも研究されたが、土星(イスラエルの守護星)と好運の星木星がその年、同じ魚座に入ったため明るく見えたのであるという有名な論証がある。その説に従うと、キリストは西暦前7年の生れとなる。
最後に、「マリアはヨゼフとともに、人口調査のためにベツレヘムへ来て、馬小屋でキリストを生んだ」(ルカ伝)と聖書にあるが、この人口調査は前7年ごろの皇帝アウグストゥスによるものと、西暦6年ごろのシリア総督によるものとの2つの解釈があり、命令の届く時間を考えると、西暦前5年ごろか、西暦7年ごろということになる。結局 ... 真実の生誕年は西暦前4年ごろというのが定説となっている。」
cf. 藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.172-177
永田久『暦と占いの科学』, p.73,75:
「 聖書にある通り、天使ガブリエルがマリアのお腹に神の子が宿ったことを告げたのは、3月25日、「受胎告知の日」である。キリストはそれからちょうど9カ月たって生れた。したがってキリストは12月25日に生れたことになり、クリスマスとしてキリストの誕生日が設けられた。クリスマスは、この世の光であり太陽であるキリストの誕生という意味をこめて、太陽神ミトラの誕生日「冬至」 を祝う日として定められたのである。」
*ルカによる福音書, 2.8〜2.20 によれば野宿していた羊飼いたちが来て拝んだから、冬ではない、初夏のはずだ、という説もある。
3.3. 「1月」以外の年始
Boorstin『西暦はどうやって決まったか : 大発見 5』, p.98-99:
「 そのほかにも歴史家を悩ませる曖昧さはたくさんあった。たとえば、「一年」のはじまりはいつか? いろい
ろな説があって、クリスマス、お告げの祝日(マリアが受胎告知を受けた日、3月25日)、復活祭(移動祝日)、1月1日などが候補
にあがった。」
*現代日本語のように、数詞と直結した月の名で生活していると、「1月」が年始であるのは自明で、それ以外の月から新年を始めるのは奇妙に感じられるが、January とか February とかいう名前で月を名付けていると、年の変わり目が March でも違和感が少ないのかもしれない。さらに、4月1日を会計年度や学年の始点としている慣習も参照。
cf. 広瀬秀雄『暦』, p.30-31
Boorstin『西暦はどうやって決まったか : 大発見 5』, p.99:
「 中世のヨーロッパでは、法的な記録や公文書にはふつう西暦の日付ではなく、その時代の国王や教皇や主教などの即位を紀元とした日付が用いられて、ことはいっそう複雑になった。」
4. 西洋古典学
4.1. 古代ギリシア
古川晴風『ギリシャ語辞典』, p.1230[引用者注: ギリシア文字は、便宜上、ローマ字に翻字した]:
「 暦法および度量衡について
I. 年, 月, 日, 時間の表示. ...
3. 太陰暦であるから, 月(men)は小の月(29日, koilos)と大の月(30日, pleres)とが交互に配置され, 1月の中の日は上旬の(menos archomenou あるいは histamenou)の第何日, 中旬の(menos mesountos)第何日と呼ばれるが, 下旬(menos phthinontos)については晦日(ene kai nea)の日から逆に数えるのが普通である(従って大の月と小の月とでは異る). 」
古川晴風 『ギリシャ語辞典』, p.1231:
「 4. 古い時代には年を示すのにそれぞれの都市でのその年の上級政務官 (たとえばアテナイでは第一アルコン)の名前が用いられた(ローマにおけるコンスルの名の使用と同じである).
後には全ギリシャに共通に年代を示す方法として, オリンピアド(Olympias)が用いられた. つまり第何オリンピアドの第何年という言い方である(1オリンピアドは4年からなる).
最初のオリンピアドの第1年は776年B.C. 7月〜775年6月とされる. したがって, マラトンの戦いは第72オリンピアドの第3年であるから, 781-72×4-3=490(B.C.)となり, アウグストス帝の死は第198オリンピアドの第2年であるから, 198×4+2-780=14(A.D.)となり, 1 A.D.は第195オリンピアドの第1年に当る. (ただし, 1年の始りが6月下旬であるから, 半年の差があることになる). 」
*「盛年」’ακμη(akme):
Xenophon(佐々木理訳)『ソークラテースの思い出』. 第22刷改版, p.11[訳者の「まえおき」より]:
「 クセノフォーンはアテーナイの市民、士族、古伝ではその「アクメー」が西紀前401/400におかれた。「アクメー」は男盛りとしてふつう40歳をいう。
生年の明確でないときの古代における年代づけの方法であるが、しかし、この「アクメー」はまたその人の生涯のもっとも重要な事件のあった年を応用することもある。」
cf. 柳沼重剛『古代知識人群像』. 1974, p.190-192; または、1994, p.181-183
4.2. ラテン語での日付の表現
*近世までしばしば使用されていたので、初期刊本で実例に出会う機会もある。
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.53:
「 ... 朔の日をカレンダエ(Kalendae)と呼んだ ... 。... ほぼ上弦にあたる日に相当して毎月の5日(31日の月では7日)をノナエ(Nonae)、ほぼ満月にあたる日に相当して毎月の13日(31日の月では15日)をイードス(Idus)と呼んだ。しかもこれらの特定の日を基準として、それ以前の日を数えたのである。例えば5月25日は6月1日のカレンダエを第1日として8日以前であるところから、そのことを示すように a.d. VIII Kal. Junias (6月のカレンダエ以前8日)と表わしたのである。」
田中秀央(編)『羅和辞典』, p.691-692:
「2. 暦
[4] 月の最初の日を Kalendae と称する.
3月, 5月, 7月, 10月ではその第7日目の日を Nonae と称し, その他の8カ月ではその第5日目の日を Nonae と称する. 3月, 5月, 7月, 10月ではその第15日目の日を Idus と称し, その他の8カ月ではその第13日目の日を Idus と称する.
[5] ... その月の Nonae または Idus, または翌月の Kalendae を起点にして, それからさかのぼって何日目というふうに計算するのである. ただし, ここに特に注意すべきは, ローマ人はその日数の計算では, その起点の日も終結の日も共に数え込むということである. (ただし Kalendae, Nonae, Idus の直ぐ前日は pridie と称する)
...
'11月29日に' のラテン語は ante diem tertium Kalendas Decembres (a.d.III.Kal.Dec.)
閏年の2月は, その24日目(ante diem sextum Kalendas Martias)が二度数えられるから, 日数が29日になるのである. また閏年のことを annus bisextilis と称するのもここに原因しているのである. 」
4.3. 古代ローマ
田中秀央(編)『羅和辞典』, p.691:
「1. 年代
[1] ローマの著作家はその年代を記すのに, 通例その年の執政官の名を使用した. けれども, もし A.U.C.
(anno urbis conditae)の年代の記載法を使用した時には, 我々は754からその年代の数を引けば, 西暦 A.C.(紀元前)の年代の数を
知ることができ, その年代数から753を引けば, 西暦 P.C.(紀元後)の年代の数を知ることができる. たとえば,
A.U.C. 710 は A.C.44
A.U.C. 762 は B.C.9 」
永田久『暦と占いの科学』, p.89:
「 古代ローマで、はじめて暦がつくられたのは紀元前8世紀で、前753年にローマ建国の祖といわれるロムルス
Romulus の手によるとされている。これを「ロムルス暦」 という。」
永田久『暦と占いの科学』, p.90:
「 「ロムルス暦」 というのは、10カ月しかなく、1年が304日という素朴きわまる暦であった。 ... 月の満ち欠けを基準にした太陰暦で、1カ月を30日として、10カ月で暦が終る ... 。冬の酷寒のころに日付がない。」
*September, October, November, December の原義は、それぞれ、第7, 8, 9, 10月。ギリシア語/ラテン語の数詞に由来する単語については、永田久『暦と占いの科学』, p.83-90を参照。
永田久『暦と占いの科学』, p.91:
「 ロムルスの後を継いだローマ皇帝ヌマ・ポンピリウスは、 ... 前710年 ... 第11月ヤヌアリウス Januarius
と第12月フェブルアリウス Februarius の2カ月を加えて、1年を12カ月とした ... 。」
永田久『暦と占いの科学』, p.92:
「 ... 「ヌマ暦」 では年の初めがロムルス暦と同じ 「マルティウス」Martius で始まる12カ月のサイクルがつづいた。そして紀元前153年になってはじめて、「ヤヌアリウス」 を第1月つまり年初とする暦に変えられたのである。これを 「ヌマ暦の改革」 という。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.52:
「 ... ユリウス・カエサル ... はエジプトを征服し、その地の暦学者ソシゲネスを連れ帰り、... ユリウス暦の名で知られる暦法を制定したのである。
前46年に制定されたユリウス暦では、当時の混乱を修正するため23日の閏月のほかに、別に2カ月67日を置き、従って1年の日数は実に445日を数えたのである。... 世にこれを乱年といっている。
しかし前45年からは平年を365日とし、閏年には1日の閏日を加えて366日とするようになった。しかし初期には閏日が3年ごとに置かれたり、また閏日の位置が現行とちがって、Februarius 月の23日を1日くり返し、第2月の中間に置いた。この
日は Martius 月1日の前第6日目にあたることころから、閏年のことを bissextile と呼んだことがあった。」
永田久『暦と占いの科学』, p.110:
「 ... ヌマ暦が改められて、「ヤヌアリウス」 が1月になったものの、それはあくまでも政治上の、公けの暦の上のことであって、一般のローマ人は、あいかわらずかつての正月 「マルティウス」 から1年が始まり、かつての最終月 「フェブルアリウス」をもって終るものと思っていたようである。... 。
それゆえ閏月をどこへ入れるかについても、... 。」
永田久『暦と占いの科学』, p.112:
「 ... ユリウス・カエサル Julius Caesar (シーザー、前102年7月生れ)は ... 1年365日の暦をつくった(前46年)。この暦がいわゆる 「ユリウス暦」 である。」
永田久『暦と占いの科学』, p.113:
「 ... 23日間の閏月をテルミナリアの直後に割りこませるだけでは収まらず、新たに11月と12月との間に67日間の第2閏月を置いたため、紀元前46年という年は、実に445日という1年になった。... 。この年を 「乱年」 annus confusionis と名づけている。」
永田久『暦と占いの科学』, p.113:
「 ... 一般市民は長い習慣から脱けだすことができず、1月のほかに3月「マルティウス」 もいわゆる旧正月として共存していたのである。
しかし 「ユリウス暦」 によって、正式に1月ヤヌアリウスが年初ときまり、... 。」
永田久『暦と占いの科学』, p.119-120:
「 そもそもローマ人の暦の発想には、「年の初めは昼夜の長さが同じになる春分から」という考えがあったので、暦の上で月の順序や呼びかたをいろいろ変えはしても、「春は春分から始まる」 という発想はずっと根強く生きていた。」
5. グレゴリオ暦
5.1. ユリウス暦の誤差
永田久『暦と占いの科学』, p.120-121:
「 ... 皇帝コンスタンティヌス1世 ... は、西暦325年に、復活祭をつぎのように決定した。
「復活祭は、春分をすぎたあとにくる最初の満月後の最初の日曜日とする」(ニカイヤのキリスト教会議)
現代でも復活祭の日どりは、会議の決定どおりに3月22日から4月25日までの間の 「移動祝日」 となっている。しかもキリスト教の行事は、ほとんどが復活祭を基準に決められている。
そのうえ春分は、「3月21日」と決められた。昼と夜の長さが等しくなる日を、暦の上で(決定してしまった。それも1日に11分14秒誤差のあるユリウス暦の上で決定したのである。
さて時は流れて、16世紀、ローマ法王グレゴリウス13世 Gregorius XIII の時代へ飛ぶ。
ユリウス暦の日差11分14秒は積もり積もって、16世紀には誤差が10日あまりになっていた。そのため暦のうえで3月21日にくるべき春分が、実際には3月11日になっていた。暦の上での春分より10日も早く、昼夜の同じくなる日がきてしまうのだ。キリスト教会議の場で、公けに「春分は3月21日」ときめられた以上、この狂いを放置しておくわけにはいかない。春分の日を正しい暦日に固定しておく必要があるのは当然で、キリスト教そのものの権威にもかかわる。グレゴリウス13世は英断を迫られた。」
5.2. グレゴリウス13世
Boorstin『どうして一週間は七日なのか : 大発見 1』, p.32:
「 教皇グレゴリウス13世はいまでは、パリで聖バルトロメオの日に起こったユグノー教徒(カルヴァン派)の残酷きわまりない大虐殺(1572年)にたいして公然と感謝の祈りを捧げたことで悪名が高いが、 ... 」
*1572年8月24日 聖バルテルミの虐殺 Le massacre de la Saint-Barthelemy
Gregorius XIII (1502.1.1 or 7? − 1585.4.10)
本名 Ugo Buoncompagni
在位 1572-1585
1582年2月24日の大勅書により、10月4日の翌日を15日とした。
内田正男『暦と時の事典』, p.69,上段:
「 改暦を決意したグレゴリウス13世は1577年ころより改暦委員会を組織して検討させた。新暦の発案者はラテン語よみでリリウス(Aloisius Lilius)というペルジア大学の医学の講師であった。この改暦案には多くの反対があったが、それらの論難に対して終始一貫新暦案を弁護し、科学史上に名誉の地位を占めたのは、... イエズス会の天文学者クラビウス(Christoph Clavius)であった。
... グレゴリオ改暦はまったく宗教的な動機をもってなされたもので、春分の日を3月21日に戻すとともに、そこに固定することが主目的であった。教主はヨーロッパの全キリスト教徒にグレゴリオ暦の採用を命じ、... 新暦を拒否する者には破門をもって脅し、その採用を強要した。しかし新暦をすぐに採用したのはローマンカソリックの国々のみで、今のように全世界的に使用されるまで300年以上の歳月がかかった。」
永田久『暦と占いの科学』, p.121:
「 「西暦年が4で割りきれる年を閏年とする。ただし、西暦年が100で割りきれても、400で割りきれないときは平年とする。
閏日は2月28日の翌日2月29日とする」
これがいわゆる 「グレゴリオ暦」 である。
これは、4年ごとに閏年がくる点ではユリウス暦と変りがないが、400年間に3回閏年を省くという点が新しい発想といえる。
例えば西暦1900年は100で割りきれるが、400では割りきれないので、ユリウス暦では閏年だったのが、グレゴリオ暦では平年になる。 ... 。
これはかんたんにいえば、グレゴリオ暦では「400年間に97回閏年を設ける」ということになる。」
5.3. 過渡期
『英米目録規則. 第2版日本語版』第22章「個人標目」. 「同一名を区別するための付記事項」:
「22.18. 年月日など(dates)
... 1582年以降の年月日などはグレゴリウス暦16) で記載する。」
「 16) グレゴリウス暦が採用されたのは, フランス, イタリア, ポルトガル, スペインでは1582年,
ドイツのカトリック教国では1583年, 連合王国では1752年, スウェーデンでは1753年, プロシアでは
1774年, ロシア共和国では1918年である。1582年以降の年月日などは次の表に示すようにユリウス暦
からグレゴリウス暦に換算する。
表I. ユリウス暦12月の下記の日は, グレゴリウス暦では翌年の1月にあたる。
年(ユリウス暦) 日(ユリウス暦)
1582-1699 Dec.22-31
1700-1799 Dec.21-31
1800-1899 Dec.20-31
1900-1999 Dec.19-31
表II. 英国諸島で用いられた「旧暦」の下記の日は, グレゴリウス暦の翌年にあたる。
英国諸島(スコットランドを除く)と植民地
年(旧暦) 日(旧暦)
1582-1699 Jan.1-31
Feb.1-28[29]
Mar.1-24
Dec.22-31
1700-1750 Jan.1-31
Feb.1-28[29]
Mar.1-24
Dec.21-31
1751 Dec.21-31
スコットランド
年(旧暦) 日(旧暦)
1582-1599 Jan.1-31
Feb.1-28[29]
Mar.1-24
Dec.22-31
1600-1699 Dec.22-31
1700-1751 Dec.21-31 」
Boyle『ボイル : 形相と質の起源』, p.civ:
「 英国では1751年になるまで公式には新暦(グレゴリオ暦)ではなく旧暦(ユリウス暦)が使用されていた。17世紀においては、旧暦は新暦より10日遅く、また新年は3月25日に始まった。例えば、旧暦の1652年3月1日は、新暦では1653年3月11日である。」
岡田芳朗『暦のからくり』p.180-181:
「 ... ジョージ・ワシントンの誕生日は二月二二日で、アメリカではこの日、「ワシントン・バースデー」と称してさまざまな記念行事が催される。
... イギリス本国とその植民地では、依然としてユリウス暦(旧暦)を使用していた。
... 。
そのうえイギリスでは新年のはじまりを三月二五日としていたため、一月から三月二四日までは前年に属していた。すなわち、ワシントンの誕生日は正しくは一七三一年二月一一日なのだけれども、これは旧暦の日付であり、新暦になおすと、一七三二年二月二二日だったわけである。」
Boorstin『どうして一週間は七日なのか : 大発見 1』, p.33:
「 旧式の暦では1731年2月11日となっていたジョージ・ワシントンの誕生日が、新しい暦では1732年2月22日となった ...。」
cf. LC(米国議会図書館 Library of Congress)の著者名典拠:
Washington, George, 1732-1799
ところが、ニュートンの生年月日は、旧暦(ユリウス暦)では、1642年12月25日だが、新暦(グレゴリオ暦)では、1643年1月4日のはずなのに、LCの著者名典拠では、なぜか「1642- 」のままになっている。
*出版年については、ユリウス暦の出版年は、換算せず、そのまま記述する(AACR2, 1.4F1)。
6. ユリウス日(Julian day)
*スカリゲル Scaliger, Joseph Justus (1540.8.5 or 4 − 1609.1.21)
イタリア系フランス人。
1583: De emendatione temporum.
1606: Thesaurus temporum.
cf. Boorstin『西暦はどうやって決まったか : 大発見 5』, p.102-103
ユリウス日(ユリウス通日)(Julian day)という名称は、「ユリウス暦」とは直接の関係はなく、父 Julius Caesar Scaliger (1484.4.23-1558.10.21) の名を記念して命名したもの。
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.115:
「 ... 天文学者や年代学者のあいだで使われるもので、... 日を通算する方法がある。その周期をユリウス周期(Julian Period, 略して J.P.)といい、通算の日数をユリウス日(Julian Day, 略して J.D.)と呼ぶ。
... ユリウス周期 ... にはまずその基礎となる幾つかの周期がある。いまユリウス・カエサルが制定したユリウス暦を考えると、その暦年の日数は4年を周期として繰り返され、4年間の日数は週日で数えて208週と5日である。従って28年では1456週と35日、すなわち1461週となる。いいかえると28年は週の整数倍となり、このことはユリウス暦では28年を隔てて同じ月日に同じ週日が循環することを意味する。
こうした周期を太陽章(Solar Cycle)と呼んでおり、6世紀のローマの年代学者ディオニシウスは西暦前9年をこの周期の第1年ととった。... 。この太陽章に対し、... メトン周期、すなわち19年周期を太陰章(Lunar Cycle)と呼び、この周期は西暦前1年から起算する。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.62-63:
「 ... 中国ではほぼ前5、6世紀のころから置閏法として、19年周期が採用された。... 。
この19年に7回の閏月を置く方法は、19年7閏法といわれ、また19年を1章と呼ぶことから章法ともいわれた。この周期はギリシアの天文学者メトンが前432年に提唱したところからメトン法の名で知られたものである。同じものが東西で知られていたが、両者のあいだに影響があったかどうかはよく分らない。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.116:
「 ... いま1つ、ローマン・インディクション(Roman Indiction)といって、ローマ皇帝コンスタンチヌスが収税のために設けた15年周期がある、この周期は西暦313年を第1年として数える。以上の3種の最小公倍数、すなわち、7980年=28×19×15 がユリウス周期と呼ばれるもので、16世紀の年代学者スカリゼが1582年のころに考案したものである。この年にはグレゴリオ暦が採用され、従来のユリウス暦での日の数え方とのあいだに混乱が起ったためこうした周期を考え、さらに西暦前4713年を第1日として日数を通算するユリウス日を設定したのである。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.116:
「 ... ユリウス日は遠く隔たった期間の日数を知るのに役立つだけでなく、特定の日の曜日や干支を知るのにも役立つ ... 。」
7. 日本の暦
7.1. 太陰太陽暦
内田正男『暦と時の事典』, p.177 上段:
「 太陽暦
太陽の運行、すなわち一太陽年の長さに基づいて暦年を設定し、月の満ち欠けの周期は考慮しない暦法である。現在わが国を含め世界中でほとんど共通して使用されているグレゴリオ暦、そしてその前に用いられていたユリウス暦は代表的な太陽暦である。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.55-56:
「 江戸時代もしくはそれ以前の日本に行われた旧暦を俗に太陰暦と呼ぶこともあるが、暦学上では太陰太陽暦と呼ぶべきであって、これとは別に太陰暦がある。現在もイスラム教を信奉する国々で行われている暦法がそれである。この暦法では暦面上で月のみちかけを知ることが主眼であり、暦を季節の推移に合わせることはまったく無視されている。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.61:
「 ... 太陰太陽暦は過去の遺産として残っているもので、現在これを使用するのは東南アジアの一部など、ごく僅かである。太陰太陽暦とはその名が示すように、太陰暦と太陽暦とを折衷したもので、暦の上で月のみちかけと季節とを同時に知るように工夫されている。かつての中国や日本で行われたことはいうまでもないが、過去のバビロニアやギリシアの暦もこの種のものであった。」
山崎昭, 久保良雄『暦の科学』, p.100:
「 節気は ... 太陰太陽暦において必要なものだが、太陽暦には無縁のものである。一方、それは太陽だけによって決まり、月(ムーン)とは無関係である。」
7.2. 明治改暦
内田正男『暦と日本人』新装版, p.177-178:
「 太政官布告337号 ...
明治5年壬申11月9日
1、 ... 来ル12月3日ヲ以テ、明治6年1月1日ト被定候事
1、 1ケ年365日12ケ月ニ分チ、4年毎ニ1日の閏ヲ置候事 」
山崎昭, 久保良雄『暦の科学』, p.122:
「 ... 明治5年11月9日の太政官布告にのべられていたものは、4年に1回うるう年を置くというだけの、ユリウス暦式の太陽暦であった。しかし、意図したところはグレゴリオ暦の採用であって、当時、欧米の多くの国で行われていたグレゴリオ暦に日も合わせたものである。おそらく、あまりに急いだために、うるう年の置き方に関する十分な記述が間に合わなかったのであろう。」
内田正男『暦と時の事典』, p.69,下段:
「 ... 明治5年の改暦の詔書の閏年に関する文言が不備であったため、のちに明治31年5月11日勅令第90号をもって、この点を明確にした。このことから明治6年に実施したのはユリウス暦であったなどという妄説を称えるものがあるが、ユリウス暦なら天保暦の明治5年12月3日は1872年の12月20日に当たり、決して73年の1月1日とはならない。」
内田正男『暦と日本人』新装版, p.181:
「 ... 詔勅では閏年を4年に1度と規定しただけであったので、西暦1900(明治33)年を閏年とかぞえなければならなくなった。明治31年5月11日の勅令第90号はそのために出されたもので、この勅令が現在なおも生きて閏年を規定しているのである。」
山崎昭, 久保良雄『暦の科学』, p.123:
「 ところが、明治31年の勅令の中では、西暦という言葉を用いず、神武天皇即位紀元年数から660を引いたものという表現がとられており、これは、近年になり、しばしば物議をかもすところとなっている。」
7.3. 神武紀元
皇紀2600年=西暦1940年
*『理科年表』は、昭和59=1984年版まで、(暦1)のページに、神武天皇即位紀元を収載していた。
内田正男『暦と日本人』新装版, p.201-202:
「 ... 建国記念日 ... 。二月一一日は敗戦までは紀元節と呼ばれ、... 。
... 『日本書紀』の一節、
辛酉の年の春正月庚辰朔、天皇(神武)橿原の宮に帝位につく
という記事によって計算されたものである。干支は六〇を周期としており、『書紀』の記事に書かれている干支を順次たどって行くと、この辛酉の年は西暦紀元前六六〇年となり、その年の正月朔日を庚辰として計算すると、グレゴリオ暦の二月一一日になる。」
内田正男『暦と日本人』新装版, p.202:
「 『書紀』の日付は、... 後世にわりつけたもので、... 。
『書紀』編さんに際して西暦紀元前六六〇年の辛酉の年まで遡った根拠は、中国で流行し、日本に当時伝えられて朝廷や高位の人たちの間に信じられた讖緯(説という思想によっているという。辛酉の年には革命がおこるということから即位の年も辛酉になっており、日本に年号が用いられるようになってから明治になるまで、辛酉の年にはほとんど改元が行なわれている。」
8. 曜日と数のコスモロジー
8.1. 六曜
永田久『暦と占いの科学』p.76-77:
「 ... 「六曜」 はどのようにして決められているのかというと、旧暦の1月、7月の1日を先勝、2月と8月の1日を友引、3月と9月の1日を先負、4月と10月の1日を仏滅、5月と11月の1日を大安、6月と12月の1日を赤口とするのである。
旧暦の各月の1日が以上のようにきまれば、あとは1日が先勝なら、2日以後は友引、先負、仏滅、大安、赤口、先勝、……の順序で、1日ずつ配当されるわけである。そして1カ月の晦日がどんな六曜で終ろうと、つぎの月の1日は最初にきめられた六曜から始まるので、そこで順番が飛ぶことも多い。
六曜は旧暦をもとにつくられているので、現在私たちの使っているグレゴリオ暦ではきめることができない。」
内田正男『暦と日本人』新装版, p.2:
「 ... 私は、暦注に関連する迷信は積極的に否定する立場を取り、賢明なる読者のお知り合いから、日の吉凶などをいう人が一人でも減ることを期待しながら執筆した。」
内田正男『暦と日本人』新装版, p.24:
「 だいたい、六曜だけでなく、迷信というものは頭のいい方が、これを売ってお金をもうけ、それほどおつむのよくない方が、これを買ってわざわざ自分の生活を拘束し不便にするものである。迷信がどんなに愚かなものかをわからせようとしても、迷信にとらわれるような人は、もともと論理的な考え方の苦手な、思考に飛躍があっても気づかない人が多いので、真面目に説得を試みても、から滑りになってしまう。」
cf. 新城新蔵『こよみと天文』, p.231-275:「暦及び方位に関する迷信」
8.2. 七曜
cf. 倉田正也「曜日の名前のはなし」. 倉田正也『科学・技術の盲点をつく : もうひとつの視角』工業調査会, 1982 (K books ; 30), p.193-221: 12章
内田正男『暦と日本人』新装版, p.196-197:
「 ... キリスト紀元の少し前であるが、占星術の方から7つの惑星の名前を、連続した日に周期的連続性を保たせながら結びつけることが行なわれた。この時代の惑星という言葉の中には太陽・月もふくまれる。... 。... 当時の人が考えていた、地球からの距離の遠い順にならべると、土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月であった。それらはおのおの、連続する1時間ずつを順次支配するとされた。たとえばある日の第1時を土星とすると第2時は木星、第3時は火星、第4時が日……そして第7時が月という具合にである。第8時は再び土星、第9時が木星というように割付けると、第1日の最後の方は第21時が月、第22時が土、第23時が木で第24時が火となり、翌日の第1時は日となる。このような配当をずっと続けて、第1日から順に第1時の星をとると、土・日・月……という現在の七曜の順序になるのである。」
*惑星を始めとして、天体の名前は、ギリシア/ローマ神話によるものが多い:
cf. 呉茂一, 高津春繁, 吉田敦彦
*英語の曜日の名は、主に、ゲルマン神話に基づく:
cf. 菅原邦城, Dumezil
cf. 永田久『暦と占いの科学』p.66-72
内田正男『暦と日本人』新装版, p.197:
「 この七曜は急速に拡がるのであるが、それが文献にあらわれる最初は紀元前26年から30年の間に書かれたチブルウスという人の詩の中である。
七曜は中国には唐の時代に伝わって、それから日本にも渡って来たものである。この曜日が毎日連続的に使用されているのは、『御堂関白記』と呼ばれる藤原道長の日記(998-1021)が最初である。この日記は「具注暦」に書きこまれていて、ここに出ている曜日は確かに現在私たちの使用している曜日とつながっていることは計算によって確認できる。しかし戦国時代から徳川の初めの頃、関東では間違った曜日が使われていた。つまり本当の木曜日の時に関東では日曜日としていたのである。この誤解は1685年、貞享暦採用とともに直された ... 。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.94-95:
「 西暦前に考案された七曜は3世紀にはローマ世界でかなり普及し、やがて東方世界にも伝播していった。しかしその伝播は決して早いものではなかった。インドには5世紀のころに伝えられたが、一般には使用されず、天文学者のあいだで行われただけで、広く民衆のあいだに行きわたったのは9世紀ごろといわれている。中国に仏教を通じて七曜が知られたのは、8世紀のはじめに義浄が訳した『仏説大孔雀呪王経』であったといわれ、これには七曜の名称が書かれている。しかし、中国にはそれ以前からペルシアに起ったマニ教を通じて七曜が伝わっていた。」
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.95:
「 ... 七曜が日本に伝わったのは、806年に唐から帰国した弘法大師が唐の不空が編纂した『宿曜経』を招来してからであろう。」
Boorstin『どうして一週間は七日なのか : 大発見 1』, p. 40:
「 古代ギリシアには週はなかったらしい。ローマ人は8日を1週間として生活していた。... ローマ人がいつ、どんな理由から8日を単位にしたのか、またその後1週間を7日に変えたのがなぜかは明らかでない。7という数は、世界中のほぼいたるところで特別に扱われている。」
内田正男『暦と日本人』新装版, p.196:
「 ところで、暦とは、適当な周期、すなわち週・月・年などに日を配当する方法である。これらのうち、日・月・年などは天文学的な周期に基づいたものであるが、週とか日の細分である時・分・秒などは人為的なものである。また年始をどこにとるかとか、紀元なども同様に約束ごとである。」
8.3. 10進法 vs 非10進法
8.3.1. 60進法, 12進法, 20進法
藪内清『歴史はいつ始まったか』, p.96:
「 24時間制は12進法の変形であり、おそらく1年を12カ月とすることから始まった12進法は、10進法とともに洋の東西を問わず広く行われたものである。時・分を細分する60進法はおそらく10と12の最小公倍数として導き出されたものと思われる。中国でも古くから日を数えるのに60干支が使用されており、60進法は決して珍らしいものではなかったが、60進法をもっともよく使用したのはバビロニアであって、ここでは一般の記数法にも広く採用されたのである。」
泉井久之助『印欧語における数の現象』, p.215:
「 ... イギリスの貨幣単位は, 近年の改革までは十二進法と二十進法の並用であった。」
泉井久之助『印欧語における数の現象』, p.215-216:
「 ... けれども10は数理的にいって, はんぱな数値である。現に円周を十等分することは, 幾何学的に, なかなかむずかしい。けれども六等分することは容易である。その円の半径をもって円周を区切ってゆけば, 正確に六等分になる。これは容易に十二等分できる。それは方位の天測にも便利である。その他, 2, 3, 4, 6 で割れる点からも12の方がヨリ合目的的な数にちがいない。しかし昔から人間の手足に10本の指があるかぎり, <10>は「人間的に自然な」数である。暦日, 暦月, 時・分に残る十二進法と六十進法の合理的な根拠はいかにも深い。しかしこれさえ, いつかは改革が強行される日が来ないとは限らない。現に秒以下の計り方は十進法である。」
cf. ホーキング等の「人間原理」
8.3.2. フランス革命暦
岡田芳朗, 阿久根末忠(編著)『現代暦読み解き事典』, p.319-320:
「 ... 1792年 ... 11月24日に国民公会で正式に可決され、公布された。... 。
1. 1年はパリにおいて太陽が秋分点を通過する日に始まる。
2. 王制が廃止された1792年9月21日の翌22日に始まる年を共和国第1年とする。
3. 1か月を30日とし、1年に5日の余白を年末に設ける。
4. 週を廃止し、1か月を10日ごとの3旬(デカード)に分け、10日・20日・30日を休日とする。
5. 1日を10時間、1時間を100分、1分を100秒とする。
革命暦は、それまで使用されてきた伝統的な暦法、時法、紀年法の全面的な否定である。特にキリスト教的要素を完全に払拭していた。」
岡田芳朗, 阿久根末忠(編著)『現代暦読み解き事典』, p.320:
「 1801年、当時執政官であったナポレオンは、ローマ法王庁と協定を結んで、まず週と宗教上の聖日を公認し、ついで5年後、従来のグレゴリオ暦を復活し、時刻法も旧に戻してしまった。かくしてフランス革命暦は、わずか12年でその幕を降してしまったのである。」
世界的な普及に成功したメートル法に代表される合理志向を率先して実行したフランスが、数詞においては、20進法を使い続けているのは、興味深い現象。言語をはじめとする慣習の力は根強い。人は合理一辺倒ではなかなか日常生活を生きられないことの例証ともいえるかもしれない。
8.4. 十干十二支
8.4.1. 中国 → 日本の陰陽五行
十干は、五行相生(木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず)の順(先頭の一文字ずつを採って「きひつかみ」と覚える)に、兄(え=陽)と弟(と=陰)を加えた循環。
木 火 土 金 水
きの ひの つちの かの みずの
えと えと えと えと えと
甲乙 丙丁 戊己 庚辛 壬癸
東 南 中央 西 北
青 赤 黄 白 黒
春 夏 土用 秋 冬
蒼龍 朱雀 黄龍 白虎 玄武
寅卯 辰
巳午 未
申酉
戌 亥子
丑
8.4.2. ギリシア自然哲学 → 西洋占星術の4大元素
空気/風 火 水 土
血液 黄胆汁 粘液 黒胆汁
春 夏 秋 冬
幼年 青春 壮年 老年
多血質 黄胆汁質 粘液質 憂鬱質
木星 火星 金星/月 土星
Jupiter Mars Venus Saturnus
cf. 中野美代子, 若桑みどり
*なお、仏教の「四大」も、地水火風
8.4.3. 占星術の惑星記号, 錬金術の金属記号
cf. 江川清[ほか](編)『記号の事典』セレクト版第2版, p.57, p.66-67
*生物学の雄記号の字体には、2種類ある。JIS X 0208 では、火星=Mars と同じく、矢印が右上に出ている。高校の生物の教科書や、『理科年表』では、矢印が真上に出ている。蝶や鳥の図鑑類では、個々の図書によってまちまち。
立花観二「生物学における雌雄記号の由来」『科学史研究』98, p. 59-64(1971)
「フランスの古典学者 CLAUDE de SAUMAISE(1588〜1653) の説であるところの「これらの印は,Kronos (Saturn), Zeus (Jupiter), Thouros (Mars), Phosphoros (Venus), Stilbon (Mercury) のように,惑星のギリシァ文字の伝承過程における省略と変形からきたのだ ... 」とする結論」(p. 61)
「♂は Mars のたて(楯)とやり(槍)を, ♀は Venus のかがみをかたちどっているのだとする説もあるが, 現在では, 単なる言い伝えとして受けとめられているにすぎない. 」(p. 63)
cf. Gender symbol
(From Wikipedia, the free encyclopedia)
From the symbol of Mars (Unicode: U+2642 ♂), formed by rotating the Venus symbol 135 degrees. Cross was later changed to an arrow making it resemble a shield and spear. The symbol for a male organism or man.
Stearn, William T. "The origin of the male and female symbols of biology". Taxon. 11(4), p. 109-113 (May 1962)
Schott, G.D. "Sex, drugs, and rock and roll : sex symbols ancient and modern : their origins and iconography on the pedigree". BMJ : British medical journal. 331, p. 1509-1510 (24 December 2005)
Schott, Fig 2
9. 「時」をめぐる雑考
泉井久之助『言語の構造』, p.82-83:
「 ... 我々は時間を過去・現在・未来の三つの段階に分つことのできるのを, 自明のことだとしている. のみならず, これがいかなる場合にも妥当な区分であるとの一種の信念がある. 従って動詞の時称にも同様にこの三段階の区分をたてて, これが時称の原本的な形式であるとするのである. しかし事実に少し近づいて見るとき, これに種々な例外を認めなくてはならない場合があるのを, 我々はまたよく知っている. 」
*タイムマシン: 都筑卓司, 広瀬正, Niven, Wells
*深夜番組を、前日の曜日・日付のものとみなす、放送局の慣習。
参照文献
☆暦の会(編)『暦の百科事典』, pp.369-379 の解題書誌をも見よ
☆[ ]内は、筑波大学附属図書館の配架記号
- 『アジア歴史事典』平凡社, 1959-1962 [220.033-A27 参考], 第9巻, p.付1-付34:「アジア紀年表」; p.付35-付39:「アジア年号表」
- 泉井久之助『印欧語における数の現象』大修館, 1978 [801.5-I99]
- 泉井久之助『言語の構造』紀伊國屋, 1967 [801.5-I99] [チ200-277] [チ200-284], etc.
- 伊藤亜人[ほか](監修)『朝鮮を知る事典』平凡社, 1986 [221.003-C54 参考]
- 内田正男『こよみと天文・今昔』丸善, 1981 (理科年表読本) [449-U14]
- 内田正男『暦と時の事典 : 日本の暦法と時法』雄山閣, 1986 [449.033-U14 参考]
- 内田正男『暦と日本人』雄山閣, 1975 (カルチャーブックス ; 5) [449.34-U14] → 新装版, 1992
- 内田正男(編著)『日本書紀暦日原典』雄山閣, 1978 [449.81-U14 参考]
- 内田正男(編著)(1975)『日本暦日原典』雄山閣. 第4版, 1992. → 第4版第2刷, 1994 [449.81-U14 参考]
- 江川清[ほか](編)『記号の事典』三省堂, 1985 [体芸 031-E29 参考]
→ セレクト版第2版, 1991 [中央 031-E29 参考]
→ セレクト版第3版, 1996
- 岡田芳朗『アジアの暦』大修館書店, 2002.12.10 (あじあブックス ; 049)
- 岡田芳朗『暦のからくり : 過去から学ぶ人生の道しるべ』はまの出版, 1999
- 岡田芳朗『旧暦読本 : 現代に生きる「こよみ」の知恵』大阪 : 創元社, 2006.12
- 岡田芳朗, 阿久根末忠(編著)『現代こよみ読み解き事典』柏書房, 1993 [449.81-O38]
- 織田一朗『時計の針はなぜ右回りなのか : 時計と時間の謎解き読本』草思社, 1994
- 加唐興三郎(編)『日本陰陽暦日対照表』上巻, 下巻. ニットー, 1992-1993 [449.3-Ka24 参考]
- 「紀年対照表」『百科便覧』平凡社, 1988 [031-Se22-33 参考], p.507-540
- 倉田正也『科学・技術の盲点をつく : もうひとつの視角』工業調査会, 1982 (K books ; 30) [医学 404-Ku56]
- 呉茂一『ギリシア神話』(上),(下). 新潮社,
1956
- 第八章「民間説話および史的伝説」は、後の諸版では削除されている
- 呉茂一『ギリシア神話』新潮社,
1969 [体芸 162-K]
- 「〈追 記〉 さきに本書を、上・下二冊本として出刊してから、もう十年余となります。
...
この際、若干の訂正や修正、語句の統一をはかると共に、一冊本としての頁数その他の制限も感じられまして、挿画や外装などを新たにしながら、純粋の神話伝説に属さないものを、思い切って除くことにしました。」(p.8)
- 呉茂一『ギリシア神話』(上),
(下). 1979.11.20 (新潮文庫)
- 呉茂一『ギリシア神話』新装版. 新潮社, 1994.8.25
- 「編集部記 この作品は昭和四十四年十二月新潮社より刊行された。
本書は著者没後刊行された文庫版(昭和五十四年刊行)を底本とする。
新装版刊行にあたって、水谷智洋氏に全面的な校訂をお願いした。」
- 高秉雲, 鄭晋和(編)(1979)『朝鮮史年表』雄山閣. 第2版, 1981 [221.003-Ko11 参考], p.170-171:「附録2. 生年・年齢対照表
」
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店, 1960 [164.31-Ko99 参考]
- 特集「考暦学ことはじめ」『国際交流』第99号(2003年4月号)
- 小島麗逸, 大岩川嫩(編)『「こよみ」と「くらし」 : 第三世界の労働リズム』アジア経済研究所, 1987 (アジアを見る眼 ; 73) [449.8-Ko39]
- 『こよみ』東京大学出版会, 1999 (東京大学公開講座 ; 70)
- 暦計算研究会(編)『新こよみ便利帳 : 天文現象・暦計算のすべて』恒星社厚生閣, 1991 [449-Ko97]
- 暦の会(編)『暦の百科事典』新人物往来社, 1986 [449.3-Ko97 参考]
- 特集「暦の記号学」『言語』20(12)(1991年12月号), p.16-71 [F-ケ26500]
- 佐藤幸治『文化としての暦』創言社, 1998
- 佐藤正幸『世界史における時間』東京 : 山川出版社, 2009.8 (世界史リブレット ; 128)
- 新城新蔵「暦と年中行事」『民族』3(3), p.479-489(1928) [C-ミ18200]
→ 新城新蔵『こよみと天文』京都 : 弘文堂, 1928, p.211-230 [テ100-42]
- 菅原邦城『北欧神話』東京書籍, 1984 [164.389-Su28]
- 立花観二「生物学における雌雄記号の由来」『科学史研究』98, p.59-64(1971) [N-カ44000]
- 田中秀央(編)(1952)『羅和辞典』研究社. 増訂新版, 1966 [892-Ta84 参考]
- 谷口幸男訳『エッダ : 古代北欧歌謡集』新潮社, 1973 [949.4-E21; 949.4-N61]
- 都筑卓司『タイムマシンの話 : 超光速粒子とメタ相対論』講談社, 1971 (ブルーバックス ; 170) [421-Ts99]
- 東京天文台(編)『理科年表』丸善, 年刊 [Z 40-R 参考]
- 東郷正延[ほか](編)『ロシア・ソビエトハンドブック』三省堂, 1978, p.279-281:「25. 暦」[302.38-To23 参考]
- 永田久『暦と占いの科学』新潮社, 1982 (新潮選書) [449-N23]
- 中野美代子『西遊記の秘密 : タオと煉丹術のシンボリズム』福武書店, 1984 [923.5-G54]] → ベネッセ, 1995 (福武文庫)
- 中野美代子『孫悟空の誕生 : サルの民話学と「西遊記」』町田 : 玉川大学出版部, 1980 [923.5-N39] → 福武書店, 1987 (福武文庫)
- 中山茂『占星術 : その科学史上の位置』紀伊國屋, 1964 (紀伊國屋新書 ; C-6) [148.8-N45] → 朝日出版社, 1993 (朝日文庫)
- 野島寿三郎(編)『日本暦西暦月日対照表』日外アソシエーツ, 1987 [210.02-N93 参考]
- 広瀬正(1971)「ザ・タイムマシン」. 『タイムマシンのつくり方』集英社, 1982 (集英社文庫 . 広瀬正・小説全集 ; 6), p.8-71
- 広瀬秀雄『暦』近藤出版社, 1978 (日本史小百科 ; 5) [210.08-N77-5] → 新装: 東京堂出版, 1993 (日本史小百科) [449.81-H72]
- 藤原益栄『暦のはなし : 文学・歴史を読み解くための』光陽出版社, 2002
- 古川晴風(編著)『ギリシャ語辞典』大学書林, 1989 [891-F93 参考]
- 間宮不二雄(1939)『簡明・対照 新掌中東西年表 ; 附 新案逆算表』. 改訂増補第3版, 1942. 清和堂. 新刷, 1959; 第2増刷, 1967 (実用新案第290728号) [参考第一係, 事務用]
- 丸山昭二郎(編)『洋書目録法入門. マニュアル編』日本図書館協会, 1988 (図書館員選書 ; 7) [010.8-To72-7]
- 丸山昭二郎, 井上哲也(共編)『洋書目録マニュアル』日本図書館協会, 1970 [014.3-M 体芸] [イ000-360]
- 南伸坊「顔年表」. 『ひと』16(8)(1988年8月号)-20(11)(1992年11月号) [K-ヒ22800]
- 宮島太郎『ロシア語図書目録法入門』龍溪書舎, 1981 (図書館整理技術研究会モノグラフシリーズ ; 1) [014.3-Mi75]
- 柳沼重剛『古代知識人群像』東海大学出版会, 1974 [131-Y16]
→ 『ギリシア ローマ 古代知識人群像』岩波書店, 1994 (同時代ライブラリー ; 198)
- 矢野道雄『占星術師たちのインド : 暦と占いの文化』中央公論社, 1992 (中公新書 ; 1084)
- 藪内清『歴史はいつ始まったか : 年代学入門』中央公論社, 1980 (中公新書 ; 590)
- 山崎昭, 久保良雄『暦の科学 : “時”を読む基礎知識』講談社, 1984 (ブル−バックス ; 583)
- 湯浅吉美(編)(1988)『日本暦日便覧』上,下,索引篇. 汲古書院 → 増補版, 1990 [449.81-Y96 参考]
- 吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』東京 : みすず書房, 1974.3 (比較神話学の試み ; [1]) [162-Y86] [164.392-Y86]
- 若桑みどり『絵画を読む : イコノロジー入門』日本放送出版協会, 1993 (NHKブックス ; 668)
- Aveni, Anthony F. The book of the year : a brief history of our seasonal holidays. Oxford ; New York : Oxford University Press, 2003
アンソニー・F・アヴェニ(勝貴子訳)『ヨーロッパ祝祭日の謎を解く』大阪 : 創元社, 2006.12.20
- Boorstin, Daniel J.(1983). The discoverers. ダニエル・ブアスティン(鈴木主税, 野中邦子訳)『大発見 : 未知に挑んだ人間の歴史』集英社, 1988
→ 1991 (集英社文庫)
『どうして一週間は七日なのか : 大発見 1』
『地図はなぜ四角になったのか : 大発見 2』
『なぜ地球が動くと考えたのか : 大発見 3』
『本はいつごろから作られたか : 大発見 4』 [209-B64]
『西暦はどうやって決まったか : 大発見 5』
- Boslough, John(1985). Stephen Hawking's universe. J.ボズロー(鈴木圭子訳)『ホーキングの宇宙』地人書館, 1986 (地人選書 ; 20) [443.9-H45]
- Bourgoing, Jacqueline de(2000). Le calendrier : maitre du temps? ジャクリーヌ・ド・ブルゴワン(池上俊一監修; 南条
郁子訳)『暦の歴史』創元社, 2001 (「知の再発見」双書 ; 96)
- Boyle. 伊東俊太郎, 村上陽一郎(編)『ボイル : 形相と質の起源』朝日出版社, 1989 (科学の名著 ; 第2期, 8) [408-Ka16-2-8]
- De Sande, Eduardo(1590). De missione legatorum Iaponensium ad Romanam curiam. デ・サンデ(泉井久之助[ほか]共訳)『天正遣欧使節記』雄松堂, 1969 (新異国叢書, 5) [210.5-Sh62-5]
- Dumezil, Georges(1959). Les dieux des Germains : essay sur la formation de la religion scandinave. ジョルジュ・デ
ュメジル(松村一男訳)『ゲルマン人の神々』日本ブリタニカ, 1980 (ブリタニカ叢書) [164.3-D96]
→ [再刊]: 国文社, 1993 (ポリロゴス叢書) [164.3-D96]
- Duncan, David Ewing (1998). Calendar : humanity's epic struggle to determine a true and accurate year. デイヴィッ
ド・E・ダンカン(松浦俊輔訳)『暦をつくった人々 : 人類は正確な一年をどう決めてきたか』河出書房新社, 1998
- Graves, Robert(1955). The Greek myths. ロバート・グレイヴズ(高杉一郎訳)『ギリシア神話』新版.
紀伊國屋書店, 1998.9
- Hawking, Stephen W. A brief history of time : from the big bang to black holes. Toronto : Bantam Books, 1988 [443.9-H45]
→ S・W・ホーキング(林一訳)『ホーキング、宇宙を語る : ビッグバンからブラックホールまで』早川書房, 1989 [440-H45]
- Niven, Larry(1971). "The theory and practice of time travel". 山高昭訳「タイム・トラベルの理論と実際」. ラリイ・ニーヴン(小隅黎・他訳)『無常の月』早川書房, 1979 (ハヤカワ文庫SF), p.193-214
- Tenn, William(1948). Brooklin Project(中村保男訳)「ブルックリン計画」『ウィリアム・テン短編集』(1). 東京創元社, 1973 (創元推理文庫), p. 35-51
- Tenn, William(1956). It ends with a flicker(中村保男訳)「それはかちり、かちりとちらついて終る」『ウィリアム・テン短編集』(1). 東京創元社, 1973 (創元推理文庫), p. 203-227
- Wells, H.G.(Herbert George)(1887) The chronic Argonauts. → 改訂, 1895. The time machine : an invention.
- H.G.ウェルズ(阿部知二訳)「タイム・マシン」. 『ウェルズSF傑作集 1』東京創元社, 1965 (創元推理文庫 . SF), p.141-270
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Last updated: 2009/10/23