錦絵と幻灯

1.文部省発行教育錦絵

 明治6年に文部省は「幼童家庭の教育を助くる為めに」錦絵を刊行した。『文部省第一年報』の「編書事務」の項に「幼童翫嬉品 画百二枚」とあるのがそれにあたる。いずれも大判の錦絵であり「文部省製本所発行記」の朱印が押されている。
 当館の宮木文庫には、70種余りの文部省発行による錦絵が収められている。今回の展示では、これらの錦絵を展示するとともに、錦絵のうちの立版古(2種)と着替人形(7体)をカラーコピーに複写し、実際に組み上げた。
 立版古(たてばんこ)は、起し絵とも組上げとも呼ばれ、江戸時代から明治・大正期にかけて流行した錦絵の一種である。1枚ないし数枚の錦絵を、絵の指示に従って切り抜き、糊で貼りあわせて立体模型を組み立てる。江戸時代の立版古は歌舞伎の名場面を再現したものが多いが、文部省発行のものは洋風の馬車や子供の体操を題材とし、江戸伝来の玩具によって西洋風俗に親しむことを目的としたもののようだ。着替人形についても、当時まだ珍しかった洋装の男女を扱い、同様の趣旨が伺われる。なお、文部省発行の立版古と着替人形は、細部の描写や画面の構成から推して、欧米で作られた同様の玩具を錦絵で模倣したものと思われる。

2.幻灯

 明治13年に文部省は、各府県の師範学校に対し、奨励品の名目で教育用の幻灯を頒布した。当初は外国製の機器が予定されたが、費用の関係で国産のものに変更となり、鶴淵初蔵と中島真乳の両名が制作にあたった。当時の幻灯は、照明に石油ランプを用い、幻灯板はガラス板に手描きしたものが使われた。幻灯は明治20年代から30年代にかけて、初等教育の現場はもとより、一般の娯楽として大流行し、各地で幻灯大会が開かれ、専門の弁士まで現れた。
宮木文庫に収められている「教育必要幻灯振分双六」(大判錦絵6枚続き、明治22年)は、そうした幻灯流行期の雰囲気を伝える錦絵双六である。またタイトルに「教育必要」と銘打たれ「鶴淵初蔵案」とあるところから、この錦絵の絵柄は文部省が頒布した幻灯に類するものと推定される。絵柄は「ワシントン」や「小野道風」などの偉人を扱ったものや、「孝行尽」や「清潔にする」といった児童の日常生活に関するものなど、初等教育にふさわしい内容となっている。
 今回の展示では、この「教育必要幻灯振分双六」に描かれた28コマをスライドに転写し、展示会場のセットで当時の幻灯を再現した。


宮木文庫

 宮木文庫は、昭和13(1938)年に本学の前身、東京文理科大学に寄贈された。総点数 5,722点からなり、内容は明治初年以降の初等教育の教科書を中心とする。
 寄贈者の宮木宥弌(みやき・ゆういつ)は、明治元(1868)年に千葉県で生まれ、明治18年に出家し、明治25年より東京・滝野川の寿徳寺の住職を務めた僧侶である。本務のかたわら書物の蒐集に励み、仏書はもとより往来物や教科書など、その蔵書は2万冊に及んだといわれる。
 今回の展覧会の出品資料のうち、明治期の刊行物は、主にこの宮木文庫から選定された。


乙竹文庫

 東京文理科大学教授乙竹岩造(おとたけ・いわぞう)の旧蔵書 1,457点から成るコレクション。昭和30 (1955)年2月受入。
 本文庫は、乙竹教授が主著『日本庶民教育史』の資料として収集したもので、往来物を中心に女子用教科書や教育史関係資料等を含んでいる。本文庫の目録として、昭和30年5月に、唐沢富太郎教授が中心となって『乙竹文庫目録』を刊行している。
 今回の展覧会の出品資料のうち、江戸期の往来物は、この乙竹文庫から選定された。

主要参考文献


*展示室へ戻る
*図書館のトップページへ戻る