其の二十一 伶人(れいじん) 20人

前を進む「東遊舞人(あずまあそびまいびと)」の「楽人騎馬(がくじんきば)」に続き,雅楽を奏しながら供奉する日光山の楽人(がくじん)です。日光東照宮の祭礼における奏楽については,当初,祭礼ごとに京都から朝廷に仕える楽人が下向して担当していたようです。日光山独自の楽人は寛永14年(1637)に設けられ,曲や舞を京都の楽人から伝授されて務めました。

御旅所では,東遊(あずまあそび)という曲が奉奏され,この絵巻物巻末の御旅所祭の場面にはその舞のようすも描かれています。この曲は,もと駿河久能山麓の有度浜(うどのはま,現 三保松原)付近に伝わる民間舞踊で,平安時代に宮中の舞楽に取り入れられました。御旅所境内に建つ「東遊再興碑」によれば,「秘曲」として当初日光山の楽人には伝授されませんでした。伝授が実現したのは,宝永3年(1706)のことです。天皇の御願による勅会でさえ,舞われることはけっして多くなかったのです。東照宮では,4月御祭礼で駿河舞(するがまい),9月御祭礼で乙女子(おとめご)と呼ばれる曲が奉奏され,典雅な舞が披露されます。(10月26日公開)