キリシタン研究と南蛮趣味

 天正少年使節が持ち帰った印刷機は、江戸幕府によってキリシタンが日本を追われるまでの20数年間に、教理書、辞典、古典文学など、百種におよぶ多様な出版物(キリシタン版)を刊行した。キリシタン禁制下の江戸時代に、これらの出版物はすっかり忘れ去られたが、明治時代になって再び注目を浴びた。

 先駆けとなったのは、イギリスの外交官アーネスト・サトウの研究である。彼は在日中よりキリシタン版の調査を行い、1888年( 明治21)に『日本イエズス会刊行書目』を刊行し、現存する14種のキリシタン版について報告した。

 キリシタンに寄せる関心は、限られた研究者の間にとどまらず、明治末から昭和初頭にかけ、詩人、小説家、画家、愛書家をまきこんだ南蛮ブームにまで拡大した。北原白秋や木下杢太郎は、江戸時代の文献から採取したエキゾチックな語彙を散りばめて詩や戯曲を創作し、意匠を凝らした装丁で出版した。また新村出のキリシタン研究書のように、滋味豊かな学術書も出版され、広く江湖に迎えられた。

アーネスト・サトウ

  (1843−1929)

イギリスの外交官。1862年(文久2)に来日。再来日の際(1895-1900)には駐日公使を務めた。
 早くより日本研究に着手し『日本アジア協会誌』に論文を発表。『落葉集』の入手をきっかけに、内外でキリシタン版を調査し、1888年にロンドンで『日本イエズス会刊行書誌』を刊行。14種類(後に2種類を追加)のキリシタン版を紹介し、キリシタン研究の先駆的な役割を果たした。

北原 白秋

  (1885−1942)

詩人、歌人。新詩社の文学活動に加わり『明星』誌上に詩や短歌を発表し、認められた。明治40年(1907)に与謝野鉄幹、木下杢太郎らとともに平戸、島原、天草などを巡遊し、キリシタンに文学的な関心を寄せ、いわゆる「南蛮詩」を創作した。明治42年に出版された処女詩集『邪宗門』は、近代文学史上、象徴詩の金字塔であると同時に、後に続く南蛮ブームの先駆けともなった。

新村 出

  (1876−1967)

 言語学者、国語学者。専門分野の研究のほか、キリシタン研究でも優れた業績を残した。
 留学中に大英博物館で筆写したキリシタン版の研究を始め 『南蛮更紗』『南蛮広記』などの論集は、学術的な内容にもかかわらず、詩情をたたえた格調高い文体と、エキゾチックな装丁の魅力によって、多くの人々から親しまれ、明治末から昭和初頭へ続く南蛮ブームの中心的な役割を果たした。

木下 杢太郎

  (1885−1945)

 詩人、小説家、キリシタン史研究家、医学者。北原白秋とともにキリシタンに文学的な関心を寄せ、明治42年の処女戯曲「南蛮寺門前」など、南蛮趣味豊かな作品を創作した。また医学者としてヨーロッパに留学中に、各地のキリシタン関係文書を調査し、帰国後にその紀行と研究をまとめ、昭和4年に『えすぱにあ・ぽるつがる記』を出版するなど、キリシタンの歴史的な研究でも多くの業績を残した。