「茶植附の圖」

第七〔石工〕・第六〔水縄〕の図
本朝茶(ほんてうちや)は上古(じやうこ)よりありと云(い)ひ又嵯峩天皇茶(またさがてんわうちや)を愛(めで)給ふは

日本(にほん)古紀見(こきにみ)えたり然(しか)れども葉上僧正栄西宋(はかみそうしやうゑいさいそう)より

其種(そのたね)を持来(もちきた)り建仁年間筑前(けんにんねんかんつく)の背振山(せふりやま)

(うゑ)しを始(はじ)めとなし夫(それ)より山城(やましろ)の宇治(うぢ)伊勢(いせ)の川上(かはかみ)

駿河(するが)の阿倍茶(あべちや)など追々(おひおひ)名高(なだか)く方今(はうこん)にては

国中大概之(こくちうたいがいこれ)を作(つく)り外国(ぐわいこく)にても羨(うらや)み慕(した)

(ところ)にして実(まこと)に我朝(わがてう)の名産(めいさん)なるものなり

(ちや)の実(み)

(まき)たる

ところ

(わ)

(まき)たる

ところ

(まき)たる冬(ふゆ)

霜除(しもよけ)

したる

ところ

(ちや)の木(き)

芽生(めばへ)

(こや)しする

ところ

(こや)しは干鰯(ほしか)

(あぶら)の粕(かす)などを

(よ)しとなす



次のページへ
文部省発行教育錦絵のページに戻る