其の二十三
 大千度行者(だいせんどぎょうじゃ),日光山伏(にっこうやまぶし) 15人,里山伏(さとやまぶし) 10人

神輿の後に,「おさへ」(「めくみのたひ路」),すなわちしんがりを勤める修験(山伏)の行列が続きます。大千度行者は,山内を行場として駈ける大千度を修する一坊で,東照大権現のもたらす利益も民間に間接的に広めました。続く日光山伏は,日光山の一坊のことです(4月御祭礼では30人が供奉しました)。里山伏は,日光神領に居住する,真言系で京都の醍醐寺三宝院を本山とする当山山伏(とうざんやまぶし)です(4月御祭礼には20人が供奉)。これらもまた,明治の神仏分離後,神輿渡御から姿を消しましたが,明治中期に里山伏のみは復活,現在も1名だけですが供奉しています。(10月27日公開)