平成21年10月5日(月)~30日(金) 開催

電子展示(API未使用版)


展示資料を紹介します。本展示では天保14(1843)年家慶日光社参関連資料,特に「日光御参詣警固絵図」18舗を中心に,図録掲載の46点と参考資料の数々を公開しています。
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  1. 足並上覧之節控所絵図面 (天保十四夘年三月二日足並上覧之節竹橋御門内扣所繪圖面)
    10076879880
    ヨ150-223
    31.5 x 39.7 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 供奉者は,事前に江戸城内で足並稽古(行列の予行練習)を行った。3月2日の百人組の稽古では将軍家慶の上覧(見物)があった。|高精細画像へ
  2. 安永中日光道中里数書 (安永度日光道中里数書)
    10076749998
    ヨ219-182
    14.3 x 21.3 cm
    ,
    安永5年(1776)の日光社参で10代将軍家治が通行した道中の明細を,後に参考とするために調べた書上。社参では先例が重視された。|画像へ(2.0MB)
  3. 宇都宮より壱之山伐透し山道守護絵図 (宇都宮より壹之山伐透し山道守護繪圖)
    10076879844
    ヨ150-171
    52.2 x 74.4 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光道中のうち金井村・下徳次郎宿(栃木県宇都宮市)での警固と,先回りする百人組が通る脇道を示す。出入口には木製の道標が立つ。|高精細画像へ|(特別展ブログ)
  4. 宇都宮より三之山伐透し山道守護絵図 (宇都宮より三之山伐透し山道守護繪圖)
    10076879846
    ヨ150-173
    52.4 x 111.9 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光道中のうち野口村(栃木県日光市)での警固と,百人組が先回りして通行する脇道を示す。西側(画面右手)は七里村へと続く。|高精細画像へ|(特別展ブログ)
  5. 宇都宮より弐之山伐透し山道守護絵図 (宇都宮より貮之山伐透し山道守護繪圖)
    10076879845
    ヨ150-172
    52.2 x 93.1 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光道中のうち上徳次郎宿(栃木県宇都宮市)での警固と,先回りする百人組が通行する脇道を示す。出入口には木製の道標が立つ。|高精細画像へ|(特別展ブログ)
  6. 宇都宮より四之山伐透し山道守護絵図 (宇都宮より四之山伐透し山道守護繪圖)
    10076879847
    ヨ150-174
    52.2 x 93.8 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光道中のうち七里村(栃木県日光市)での警固・進路を描く。百姓上山丹左衛門家の「人参畑」には,板塀で囲まれた「御小休」(将軍の御小用所)が見える。沿道には霊石尾立岩 (リンク先写真は2002年4月撮影) が描かれている。|高精細画像へ|(特別展ブログ)
  7. 御成之節岩渕川口仮橋勤番絵図 (岩渕川口假橋勤番繪圖 [1])
    10076879842
    ヨ150-170-1
    52.1 x 74.5 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光御成道がまたぐ荒川(東京都北区・埼玉県川口市境)は橋のない渡船場である。ここには,社参期間中にのみ仮橋が架けられた。|高精細画像へ釈文付き画像へ
  8. 御成之節喜沢村御固絵図 (喜澤村御固繪圖 御成之節)
    10076879839
    ヨ150-168
    52.2 x 74.4 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 甲賀組が警固する喜沢村(栃木県小山市)は,日光道中と,供奉者の一部が渋滞をさけるために通行する脇往還壬生通の分岐点。|高精細画像へ
  9. 御成之節房川船橋勤番絵図 (房川船橋勤番繪圖 御成之節)
    10076879831
    ヨ150-161
    52.5 x 112.1 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 栗橋宿(埼玉県北葛飾郡栗橋町)と中田宿(茨城県古河市)の間を流れる利根川の房川渡には社参中,船橋が架けられた。船橋とは,舟運(河川交通)用の高瀬船を綱で連結して両岸の大杭に固定し,その上に橋を渡したもの。家慶社参時の船橋は,高瀬船50艘をつなぎ,全長151間(約272メートル)となる巨大な橋で,評判になった。|高精細画像へ釈文付き画像へ|(特別展ブログ(1)特別展ブログ(2))
  10. 鹿島・香取・筑波・日光参詣順路之図
    (個人蔵),
    (伊勢屋庄兵衛) 近世後期,常陸土浦城下(茨城県土浦市)本町の船問屋が配った引札(チラシ)。近世の日光参詣は,鹿島神宮(同 鹿島市),香取神宮(千葉県香取市),筑波山などへの参詣もしばしば組み合わされ,次第に遊興化した。
  11. 寛永十三年日光山御神事記 (日光山御神事記)
    10076864417
    ハ240-69
    29.7 x 21.0 cm
    , 1636
    東照社第21回御神忌法会の記録。徳川家光の願文も写す。|画像へ(5.2MB)
  12. 還御之節岩渕川口仮橋勤番絵図 (岩渕川口假橋勤番繪圖 [2])
    10076879843
    ヨ150-170-2
    52.1 x 93.3 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光御成道がまたぐ荒川(東京都北区・埼玉県川口市境)は橋が架けられない渡船場であるが,社参期間中にのみ橋が仮設された。|画像へ(8.8MB)
  13. 還御之節喜沢村御固絵図 (喜澤村御固繪圖 還御之節)
    10076879840
    ヨ150-168
    52.1 x 74.4 cm
    ,
    (日光御参詣警固絵図の内) 大久保組が警固する喜沢村(栃木県小山市)は,日光道中と,供奉者の一部が渋滞をさけるために通行する脇往還壬生通の分岐点。|高精細画像へ
  14. 還御之節房川船橋勤番絵図 (房川船橋勤番繪圖 還御之節)
    10076879832
    ヨ150-161
    52.1 x 93.2 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 日光道中栗橋宿(埼玉県北葛飾郡栗橋町)と中田宿(茨城県古河市)の間を流れる利根川の房川渡には社参中,船橋が架けられた。|高精細画像へ|(特別展ブログ(1)特別展ブログ(2))
  15. 木曽路名所図会
    40950035280
    291-A36
    27 cm
    , 1805
    (秋里籬島 文化2年年3月) 享和2年(1802)に中山道から江戸へ向かい,さらに香取・鹿島・息栖・筑波山・日光山を巡拝した見聞をまとめた名所案内記。著者は,京都に暮らし,多数の名所図会を著したことで知られている。展示箇所は,東照宮境内周辺の図(巻6),および日光道中今市宿(栃木県日光市,巻5)。
  16. 供奉御役附 (日光社参/日光御社参御供付)
    10076738929
    ヨ216-179
    9.4 x 16.3 cm
    , 1727
    (享保12年(1727)8月) 8代将軍吉宗による享保13年の日光社参に供奉(お供)する役人の略武鑑(名鑑)で,民間に社参の情報を伝えた。版元は江戸暦問屋。|画像へ(3.7MB)
  17. 扈従九日志
    10076738959
    ヨ216-181
    19.0 x 12.2 cm
    , 1843
    (林 天保14年(1843)12月) 家慶の社参供奉者による紀行文。著者は昌平坂学問所を率いる林家9代当主で,幕府の儒者。自ら少部数を出版,配付した。|画像へ(5.9MB)
  18. 天保二たらの記
    10076738930
    ヨ216-177
    23.2 x 16.5 cm
    , 1844
    (青木敬義 天保15年(1844)3月) 幕府代官手付(実務下僚)による家慶社参の御用留。末尾に「我家の子々孫々に至迄,永為二亀鑑一,追々に留置もの也」と記す。|画像へ(7.4MB)
  19. 天保令条 巻坤 (天保令條 ; 坤)
    10083020601
    322.15-Sa13
    25.7 x 18.1 cm
    , 1863
    文久3年(1863)写 常陸水戸藩の政務日誌の写。家慶社参の供奉である,藩主徳川斉昭の「御予参」(御三家の参詣)について記す。|画像へ(5.3MB)
  20. 東照大権現縁起
    10001002421
    175.932-To72
    27.5 x 19.7 cm
    , 1666
    将軍家光の命により日光山座主天海が寛永17年(1640)に完成させた東照社の仮名縁起(寛文6年-1666-作成の模本)の写本。|画像へ(6.9MB)
  21. 東照宮金幣祈祷祭図
    (個人蔵), 1897
    明治30年3月。明治になり社格が定められたころから,近世には禁じられていた東照宮・大猷院を描く多様な版画が土産物用に出版された。東照宮本殿を描くこの石版刷もその一つ。東京市芝区新銭座町秦虎四郎が発行し,日光上鉢石町の土産物商小室清三郎が販売した。
  22. 東照宮拝殿及御石間御式之図
    (個人蔵), 1898
    明治31年8月。参考展示2と同じく日光中鉢石町鬼平金四郎が土産物として出版。
  23. 日光御宮御祭礼図巻
    (個人蔵),
    東照宮4月御祭礼の神輿渡御 (みこしとぎょ,いわゆる千人行列) を描く絵巻物。家康の命日4月17日に執行されるまつりである。当日は例幣使(れいへいし)が参向した。|画像へ(1.5MB)|(特別展ブログ(1)特別展ブログ(2)特別展ブログ(3))
  24. 日光御宮御参詣供奉役人附
    (個人蔵), 1843
    天保14年4月。江戸浅草並木町蔦屋重三
  25. 日光御宮御参詣供奉御役人附
    (個人蔵), 1843
    江戸馬喰町2丁目の御書物師出雲寺金吾が出版した家慶社参の略武鑑。前年5月出版本の改版本で,江戸芝神明前岡田屋嘉七・大坂心斎橋筋博労町河内屋茂兵衛・京寺町通仏光寺角河内屋藤四郎・尾張名古屋永楽屋東四郎・日光石屋町大島屋久兵衛(展示史料18・19参照)が売弘所(販売所)。なお,版元の出雲寺は社参終了後,許可されたはずの本史料および日光山絵図などの出版を理由に処罰された。|画像へ
  26. 日光御山之絵図
    (個人蔵),
    (植山弥平治) 元禄年間(1688?1704)より幕末まで,日光中鉢石町の植山弥平治(弥平)家が土産物として出版した絵図。展示した大図のほか小図,手彩色のある図,ない図など,多種多様な版がある。|画像へ
  27. 日光御山之絵図
    (個人蔵),
    (植山弥平) 元禄年間(1688?1704)より幕末まで,日光中鉢石町の植山弥平治(弥平)家が土産物として出版した絵図の1舗。近世後期の版。
  28. 日光御山之絵図
    (個人蔵),
    (植山弥平治) 元禄年間(1688?1704)より幕末まで,日光中鉢石町の植山弥平治(弥平)家が土産物として出版した絵図の1舗。近世後期の版。
  29. 日光御山之絵図
    (個人蔵),
    (植山弥平治) 元禄年間(1688?1704)より幕末まで,日光中鉢石町の植山弥平治(弥平)家が土産物として出版した絵図。展示した大図のほか小図,手彩色のある図,ない図など、多種多様な版がある。|画像へ
  30. 日光御参詣足並御行列上覧之節御供方控所建場所・開場絵図 (天保十四夘年三月十八日足並御行列上覧之節御供方扣所御陣原建場開場繪圖面)
    10076879838
    ヨ150-167
    64.2 x 83.8 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内)  3月18日の足並稽古も将軍が上覧した。供奉者の控所の建場(定位置)と開場(解散地点)のほか,百人組の進路を朱線で示す。|高精細画像へ
  31. 日光御参詣岩槻御目見・御供開場所絵図 (天保十四夘年四月十三日岩槻城江御成同廿日還御共頭御目見場所繪圖)
    10076879836
    ヨ150-165
    39.9 x 53.6 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 御成・還御時に将軍の宿城(宿泊する城)となる岩槻城(埼玉県さいたま市)の警固絵図。百人組の御供開場,組頭の御目見場を示す。|高精細画像へ
  32. 日光御参詣宇都宮御目見・御供開場所絵図 (天保十四夘年四月十五日宇都宮城江御成同十八日還御共頭御目見場所并旅宿繪圖面)
    10076879837
    ヨ150-166
    40.0 x 53.6 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 御成・還御時に将軍の宿城(宿泊する城)となる宇都宮城(栃木県宇都宮市)の警固絵図。御供開場・御目見場および甲賀組組頭の旅宿とされた光琳寺を示す。|高精細画像へ
  33. 日光御参詣記
    10076738928
    ヨ216-178,ヨ216-180
    14.7 x 21.3 cm
    , 1845
    (巻6 尾島主殿頭 弘化2年(1845)) 著者は将軍家慶の社参に供奉した旗本で,将軍の警固役である新番頭格の御小納戸頭取。社参の準備段階から終了後まで14巻にわたり記録する。日光への行列の中に老中水野忠邦(越前守)も見える。|画像へ(2.0MB)
    (巻14 尾島主殿頭 弘化2年(1845)) 「自留」の巻に,下総古河(茨城県古河市)など,著者が進む道順を示す宿城付近の警固絵図が写される。|画像へ(6.3MB)
    (巻5  尾島主殿頭 弘化2年(1845)) 将軍家慶の江戸還御後には,江戸城本丸で供奉者に能の拝見が許された。その初日5月2日の「開口」が載る。|画像へ
  34. 日光御山中五重塔下勤番絵図 (日光御山中五重塔下勤番繪圖)
    10076879877
    ヨ150-220
    52.3 x 74.4 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 将軍家慶は4月17日に東照宮本殿の神事に出仕後,御物見(棧敷)で神輿渡御を見物,その終了後に東照宮・大猷院を順に参詣した。その間における東照宮の仁王門 (表門)前,五重塔付近の警固絵図。|高精細画像へ
  35. 日光御山中常行堂・法華堂勤番絵図 (日光御山中常行堂法華堂勤番繪圖)
    10076879876
    ヨ150-219
    52.3 x 74.3 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 4月17日,将軍家慶が大猷院を参詣する際の警固絵図。常行堂・法華堂は,大猷院門前,新宮(現 日光二荒山神社)・三仏堂の境内下にあり,両堂をつなぐ廊下は慈眼堂(大師廟)への登り口になる。|高精細画像へ
  36. 日光御山中大師廟勤番絵図 (日光御山中大師廟勤番繪圖)
    10076879834
    ヨ150-163
    52.3 x 93.3 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内) 慈眼大師天海の廟所である慈眼堂(大師堂)境内を描く。4月17日に家慶が参詣した大猷院と山続きの場所である。|高精細画像へ
  37. 日光御社参図誌 (日光御社参圖誌)
    10076905336
    ネ308-88
    26.5 x 18.8 cm
    , 1818
    (巻上・中・下  竹村立義 文政元年(1818)9月) 江戸の裁縫師による,東照宮4月御祭礼を見物する旅の紀行文。詩歌に通じ,松尾芭蕉『奥の細道』など多くの文献も引用して考証する。|画像へ(3.7MB)|(特別展ブログ)
  38. 日光御道中筋宿々里数書 (日光御道中筋宿々町里數)
    10076905656
    ネ314-15
    18.5 x 8.9 cm (49折)
    ,
    元禄年間(1688?1704)ごろの日光道中・壬生通を描く。朱色の四角形は,御茶屋場・昼御休・御泊御殿場など,日光社参における将軍の休憩・宿泊場所を示す。|高精細画像へ
  39. 日光御内陣
    (個人蔵),
    いわゆる徳川十六神将図の刷物。端裏書に「日光御内陣之御像」とある。日光東照宮では,明治に私幣禁断(私的な崇拝)が解かれると,神敬講も組織された。このような神像も信者に頒布されるようになった。|画像へ
  40. 日光山志
    10076905655
    ネ314-14
    26.4 x 18.0 cm
    , 1837
    (巻5 植田孟縉 天保8年(1837)正月) 東照宮陽明門の天井画である昇降二竜図(狩野探幽画)を写す。|(特別展ブログ(1)特別展ブログ(2))
    参考: 絵葉書
    (複製・原本個人蔵) 明治後期?昭和戦前期の絵葉書に見える陽明門の昇り竜図 (「日光山志」掲載の竜図を図録展示ポスター,チラシ等のデザインに使用)。
  41. 日光山志
    10076905654
    ネ314-14
    26.4 x 18.0 cm
    , 1837
    (巻4 植田孟縉 天保8年(1837)正月)  幕府八王子千人同心の一人で,防火をになう日光勤番も務めた著者が日光山の名所・故事・博物をまとめ,文政7年(1824)11月に湯島聖堂に献上した官本(10巻本)をもとに再編,出版された5巻本。将軍家慶が自ら土産に買った姫石楠木の挿絵がある。|画像へ
  42. 日光神橋勤番絵図 (天保十四夘年四月着御還御之節日光山神橋七ヶ所御番所百人組土岐下野守頭組勤番繪圖)
    10076879835
    ヨ150-164
    52.1 x 74.5 cm
    , 1843
    (日光御参詣警固絵図の内)  4月13日に江戸を出立した将軍家慶は16日に日光山へ到着し,以後18日まで本坊に滞在した。その日光山の入口である神橋付近の警固絵図。番所は細やかな指示のもと,常置される1か所に加え,計7か所が用意されていた。|高精細画像へ釈文付き画像へ|(特別展ブログ(1)特別展ブログ(2))
  43. 日光拝覧文章
    10088015884
    ル185-836
    19.0 x 13.5 cm
    , 1801
    (柳塘山人 享和元年(1801)年6月) 江戸で出版された手習の教科書で,いわゆる往来物。子どもは寺子屋での手習を通じて,日光の歴史や地理を学んでいた。乙竹文庫本。|高精細画像へ
  44. 日光鉢石町入口小屋場絵図 (日光那須衆小屋路ノ圖)
    10076879826
    ヨ150-156
    53.0 x 73.6 cm
    ,
    年代未詳 将軍一行が日光道中(図の「御成道」)の終着点鉢石宿に到着した際,供奉者が仮設された小屋場で待機する位置を多数の付箋により示す。原題は「日光那須衆小屋路ノ図」。|高精細画像へ
  45. 日光東町
    10076753494
    ネ040-197
    27.4 x 39.3 cm
    ,
    年代未詳 鉢石宿に相当する日光東町を描く警固絵図。迎え札や,警固の務めを終えた者や山内に入らない供奉者家来の待機場所を示す。|高精細画像へ
  46. 日光名勝記 (東路之記)
    10076904929
    ネ306-6
    16.6 x 11.5 cm
    , 1714
    (貝原益軒 正徳4年(1714)3月) 日光参詣を対象とした初の案内記。京都の書肆柳枝軒が版行。|画像へ(4.1MB)|(特別展ブログ)
  47. 日光例幣使 (正徳日光例幣使)
    10076746274
    ヨ216-256
    26.7 x 18.7 cm
    , 1715
    (正徳5年(1715) 原表題「御大礼書」の内) 東照宮第100回御神忌法会の記録。東照宮の4月御祭礼には,正保4年(1647)から毎年,例幣使(天皇の勅使)が参向した。緑川文庫旧蔵。|画像へ(2.7MB)
  48. 日光山行記
    10076905344
    ネ308-92
    21.2 x 13.5 cm
    , 1838
    (久須美祐雋 天保9年(1838)) 家慶社参の5年前の4月に日光参詣を果たした旗本の紀行文。自筆の挿絵には,家慶が見物に出かけた寂光寺(寂光権現)が見える。|画像へ(5.2MB)
  49. 日光山御祭礼絵図 (日光山御祭禮繪圖)
    10076864515
    ハ240-102
    21.9 x 18.2 cm (39折)
    ,
    東照宮9月御祭礼の神輿渡御 (いわゆる千人行列 ※リンク先写真は4月御祭礼時) を描く絵巻物。9月御祭礼は臨時祭,臨時御祭礼とも呼ばれ,家康の命日4月17日に執行される4月御祭礼よりやや小規模なまつりである。当日は,伊勢神宮で例幣使を迎えて執行される神嘗祭の日でもある。巻末には御旅所祭 が描かれる (参考: 4月御祭礼時写真)。緑川文庫旧蔵。なお,一部に錯簡がある。
    画像1(2.6M)へ画像2(9.7M)へ画像3(5.4M)へ|(今日のお目見え特別展ブログ(1)特別展ブログ(2)特別展ブログ(3))
  50. 日光山御参詣之節森川御屋敷前通御ニ付心得方御上屋敷前御同勢場右南御屋敷附辻番所御留守中諸心得方伺并御達 : 天保十三寅年従十一月 (諸家例集 : 58)
    10076746157
    ヨ216-213-58
    23.5 x 16.3 cm
    , 1843
    (石原直穀 天保14年(1843) 「諸家例集」の内) 三河岡崎藩主 本多中務大輔忠民家中の著者が家慶社参中の江戸屋敷に関する達と伺書・答書を記録したもの。将軍社参の道筋は,将軍・幕府の威光を示すために,さまざまに飾り立てられた。|画像へ(9.9MB)
  51. 日光山修善雜記
    10076864418
    ハ240-70
    27.6 x 19.5 cm
    , 1649
    (巻下 冷泉為景・伏原賢忠 慶安2年(1649)9月) 3代将軍家光が宮号宣下後にはじめて日光社参を実施した慶安元年(1648)4月,東照宮第33回御神忌法会の記録。法華八講が執行された。|画像へ(6.8MB)
  52. 日光山諸所案内手引草
    40960029750
    291.32-N73
    15.6 x 6.7 cm (12折)
    , 1840
    (天保11年(1840)2月(第3版)) 『日光山名跡誌』から要点を抄出した略案内記。元本と同様に重版された。天保の第3版では手彩色を加えている。|画像へ
  53. 日光山図絵 (日光山圖繪)
    10076879833
    ヨ150-162
    68.0 x 153.2 cm
    ,
    安永5年(1776),10代将軍家治による社参の警固に備えて作成された絵図か。将軍は日光山で東照宮・大猷院に参詣したほか,滝尾社,寂光寺,霧降の滝,裏見の滝,中禅寺などを見物した。|高精細画像へ|(特別展ブログ(1)特別展ブログ(2))
  54. 日光山道しるへ
    (個人蔵), 1764
    (鷹橋義武 明和元年10月(第2版)) 鷹橋義武は『日光山名跡誌』(展示史料18)と同時に,その要点を抄出したものも出版した。遠藤喜六はその版権も継ぎ,再版した。
  55. 日光山名跡誌
    40960029760
    291.32-Ta33
    18.6 x 13.6 cm
    , 1728
    (享保13年(1728)2月(初版)) 日光御幸町の商人による現地出版の案内記。8代将軍吉宗の社参2か月前に出版。参詣の心得も説かれ,版を重ねて広く流布した。|画像へ(2.4MB)|(特別展ブログ)
  56. 日光山名跡誌
    (いずれも個人蔵),
    (鷹橋義武 享保13年(1728)2月(初版)/明和元年(1764)8月(第2版)/文政5年(1822)8月(第3版)/天保11年(1840)2月(第4版))
    『日光山名跡誌』(展示史料18参照)は,石屋町の万屋遠藤喜六(第2・3版),同町大島久兵衛(第4版)に版権を移して重版された。
    (サムネイルは初版(左上),第2版(右上),第3版(左下),第4版(右下))
  57. 日光山名跡誌
    10077015666
    291.02-T
    18.2 x 12.5 cm
    , 1840
    (天保11年(1840)2月(第4版)) 日光御幸町の商人による現地出版の案内記。8代将軍吉宗の社参2か月前に出版。参詣の心得も説かれ,版を重ねて広く流布した。|画像へ(2.3MB)|(特別展ブログ)
  58. 日光山詣の記
    10076738924
    ヨ216-175
    23.8 x 16.8 cm
    , 1795
    (藤原正従 寛政7年(1795) 「紅葉山之記」の内) 幕臣による東照宮4月御祭礼見聞の紀行文。御旅所から神輿渡御の道を清めて歩く御迎榊も記録する。朱墨により校訂が加えられている。|画像へ(2.3MB)
  59. 日光山両社全図
    (個人蔵),
    明治になり社格が定められたころから,近世には禁じられていた東照宮・大猷院の境内や祭礼の神輿渡御を主題とする多様な版画が土産物として販売されるようになった。日光で出版されたもの。|画像へ
  60. 日本行程一目玉鉾 (一目玉鉾 めたまほこ)
    10076905489
    ネ310-85
    25.8 x 18.3 cm
    , 1689
    (巻1 井原西鶴 元禄2年(1689)正月) 元禄上方文芸を代表する西鶴による名所案内記。日光の「黒髪山」(男体山)が紹介されているが,東照宮は登場しない。高木利太旧蔵。|画像へ(4.9MB)
  61. 肥州長崎図 (肥州長崎圖)
    10076904198
    ネ040-214
    66.7 x90.7 cm
    , 1778
    長崎の図には出島や外国船が描かれているが,特に船の描写は写実的であり,オランダ舟等の巨大な外国船に混じって,引舟,改舟,見送舟等がそれぞれの特徴を表した形で描かれている。出島と対岸をつなぐ入口の橋(出島橋)や表門(一ノ門)の描写も絵画的である。|高精細画像へ
  62. 日野大納言資勝卿記
    10076738587
    ヨ216-98
    27.0 x 19.5 cm
    , 1616
    (巻5 日野資勝 寛永11(1634)正月?13年12月。全6冊としては元和2(1616)年-寛永16(1639)年。) 寛永13年,東照社第21回御神忌法会に出仕した公家の日記。和学講談所旧蔵。|画像へ(5.8MB)
  63. 二荒山御供記
    10076905339
    ネ308-89
    23.6 x 16.4 cm
    , 1776
    (成島和鼎 安永5年(1776)5月) 10代将軍家治の日光社参に供奉した幕府奥儒者による紀行文。|画像へ(6.3MB)|(特別展ブログ)
  64. めくみのたひ路
    10076710395
    ル170-102
    23.8 x 17.0 cm
    ,
    (豊島武経 享和2年(1802)5月) 江戸城吹上奉行が日光神領の朝鮮種人参御用作と東照宮4月御祭礼を見聞した際の紀行文。将軍家の紅葉山文庫など旧蔵者の蔵書印がある。|高精細画像[1]へ高精細画像[2]へ「めくみのたひ路」の蔵書印(展示用パネルの撮影)



将軍家慶日光社参の道PDF




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The Prestige Portrayed - Nikko Toshogu Shrine Festivals and the Shogun's Pilgrimage

  The exhibition examines the picture maps and scrolls illustrating the Tokugawa Shogun's stately visits to Toshogu Shrine and the festivals there during the Edo period (from the 17th to the mid-19th centuries).
  Toshogu, where the first Edo Shogun Tokugawa Ieyasu was enshrined, is one of the historical and religious sites in Nikko City, about 140km north of Tokyo. Its magnificence and beauty is such that the shrine and the other two temples have been designated as one of the UNESCO World Heritage sites, as the famous phrase "Never say Kekko (excellent) without seeing Nikko." puts it.
  The Tokugawa shogunate made as many as 17 visits to Toshogu Shrine not only to pay homage to Ieyasu but also to show its own prestige and power. The exhibits perfectly retain the original color and elaborately depict how these pilgrimages from Edo to Nikko were carried out.