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『神皇正統記』起稿の地に行ってみた
展示番号3番『神皇正統記』は、14世紀(約670年前)に筑波山の麓であるつくば市小田で起筆されました。南北朝時代の頃といえば、歴史好きの方には足利尊氏や楠正成、お髭の後醍醐天皇の肖像が思い浮かばれるでしょうか。
著者は後醍醐天皇率いる南朝の重鎮・北畠親房です。京都の貴族だった親房ですが、南北朝の対立が激しい頃、劣勢を覆すべく東国に軍勢を求めて下向していたそうです。もっと詳しく言えば、実は伊勢からお船に乗って東国を目指していたら、嵐で仲間とはぐれ、常陸国(茨城県)に流れ着いたらしいです。(かわいそう・・・。)
当時、周辺を治めていた小田氏の元に身を寄せた親房(推定47歳)が、「後醍醐天皇(南朝)は、正当なんだ!」という根拠として書き始めたのが、『神皇正統記』でした。[参考:「日本大百科全書」小学館発行]

“筑波大学の近くに展示品ゆかりの地がある!”ということで、9月某日、企画展メンバー有志で史跡「小田城跡」に行ってきました。まだ残暑厳しい頃で、緑陰がまぶしい日でした。あんまりにもお天気がよくて、写真が逆光気味なのはご容赦ください・・・。



「小田城跡」看板の右側に見えるのは、筑波山です。城跡全体はあまり大きく感じられず、お堀もそんなに深くないように見えます。周辺は田んぼに囲まれ、バッタやトンボがたくさんいて、とてものどかな雰囲気でした。この静かな地で、都人だった親房はどんな想いで過ごしたのでしょうか。

私たちの一番のお目当てだった「神皇正統記起稿之地」と書かれた石碑は、遺跡整備工事のために移動されていて見当たりませんでしたが、小高い丘のようになっている本丸跡には2メートル超えの大きな石碑が堂々と建っていました。





ちなみに、本丸跡のすぐそばにサイクリング道路「つくばりんりんロード」が通っていて、かっこいい自転車に乗っている人たちをたくさん見ました。周辺は民家が多く、自動車だとナビシステムがあってもちょっと迷うかもしれないので、興味&体力のある方は自転車で訪れるのもおススメです。
企画展で『神皇正統記』をじっくり見た後に、その起稿の地を訪れて歴史のロマンに思いをはせるのもいいかもしれませんね。
| 筑波大学附属図書館展示WG | 16:52 | comments (0) | trackback (x) | - |
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