肥前波佐見の出身。原中務の子。有馬セミナリヨに在学中、遣欧使節の
副使に選ばれる。他の使節たちに比べ健康に優れ、ラテン語の学力も一番
であったので、ヨーロッパからの帰途、87年6月3日にインドのゴアで
首席の伊東マンショにかわって、巡察使ヴァリニァーノに対しラテン語
による謝辞を述べた(この謝辞は 『原マルチノの演説』 として活字による
印刷物となった。本特別展で公開中)。また洋式活字印刷の技術を身につ
けており、帰国後はキリシタン版の刊行に貢献した。08年には長崎で司祭
に叙階されたが、14年に追放されてマカオに至り、同地で死去した。