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『解体新書』に関連して――前野良沢、『蘭学事始』
 今回の特別展の人気の展示資料の一つに『解体新書』があります。ここに示した扉絵部分が展示されていますが、教科書でもおなじみの絵とあって、多くの方が足をとめてご覧になっています。



『解体新書』といえば、杉田玄白、前野良沢の名前が思い浮かびますが、「解体新書には、前野良沢の名前は出てこないのではないか」というご質問がありました。



 確かに安永3(1774)年に刊行された解体新書の「巻之一」には「若狭 杉田玄白翼 訳」をはじめ、中川淳庵(校)、石川玄常(参)、桂川甫周(閲)の名は見えますが、前野良沢の名は出てきません(画像は「国立国会図書館デジタル化資料」から名前が記載されている部分を引用しました)。しかし、吉雄永章が書いた序には、本書完成の立役者として、「前君良沢」と「杉君玄白」、すなわち前野良沢と杉田玄白の名前があげられており、この二人の功績が顕彰されています。序でこの二人だけが取り上げられているのに、前野良沢の名前が本文に出てこないのは不思議ですが、小川鼎三は、1)翻訳が不備であっても一日も早く出版したいと考えていた玄白に対し、学究肌の良沢は正確な訳文とすることを念願し翻訳が不十分なままで出版することには賛成できなかったこと、2)洋書を勝手に翻訳して出版することが幕府の忌諱に触れるかもしれないという心配から、玄白が先輩の良沢にむりに名前を出すことを頼まなかったとも考えられること、3)良沢は太宰府天満宮に参拝して勉学の成就を祈り、それは自分の名前を挙げる了見ではないと神に約束したこと、がその理由ではないかと推測しています(『日本思想大系65 洋学 下』岩波書店、1972、および酒井シヅ訳『新装版解体新書』講談社学術文庫、1998のそれぞれの解説部分参照)。
 実際の翻訳にあたっては、玄白ではなく良沢が中心となっていたことは、文化12(1815)年に玄白が著した回想録である『蘭学事始』に、良沢を「盟主と定め」と記述していることからもうかがえますが、良沢の事績はこの『蘭学事始』によってはじめて世に知られるようになり、正当に評価されるようになったといえるでしょう。



 このように『蘭学事始』は、解体新書の成立や当時の蘭学者の様子を知るうえできわめて重要な資料で、いまでは広くその名が知られていますが、意外にも江戸時代にはついに出版されず、明治2(1869)年にいたって天真楼蔵版(天真楼は玄白の私塾)、すなわち杉田家の私家版として初めて出版されました。そして、本書は明治23(1890)年に再版されますが、この再版本に福沢諭吉が序をよせて、本書(明治2年初版本)の出版について大略次のように述べています。

(1)蘭学事始の原稿は杉田家にあり一本を秘蔵していたが、安政2(1855)年の江戸大地震の火災で焼失した。門下生等の中でもその写し(写本)を持っていた者はなく、(この貴重な資料が完全に失われてしまったとして)ただその不幸を嘆くばかりだった。
(2)しかし、幕末に神田孝平が本郷通りを散歩していたときに、たまたま湯島聖堂裏の露店で古びた写本を発見し、手に取ってみたところ紛れもなく蘭学事始の写本で、しかもそれは玄白の自筆本で門人の大槻玄沢に贈ったものであった。神田はただちにこの次第を学友や同志に知らせ、みな先を争ってこれを写したので、にわかに数本の蘭学事始の写本が生まれた。
(3)その後、世は王政維新の変乱となったが、(福沢は)世の有様をみて我が国の文運の命脈が甚だ覚束ないと思い、明治元年に杉田廉卿(玄白の子孫)に会って、保存のためにも本書を出版する方がよい、そのためにお金(数円)も用意した、と告げたところ、廉卿も喜び、桜の板に彫って蘭学事始上下二巻として明治2年正月に出版した。
(4)その後廉卿は亡くなり(明治2年の)版本も世間には多くはない。ところが、今回は全国医学会でその再版を企画されたので、私の喜びはたとえるものがないほどだ。数千部の再版書を天下の有志の人々に送ることができるのはまことに喜ばしい。


 この再版の序は「明治二十三年四月一日後学福沢諭吉謹誌」と結ばれていますが、原稿はもとより写本もすべて失われていた蘭学事始が幕末に偶然発見され、それを福沢が資金を出して明治2年に和装・木版刷で出版した、と出版の経緯が詳細に記されている注目すべき資料であるといえます。なかでも、神田孝平が露店で偶然蘭学事始の写本を発見したが、それが玄白の自筆本で門人の大槻玄沢に贈ったものであった、というくだりなどは、非常にドラマチックなエピソードといえそうですが、実はこれは事実ではなかったと考えられています。杉本つとむは、江戸時代にも複数の写本があったことや、それらの写本には『蘭学事始』という書名をもつものは一冊も存在しないこと(『蘭東事始』または『和蘭事始』の書名で伝えられています)を明らかにし、明治2年の初版本も杉田家所蔵の写本が底本となっていると考えられる、と述べています(杉本つとむ『知の冒険者たち―『蘭学事始』を読む』、八坂書房、1994年)。

 このように謎の多い『蘭学事始』ですが、前述のように『解体新書』の成立、とりわけ前野良沢の事績を知るうえでは不可欠の資料であると同時に、読み物としても非常に面白いものです。当館では、東京師範学校の蔵書印が押された明治2年初版本を所蔵していますが、岩波文庫や講談社学術文庫にもおさめられていますので、どうぞご覧ください。
(篠塚 富士男)
| 筑波大学附属図書館展示WG | 17:55 | comments (0) | trackback (0) | - |
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