伊東マンショ

[伊東マンショ
の絵] 正使伊東マンショ 1569(永禄12)頃〜1612.11.13(慶長17.10.21)

 日向国主伊東義祐の娘と伊東祐青との間に生まれる。1578(天正5)年、

島津氏が日向に侵攻し、伊東一族が豊後に亡命した時に両親と別れ、孤児

同様の身となったところをイエズス会司祭に引き取られ受洗、ついで

有馬セミナリヨに入学した。伊東家と大友宗鱗は縁続きであったため、

遣欧使節の企画に際し、宗鱗の名代とされた。遣欧使節にあっては、終始

首席として振舞い、スペイン国王フェリーペ2世、教皇グレゴリウス13世ら

キリスト教世界の最高位の人々から絶大な歓迎を受け、名誉を授けられた。

帰国後、聚楽第において豊臣秀吉に謁し、1601(慶長6)年にはマカオに

おもむいて、同地で3年近く修道士として研鑚をつんだ。04年夏、長崎に

戻り九州各地で布教に従事し、長崎のイエズス会学院で病死した。