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番外編 御旅所祭(おたびしょさい)

「日光山御祭礼絵図」は,巻末に御旅所祭を描く点で,珍しい東照宮祭礼絵巻です。御旅所祭は,渡御した神輿がその本殿(図の左端)に据えられた後,拝殿(図の中央)で執行されます。

御供所(ごくうじょ,図の右端)で調進された三品立七十五膳(さんぼんだてななじゅうごぜん)と呼ばれる神饌(しんせん)を神人(じにん)らの連供(れんく)により葵紋の幕で隠された廻廊から拝殿に運び,供えます。三品立七十五膳は,神仏分離以前は調理され,仏教の殺生観に抵触しない熟饌で,もと日光山滝尾社の神饌の形式を2代将軍徳川秀忠の命により取り入れたものと伝えられています(「滝尾山年中行事」日光山輪王寺蔵)。

拝殿では,現在は宮司が祝詞を奏上するなど神事が執行されますが,神仏習合の時代であった近世には,東照宮別当の大楽院(たいらくいん,坊舎は現日光東照宮美術館の位置に所在)が執行しました。図の拝殿中央に見える僧は大楽院でしょうか。その手前の束帯姿は日光山の社家(其の十四・十五)でしょうか。

祭のなかでは2つの舞楽があり,これも描かれています。その一つ,日光山の神人・宮仕(其の十九)の奏楽のもと八乙女(其の二十)は御前神楽(ごぜんかぐら)を舞います(拝殿の右端)。これは,日光三所権現(現日光二荒山神社の祭神)に奉奏するために伝えられてきた古風な舞です。

もう一つは東遊(あずまあそび)です。宮中舞楽を伝習した日光山の楽人(がくじん,其の二十一)が,御旅所祭のときのみ本殿と拝殿の間の庭上で舞います。天皇の御願による勅会(ちょくえ)でさえ,舞われることはけっして多くなかった秘曲でしたが,4月御祭礼では駿河舞(するがまい),9月御祭礼で乙女子(おとめご)と呼ばれる曲が奉奏されます。

図を見ると,拝殿の縁には,前より,御祭礼奉行(其の一),日光奉行,日光奉行支配組頭2名と同吟味役1名(実際は2名か)(其の二),御祭礼奉行付添出家(ごさいれいぶぎょうつきそいしゅっけ)1名が着座しています。日光奉行と同じく侍烏帽子をかぶる組頭は2人とも,祭礼の進行を笑顔で見守っています。渡御の行列中の描写においても家紋まで描かれているのは組頭のみですので,特別な描き方がなされていると言ってよいでしょう。想像をふくらませるなら,この絵巻物を描かせたのは彼らのうちいずれかかもしれません。 (10月29日公開)